P5前半 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
(読み)
凡 いける多くひ尓子の奈き毛のや阿る子をも川
於よ曽 こ こ
およそいけるたくいにこのなきものやあるこをもつ
親 の子越思 ハざるハあるべ可ら須をの連もとハ蛇
於や こ 於も へび
おやのこをおもわざるはあるべからずをのれもとはへび
の子尓し天ま多子越も多ざるといふこと阿るべか
こ
のこにしてまたこをもたざるということあるべか
ら春゛さ阿ら者゛何 楚゛雀 の生 多川越喰 ふことや
奈ん 春ゞめ 於ひ くら
らず さあらば なんぞ すずめのおいたつをくらうことや
阿るべき今 与りし天可ゝる悪 事越奈春尓於 てハ
いま あくじ おゐ
あるべきいまよりしてかかるあくじをなすにおいては
(大意)
そもそも生きとし生けるものに子のないものなどあろうか。子を持つ
親が子を心配しないことがあるはずがない。お前ももとは蛇
の子であり、また子を持たないということもないだろう。
そうであるのになぜこれから育とうとする雀の子を喰おうとするのだ。
これからこのような悪事をするときは
(補足)
こういった説教めいた文章を読むと調子が福沢諭吉風になってしまいます。
「多くひ尓」、「多」も「く」も小さくてこの二文字が一つの文字のように見えてしまいます。
「も川」、変体仮名「川」(つ)。縦3本が横棒一本とカーブになってしまうのはずいぶんと極端な変化です。しかしカタカナ「ツ」は「川」そのものです。
「もとハ蛇」、どうしてこんなに小さい「と」なのでしょう。
「阿るべから春゛」、平仮名「か」の出現率は低い。変幻自在の「ら」がここではお手本の「ら」。
「生多川越」、「生い立つ」(子供が)成長する。育つ。
「今与りし天」、古文書でよく見る「今」は「彡」+「ゝ」。
子どもが蛇に説教しているわけですが、明治初期の豆本で子どもが地獄の鬼に食って掛かる場面を思い出しました。
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