P15前半 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
(読み)
尓も多ゝ須゛と志る遍゛し狐 多ぬき尓多ふら可さる
きつ年
にもたたず としるべ しきつねたぬきにたぶらかさる
るも是 と同 じ祐 天 大 僧 正 の詞 尓も一 念 の
これ 於奈 ゆうてん多゛以さうせ う こと者゛ いち袮ん
るもこれとおなじゆうてんだ いそうじょうのことば にもいちねんの
無益 奈る心 越發 春可゛ゆへ尓無き妄 想 越
む こゝろ 於こ 奈 もうさう
むえきなるこころをおこすが ゆえになきもうそうを
呼 奈り念 奈き毛の尓多ゝるべきの霊 奈し登
よふ 袮ん 連以
よぶなりねんなきものにたたるべきのれいなしと
(大意)
(いるならいるで)やはりあらわれないと知るべきである。狐や狸にたぶらかされる
のもこれと同じである。祐天大僧正の言葉にも「無益な
激しい思い込みを起こしてしまうから、ありもしない妄想を
呼ぶのだ。念のない者にたたる霊はない」と(ある。)
(補足)
「多ゝ須゛」、多ら須゛とも読めますが、文意の流れで「たたず」。
「多ふら可さるる」、「ら可」と続いているので変体仮名「可」(か)が区別のためか「可」とわかるようにかいてある(ようにおもえます)。
「多ゝるべき」、一行目にも同じ「多ゝ」があります。こちらのほうがいくらかわかりやすいか。
祐天大僧正を調べると江戸時代を代表する呪術師とあります。ウィキペディアによると鎌倉大仏の鋳掛修復に着手し復興をはかったとあります。しかし鎌倉大仏のほうにはこのことが全く触れられていません。何か隠されたことがあるのでしょうか。
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