P.10 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
私 共 へ申 聞ケ候 者地先 河原 へ桴 繋 畄 候 義名主 又四郎へ
わたくしどもへもうしきけそうろうはじさきかわらへいかだつなぎとめそうろうぎなぬしまたしろうへ
而己相 届 ケ相 名主 周 蔵 ヘハ無沙汰 二致 候 段 心 外 二付
のみあいとどけあいなぬししゅうぞうへはさたなくにいたしそうろうだんしんがいにつき
我 等始 三 拾 三 人 相 談 之上 番 小家打 毀 桴 切 流 シ
われらはじめさんじゅうさんにんそうだんのうえばんごやうちこわしいかだきりながし
(大意)
わたしたちが聞くことができた内容は、村近くの河原へ筏を繋ぎ留めることを名主又四郎
だけに届け出て、同じ名主の周蔵へは届けが無かったことが心外であったため
われらはじめ33人で相談の上、番小屋を打毀し筏を切り流し
(補足)
「無」がわかりにくい。
「我等」のときは「等」のくずし字ですが、「など」「とう」のときには「ホ」になるようです。
「相談」(そうだん)、現在では日常語ですが、昔の名残の言葉なのかもしれません。
33人での騒動は小競り合いとは言いません。
ちょっとした戦闘です。
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