P.8 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
家五ヶ所 補理番 人 附 置 候 所 同 夜 四ツ半 時 頃 鎌
やごかしょほりばんにんつけおきそうろうところどうよるよつはんどきごろかま
鳶 口 等 携 多人 数 押 来 理不尽 二番 小家打 毀 候 二付 番 人
とびぐちとうたずさえたにんずうおしきたりりふじんにばんごやうちこわしそうろうにつきばんにん
共 打 驚 狼 藉 之旨 聲 掛 候 所 桴 切 流 之妨 致 候ハヽ
どもうちおどろきろうぜきのむねこえかけそうろうところいかだきりながしのさまたげいたしそうらわば
(大意)
を5ヶ所設置し番人を付けて置きました。その夜4ツ半(11時)頃、鎌
鳶口等を手にした者たちが大勢やってきました。理不尽に番小屋を打毀しましたので番人たちは
驚き乱暴なふるまいをやめるよう声を掛けましたしたが、筏を切り流すのを邪魔立てしたら
(補足)
「補理(ほり)」、今では聞き慣れない単語ですが、かってはよく使われていたようです。
「携」、「推」が上部にきて「乃」が下部になってます。よく見られる部品の位置関係です。
「驚」は楷書のような書き方が多いのですが、ここのはわかりにく。
「旨」、この方は「匕」が癖字で「上」のようになってます。他の箇所でも同じです。
「聲」、ここの字はおそらく旧字の字体。
「候ハヽ」、最後に詰めて小さく書いたので一文字のよう。
筏大きさは、「名栗の歴史 上」P.274から引用しますと、
一艘は巾約7m・長さ約37mで、これは一枚と呼ばれる巾約1m・長さ約12mのものが24枚集まったもの。
筏の単位は「艘(双)」が一番大きい単位で「ふり」「枚」という順。
材木の本数は一枚で15本くらい、一ふりで40〜50本、一艘で280〜300本。
これらの上に上荷(うわに)と呼ばれる杉皮や貫(小幅の平板)が積まれ、これらも取引の重要な商品でした。
一枚15本でこれが24枚だと、360本で、一艘が300本ですから、計算が合いませんが、まぁこんなものだったのでしょう。
戸口村あたりまでは1人で4〜12枚、荒川の本流では1人で8〜12枚または24枚に2人乗りとあります。
「十三艘相手村方地先迄乗下ケ候」とありますから、大きな筏軍団だったことがわかります。
なので番小屋も「五ヶ所補理番人附置候」だった訳です。
さて、争いごとが始まりました。
どうなることやら。
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