P.7 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
私 共 儀前々 ゟ 材 木 渡世 仕 高麗川 通 桴 組 下ケ
わたくしどもぎまえまえよりざいもくとせいつかまつりこまがわどおりいかだくみさげ
御当 地へ運 送 仕来 候 然 ル所 当 春 中 御当 地大 火
ごとうちへうんそうしきたりそうろうしかるところとうはるなかごとうちたいか
二而渡世 筋 之者 共 一 同 出 精 仕 諸 材 木 丸 太板 貫
にてとせいすじのものどもいちどうしゅっせいつかまつりしょざいもくまるたいたぬき
(大意)
私たちは以前より材木を生業とし高麗川で桴流しをして
御当地(江戸)へ運送を行ってきていました。しかしながらこの春頃の江戸の大火
のために、この生業をしている者たち一同は精を出して諸材木・丸太・貫板
(補足)
「渡世」というと任侠映画の渡世人か「渡る世は鬼ばかり」が親しまれてますが、以前は日常語でした。
「高麗川通」、この「通」は川の道としての「通り」なのか「高麗川を通って」の意味なのかどちらでしょうか。
「御当地大火」、この文書が弘化3年8月なので、弘化2年1月24日(1845年3月2日)の火事のことかもしれません。
「春」、春夏秋冬は頻出で重要ですが「春」のくずし字が一番難しいかも。
「板貫」、現在では逆にして「貫板」(ぬきいた)が一般的です。一番目にする平べったい板のこと。柱と柱の間を「貫」くのに使われる「板」。
1ページに6行、字の大きさもそろっていて、几帳面にかかれています。
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