P.8 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
追々 水 増 二相 成 候 二付 取 急 当 月 十 三 日 先 出之 桴
おいおいみずましにあいなりそうろうにつきとりいそぎとうげつじゅうさんにちさきだしのいかだ
十 三 艘 相 手村 方 地先 迄 乗 下ケ候 所 及日暮二 候 二付
じゅうさんそうあいてむらかたじさきまでのりさげそうろうところひぐれにおよびそうろう につき
同 村 名主 又 四郎 へ相 届 ケ川 端 二桴 繋 畄 河 原へ番 小
どうそんなぬしまたしろうへあいとどけかわばたにいかだつなぎとめかわらへばんこ(や)
(大意)
少しずつ水量が増してきましたので、取り急ぎ今月13日に先に出した桴
13艘を相手村(戸口村)の土地まで乗り下げましたところ、日暮れになってしまったため
同村名主又四郎へ届け出て川岸に桴を繋ぎ留め河原へ番小屋
(補足)
実際の桴の大きさが飯能博物館の西川材のコーナーの床に描かれています。その床の筏にのればSUPのように自分で漕ぎ出すような感じがわかります。意外と巾が狭くてこれではすぐにボチャンでしょう。
戸口村までで日暮れになってしまったとあります。吾野からは急流や堰が何箇所もあり難所続きです。距離は左程でもありませんがやはり苦労しながら川下りをしたのだとおもいます。
「乗」のくずし字は上下ふたつにわけて書かれます。
「暮」のくずし字は2文字に見えることが多いのですが、ここでは普通に一文字。
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