2019年10月20日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その21




 P.14 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
如斯    目安 差 上 候   間
かくのごとくめやすさしあげそうろうあいだ

致返答書     来 ル廿五日
へんとうしょいたしきたるにじゅうごにち

評  定  所 江罷  出可對
ひょうじょうしょへまかりでたいけつすべく

決若於不参       者可
もしまいらず(において)は


(大意)
このような訴状が差し出されたことにより
返答書を作成し来る25日
評定所へ決着すべく出頭せよ。
もし出頭に応じない場合は


(補足)
世界大百科事典によると
「返答書」とは
「江戸幕府の民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))における被告(相手方)の答弁書。訴状(目安(めやす))に裁判所の裏書(目安裏書,目安裏判(うらはん))が与えられ,これが原告(訴訟人)の手によって相手方のもとに送達されると,相手方は目安の内容に対する反駁を書面に記して裁判所に提出しなければならない。この書面が返答書で,通常は〈差日(さしび)以前着届(ちやくとどけ)〉(出廷期日の前に出府,到着した旨の届出)の際に目安とともに提出する。」
とあります。

 上記の理解からこの4行の頁は裏書の部分になります。また現在でも裁判所の書面は書式がありどの書面でも似たような文面ですが、当時でも同様であったようで、ここの文面は公事書面によく見られるもののようです。

 裁判の流れは以下のような手続でした。
・訴え方が目安(訴状)を評定所または町奉行所へ提出する。
・役所は目安糺(めやすただし)という訴状の可否の判断をする。
・可の判断がされるとここのように訴状の裏に裏書・裏判と押印し、お役所が関与したとの証明となる。
・訴え方はこれを相手方へ持っていって相手方村役人立ち会いのもと手渡し、同時に召喚状となる。
相手方が目安受け取り拒否の場合は「公事方御定書」に「裏判並差紙不請もの 所払」とあり罰せられた。
相手方は受け取った証として「裏判拝見書」「御尊判拝見書」を訴え方に渡した。
・相手方は奉行所へ「返答書」と「差日以前着届」を提出する。なお返答書の内容は訴え方には知らされなかった。
・更に細かい手続きやお役所側の修正などは公事宿が関与し、単に原告被告の宿であっただけではなく、裁判の流れの中ではなくてはならない機関であった。

 ここの裏書・裏判は評定所の権威を表すためか、または決まった書式があったためか、大ぶりの字で4行で記されています。太字であるために墨汁も濃くみえます。まぁこれは控えでしょうから、こんなふうだったとの記録でしょう。


「如斯」(かくのごとく)、よく出てきます。
「目安」、訴状。
「決」、「夬」の下部がこの漢字の脚になってます。くずし字ではよくみられます。
「参」の下部の「彡」部分が「ホ」のようになります。
「者」、くずし字で小さいのでここでは助詞の「は」です。「者」としたいのであれば楷書のようにして前後の字の大きさと同じはずです。
と考えたのですが、次頁に同じような「者」があり、これは助詞「は」ではなく「者(もの)」の読みますが「人」の意味ではないく終了助詞と理解しますが、うーん、スイマセン、わからなくなりました。



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