P.18 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
乍恐 以返答書 奉申上候
おそれながらへんとうしょをもってもうしあげたてまつりそうろう
平 岡 對馬守 知行 所 武州 入 間郡 戸口 村 百 姓
ひらおかつしまのかみちぎょうしょぶしゅういるまぐんとぐちむらひゃくしょう
佐七 利助 久 五郎 寅 五郎 万 五郎 佐十 利三 郎
さしちりすけきゅうごろうとらごろうまんごろうさじゅうりさぶろう
(大意)
恐れながら返答書をもって申し上げます。
平岡對馬守知行所武州入間郡戸口村百姓
佐七、利助、久五郎、寅五郎、万五郎、佐十、利三郎
(補足)
「答」これ一字なら迷うが、「返答書」とあれば前後の文字より読めます。
「平岡」、「岡」は独特。「冂」は冠のようになり、「前」の上部分(そのいち)+「山」がメインになってます。
「馬」、?ですが「対馬守」となれば、読めます。
「武州」、ここの「州」はほぼそのままですが、「り」が三つならんだようなかんじ。
「平岡對馬守知行所武州入間郡戸口村」、戸口村が平岡對馬守という旗本の領地であり、そこの百姓の名前が続きます。旗本量は「〜知行所」、「〜知行」と表記されます。
また次回に出てきますが、「林部善太左衛門様御代官所武州秩父郡坂石村組頭保兵衛」の場合、
坂石村が代官林部善太左衛門の管轄する幕府直轄領で保兵衛がその組頭(名主の補佐役)であることを示しています。幕府領の場合は、このように管轄する代官の名前を書きます。「御代官所」とは役所の建物のことではなく、代官の管轄領域のことを意味し「御支配所」と表記することも多い。
さらに、ここでは「領分」の例がありませんが、これは大名の領地であることを示します。
以上の事柄は「壱人両名 尾脇秀和 著 NHKBOOKS P30,P31」によりました。
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