P.129 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
入御聴 二、御支配 御役 所 二而御召 捕
おききいりに、ごしはいおやくしょにておめしとり
之上 御引 渡 二相 成 、御吟 味中 二御座候 所 、
のうえおひきわたしにあいなり、ごぎんみちゅうにござそうろうところ
暫 時御猶 豫御願 之上 、當 人
ざんじごゆうよおねがいのうえ、とうにん
心 底 得と 承 糾 候 所 、当 六 月 十 三 日
しんていとくとうけたまわりただしそうろうところ、とうろくがつじゅうさんにち
夜 、村 方 并 近 村 々 人 氣立 、飯 能 村
よる、むらかたならびちかくむらむらひとけたち、はんのうむら
邊 江押 参 候 間 、一 同 罷 出遍く候 、
あたりへおしまいりそうろうあいだ、いとどうまかりでべくそうろう
若 不参 之者 ハ人 家打 毀 候 趣
もしまいらずのものはじんかうちこわしそうろうおもむき
(大意)
お耳に入れられ、御支配御役所が捕まえられ
その後お引渡しになりました。ご吟味中のところでございますが
しばしお時間を頂きお願いを申し上げたく存じます。当人を
きびしくとくとお糺しのこととおもいます。この6月13日
夜、村やその近村で人々が騒ぎはじめ、飯能村
へ押しかけ出しているというので、村の者共も加われと、
もし一緒に押しかけない者はその家を毀すとの
(補足)
手跡は前の頁の人と同じ。お歳を召しているかたかもしれません。文章が今までの書き手とは異なり古風な言い回しや使い方が目立ちます。
この覚記は文章全体を源左衛門さんが下書きをしておいて、何名かの書き手がそれぞれ分担してできたものではないかとおもってました。また源左衛門さんが下書きをするにあたっても、書き手たち何人かが定期的により集まりその内容を源左衛門さんがまとめひとつの下書きにしたのではとも考えていました。
しかし、書き手が変わるたびに、文章の癖や表現の仕方も変わってしまってます。つまり、記すべき内容を打ち合わせしていることは確かだとおもいますが、その表現の仕方までは統一されてないところをみると、源左衛門さんの下書きを何名かの書き手がかわるがわる単に写すという作業をしているわけではなさそうだということになります。
何人かの書き手が下書きを持ち寄り、それを打ち合わせのときに回覧し、まとめ上げていったものというのがこの覚記なのだろうと考えます。
平沼源左衛門さんは書き手であり、編集人または代表であったということになります。
また、もし推理があたっているならば、それぞれの書き手の下書きがどこかの蔵に残っているのではなかと想像してしまいます。楽しみなことであります。
「聴」、じっと見つめてもわかりません。かたちで覚えるしかありません。
「當人」、とこちらは旧字のやや楷書ですが、左隣の「当人」は普通のくずし字です。
「心底得と」(しんていとくと)、何度か音読してやっとわかりました。心のおく底までじっくりと。
「夜」、これが典型的なくずし字
「毀」、どの書き手もこの字だけは楷書です。なぜでしょう。