P.102 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
七 月 廿 一 日 、醫王 寺二於 帝
しちがつにじゅういちにち、いおうじにおいて
出會 之事 、是 ハ村 方 施 し
であいのこと、これはむらかたほどこし
評 議
ひょうぎ
筏 仲 間畑 中 茂左衛門 殿
いかだなかまはたなかもざえもんどの
宅 二而一 同 出会 二付
たくにていちどうであいにつき
廿 三 日 、日延 二相 成 候 、以上
にじゅうさんにち、ひのべにあいなりそうろう、いじょう
七 月 廿 三 日 、村 方 施 し相 談 、
しちがつにじゅうさんにち、むらかたほどこしそうだん
醫王 寺江一 同 集 ル
いおうじへいちどうあつまる
(大意)
7月21日医王寺へ
出かけ、この村への施しについて会談をした。
筏仲間の畑中茂左衛門殿宅へ
一同出かけ話し合いましたところ
23日に延期することとしました、以上。
7月23日村へ施しの相談をするために
医王寺へ一同が集まりました。
(補足)
この頁、次の頁の字が大きくなりました。頁にぎっしりと余白もなく書き込むかと思えば
この頁のように、空白だらけのこともあります。書き手が変わってその人の癖、ということもあるでしょうが、やはり気分次第なのでしょうか、よくわからないことばかりです。
「醫王寺」、ほとんど楷書です。しかし頁最後の行の「王」は変体仮名の「わ」の感じでくずしてます。
「筏」、「竹」冠が立派なので2文字のようです。
「出會」は出かけていって会うことでしょうが、「集ル」ともあります。あまりこだわらないほうがよいのかもしれません。
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