2019年5月14日火曜日

変事出来二付心得覚記 その180




 P.93 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
炭 谷入 御林  山 二両  家二而
すみやいりおはやしやまにりょうけにて

植 立 置 候   檜  山 杉 檜、  此 度 てうど
うえたておきそうろうひのきやますぎひのき、このたびちょうど

能折柄   二付 、縦令 筏  通 行 者不相成  共
おりがらよくにつき、たといいかだつうこうはあいならずとも

何 程 二か可相成   間  、村 方 江施行 二
なにほどにかあいなるべくあいだ、むらかたへせこうに

仕   度 旨 、此 段 源 左衛門 二掛 合 呉
つかまりたくむね、このだんげんざえもんにかけあいくれ

候   様 頼  二付 参 り候
そうろうようたよりにつきまいりそうろう

源 左衛門 申  様 、只 今 の御相 談 二
げんざえもんもうすさま、ただいまのごそうだんに

相 成 兼 、一 体 檜  山 御林  山 之儀者
あいなりかね、いったいひのきやまおはやしやまのぎは

六 七 ケ年 以前 、伊倉 組 ゟ 栃 谷海  迄
ろくしちかねんいぜん、いぐらぐみよりとちやがやまで


(大意)
炭谷入の御林山に両家で
植林し(幕府に献納し)た杉・檜が、ちょうど
よく育っている。たとえ筏の通行ができなくても
いくらかにはなるだろうから、(伐採して)村方へ施行
したい旨、この事を源左衛門に相談してくれる
ように頼まれてやって来たのだった。
源左衛門が答えるには、「只今の相談は
そうしようとしてもできないだろう。そもそも檜山御林山については
6,7年以前に伊倉組ゟ栃屋谷(とちやがや)まで


(補足)
 整然とした手跡、筆圧加減も均一で、最初から最後まで乱れが全くありません。
「折柄」の「折」は書き直してますが。

 7月4日病気で臥せっている源左衛門さんに相談が持ちかけられました。
村内への施金が十分に行われてないので、炭谷入の杉檜を伐採販売して困窮者を救済しようとの相談です。

 炭谷入は上名栗村の中にあった入会地の一つでした。入会地とは村民が共同利用する林野でした。そこで萱(かや)、秣(まぐさ)、枯れ枝などや炭焼きや造林などをしました。
江戸で西川材の需要が増加し、大量に原木が筏で運ばれると、供給がおいつかなくなり入会地にまで杉檜が植林されました。

「植立置」、「直」の部分のくずし字が同じになってます。
「檜」のくずし字が初めて見るような形です。
「縦令」(たとい)、ちょくちょくでてきますが、このくずし字は読むのが困難。
「施行」、「通行」、「行」のくずし字が微妙に異なってますが、まぁ同じような感じです。
「呉」だけだと?ですが「掛合」があるので類推できそう。

「相成兼」、この「兼」はこの後の話から、否定的な方の意味と解釈しました。
「以前」、二文字セットで覚えます。

「栃谷海」、原文ではこのようになってますが、「栃屋谷」(とちやがや)だとおもいます。



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