P.100 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
宮 本 松 太郎 殿 方 へ迎 遣 し、
みやもとまつたろうどのかたへむかえつかわし、
新 古両 組 之内 当 地老 リハ
しんこりょうぐみのうちとうちとしよりは
太次郎 殿 なり、是 迄 参 り
たじろうどのなり、これまでまいり
流 連の御触 御廻 状 ニ而も参 り
ながれのおふれおまわしじょうにてもまいり
候 哉と、御廻 状 写 御改 被下 候 趣
そうろうやと、おまわしじょううつしおあらためくだされそうろうおもむき
申候 得共 、太次郎 殿 覚 無之
もうしそうらえども、たじろうどのおぼえこれなく
趣 申 候 、古組 村 役 人 の印 形 も有之 候 二付
おもむきもうしそうろう、こぐみむらやくにんのいんぎょうもこれありそうろうにつき
対 し小殿 ヘ
たいしこどのへ
相 談 可致 趣 二付 両 人 帰ス、
そうだんいたすべくおもむきにつきりょうにんきす
五 日直 竹 醫者 元基 殿 相 頼 薬 用 手当 致 し
いつかなおたけいしゃもときどのあいたよりやくようてあていたし(もらいそうろう)
(大意)
宮本松太郎殿方へむかえをつかわしました。
新古両組の中で当地の年配者は
太次郎殿です。これまでに(代官所)からの
御触御廻状もありましたこと
でしょうから、御廻状の写しを改めて探していただけないでしょうかと
お願いしてみたのですが、太次郎殿はどうも覚えていそうにも
ありませんでした。古組の村役人の押印もこのようにあるのだが、どうやら小殿と
相談しなくてはならないようだとのことで両人は帰りました。
5日直竹の医者元基殿にかかり薬をもらいました
(補足)
源左衛門宅で宮本松太郎殿と原田太次郎殿(当時67)の相談の様子です。
太次郎殿が新古両組当地では一番の年配者なので、古くからの事情よくご存知ではないのかと杉桧植林についての手元にある写しの確認をお願いしているのですが、御本人はどうも記憶にはござらんなぁという様子。古組にはこのとおり押印した写しがあるのだが(われら新組では如何に)。ならばやはり小殿(新組吉田伴次郎(36))にきいてみましょう、とこんな場面です(だろうとおもいます)。
「宮本」、「宮」のくずし字は「呂」が「五」になります。
「迎」、「卯」は部品が左右ではなく上下になります。
「両組」「当地」、「両」と「当」がちょっと似てますが、区別はつきやすい。この後にも出てきます。
「老」の最初の一画目を間違えたのか、ためらいながらの手跡です。心配なので(とし寄)と振り仮名をふってます。
「村役人の印形・・・」の「役」の左側にある「亻」のくずし字のような字は?わかりません。
「直竹」、地名です。「直」のくずし字はいろいろなところにあらわれて重要。
「元基」(もとき)としましたが読みは不明。「名栗の歴史 上」に「村の医療事情」という項目があるのですが、そこには直竹のこの医者の名前はありませんでした。
この頁は源左衛門さんの手跡のようです。
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