P.101a (貼り紙)最初〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
(貼紙)
七 月 廿 日宮 本 二て祭 禮 相 談 之節、
しちがつはつかみやもとにてさいれいそうだんのせつ
村 方 一 同 出會 、伴 次郎 殿 申 様 (先達而)
むらかたいちどうであい、はんじろうどのもうすさま(せんだって)
(御頼) 相模 さん・松 さん先達 而御頼 ミ
(おたより)さがみさん・まっさんせんだっておたのみ
申 候 炭 谷入 檜 山 、鳥 居ゟ いま多゛相
もうしそうろうすみやいりひのきやま、とりいよりいまだ あい
さつ無之 、此 儀如何二候 哉御聞 被下
さつこれなく、このぎいかにそうろうやおききくだされ
申 ニ付 、相模 ・松 太郎 、兵 三 郎 さん、あな多王御存
もうすにつき、さがみ・まつたろう、へいさぶろうさん、あなたわごぞん
知無之 、御父 江小殿 様 御頼 二付 、おとうさんへ御噺 し
じこれなく、おちちへこどのさまおたよりにつき、おとうさんへおはなし
申 候 御林 山 之義、如何 御噺 し有之 哉と
もうしそうろうおはやしやまのぎ、いかがおはなしこれあるやと
申 二付 、
もうすにつき
(大意)
7月20日宮本で祭礼の相談をしているとき
村方一同が顔を揃えました。そのとき伴次郎殿がいうには
「相模さん松さんが先日お願いした
炭谷入檜山のことですが、鳥居からはその後
連絡はなく、この件についてはどのようになっているのかきいてくださいませんでしょうか」
というので、相模と松太郎は「兵三郎さん、あなたはご存知
ないだろうが、お父上へ小殿様は頼りにしているので、おとうさんへお話し
ている御林山の件は、どのようなお話になっているのでしょうか」
と尋ねました。
(補足)
一頁分の貼り紙で、内容は小さな字でびっしり記され、実際は数ページ分の量になっています。
宮本の相模さんは神主さん。兵三郎さんは源左衛門さんの息子さんで当時27歳。鳥居は平沼家屋号。
小殿は吉田伴次郎(36歳)。
宮本で祭禮相談のときに村方一同出會、一向にすすまない杉桧を伐っての施金の件が話題になり、その場のやりとりが、口語体で記されています。言葉がくだけるとやはり身近に感じるものです。
「先達而」「御頼」が縦長の丸で消され、その行末にまわされました。
「鳥居」、「鳥」のくずし字が難しい。
「御父」、消しかかっているようにもつぶれてしまったようにもみえますが?
この貼紙は覚記を書くときとは気分が異なり、手紙を書くような感じで流して筆を運んでいる雰囲気があります。削除したり行間に挿入したり、親しい知人にこんな感じだったんんだよと気軽にそのときの様子を伝えているような気軽さがあります。
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