2019年5月26日日曜日

変事出来二付心得覚記 その192




 P.101 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
貰候、天龍寺院寺様と
もらいそうろう、てんりゅうじいんてらさまと

同道二而相模殿・松太郎殿参ル、
どうどうにてさがみどの・まつたろうどのまいる

伴二郎殿申様、御尤大きに
はんじろうどのもうすさま、ごもっともおおきに

御苦労さ満二御座候、相談
ごくろうさまにござそうろう、そうだん

松太郎ゟ申聞セ候
まつたろうよりもうしきかせそうろう

六日、七日、八日、九日、十日、十一日、十二日、


十三日迄病氣二而臥居、
までびょうきににてふせおり

漸々十四日、少々全快二而
ようようじゅうよっか、しょうしょうぜんかいにて

龍泉寺へ施餓鬼罷出候
りゅうせんじへせがきまかりでそうろう


(大意)
もらいました。天龍寺院のご住職様と
一緒に相模殿と松太郎殿がやって参りました。
伴次郎が言うには、「大変
ご苦労さまなことで御座います。相談内容は
松太郎が説明してくださいました。」
六日、七日、八日、九日、十日、十一日、十二日
十三日まで病気で床についておりました。
ようやく十四日に少々回復し
龍泉寺へ施餓鬼をお願いにでかけました。


(補足)
前頁の「基」「薬」もそうですが「貰」も2文字に見えてしまいます。

なぜわざわざ「六日、・・・、十三日迄」と一行以上つかって書いたのでしょうか。
「六日ゟ十三日迄」とすればすむでしょうに。

「御尤大きに」、感じはつかめますが、当時の言い回しとしての語感はよくわかりません。
「さ満」、「ま」の変体仮名でしょうけど、偏がありません。
「相模」と「相談」がよく見ないと間違えそうです。
「臥」、これ一文字とにらめっこしてもわかりません。


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