P.99 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
右 之通 り相模 殿 ・松 太郎 殿 江
みぎのとおりさがみどの・まつたろうどのへ
噺 し致 、尤 小殿 二而、何 角慥
はなしいたし、もっともこどのにて、なにかたしか
成 流 連相 成 候 ヲ見込 承 知之上 事
なるながれあいなりそうろうをみこみしょうちのうえこと
二者候 得共 、私 し一 向 存 不申 候 、
にはそうらえども、わたくしいっこうぞんじもうさずそうろう、
松 太郎 申 様 、蔵 久保半 兵衛殿
まつたろうもうすさま、くらくぼはんべえどの
二三 日 跡 小殿 江参 ら連、夫 盤
にさんにちあとこどのへまいられ、それは
(大意)
右のような話を相模殿松太郎殿へ
致しました。もっとも小殿には何か確かな
お考えがあり見込みがあると承知している
のでしょうが、わたくしは一向に存じ上げませんでした。
松太郎が言うには、「蔵久保半兵衛殿が
2、3日後小殿へ来て、それは
(補足)
「何角」(なにか)、辞書にはなく、当て字としました。
「流れ」、話の前後のつながりから(考え)としました。
この頁「れ」はすべて「連」となってます。
「候得共」、「得」と「跡」の旁がほとんど同じです。この形のくずし字は他の旁でも頻繁に表れます。前後の文章のつながりで読むことができればそれで十分だったのでしょう。
「夫盤」、頻繁に使われる助詞「は」がどうしてこんなに複雑で画数の多い「盤」を変体仮名にしているのかホントに不思議です。
伐木について、ああでもないこうでもないと話は続きます。
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