2019年5月15日水曜日

変事出来二付心得覚記 その181




 P.94 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
弐百  人 持 入 會 野所  噺 し承    り
にひゃくにんもちいりあいのところはなしうけたまわり

候   所  、杉 山 見 分 以多し村 役 人 并
そうろうところ、すぎやまけんぶんいたしむらやくにんならび

重 立小 前 、四五日 も山 峰 二於 て
おもだつこまえ、しごにちもやまみねにおいて

伐 木 二可及   評  義以多し候   趣   二も、
ばつぼくにおよぶべくひょうぎいたしそうろうおもむきにも、

柏  屋代 八 殿 并  新 宅 先 軍 蔵 殿 ゟ
かしわやだいはちどのならびしんたくせんぐんぞうどのより

源 左衛門 方 へ書 面 参 り、炭 谷入
げんざえもんかたへしょめんまいり、すみやいり

檜  山 一 条  二付 内 談 仕   度 候   間  、小殿 迄
ひのきやまいちじょうにつきないだんつかまりたくそうろうあいだ、こどのまで

早 速 可罷出   趣   申  来 り候   間  、早 速
さっそくまかりでべくおもむきもうしきたりそうろうあいだ、さっそく

小殿 迄 源 左 衛門罷  登 り候
こどのまでげんざえもんまかりのぼりそうろう


(大意)
200人持ちの入会地であるとの話を承知しているし
杉山を検分し、村役人ならびにおもだった小前が4,5日も山嶺において
伐木するかどうか評議したこともあった。」

柏屋代八殿と新宅軍蔵殿より
源左衛門へ書面がきて、炭谷入
檜山の件に付いて相談したいので、小殿まで
すぐに来てはくれまいかとの内容であった。早速
小殿まで源左衛門は出向きました。


(補足)
「名栗の歴史 上」を読まないとこのあたりの内容はよくわかりません。
両家とは平沼家(平沼源左衛門)と吉田家(吉田伴次郎(小殿))のことです。
この両家が60〜70年前に、入会地に杉檜を植林し、もともとは幕府へ献納することとなっていたのでしょうけれど、数世代前のことではっきりしないまま、時は流れました。
ちょうど折よく伐採時になったこれらの杉檜を売って、村人の救済に役立てようとの相談をしているところの記述になります。

「入會」、この「會」のくずし字が、「檜」の旁と同じになってます。

この一行目の区切りが初心者のわたしは悩みます。
弐百人持(200人持)、入會野(入会地)、所、噺し承り としましたが、まちがっているかも。

「重立」(おもだつ)、「重」が上下にの二つの部品に見えます。
「四五」、難しい「五」のほうが特徴的だけにすぐわかりましたが、「四」もわかりずらい。
「以多し」、二度出てきてます。
「新宅先軍蔵殿」、「先」がわかりません。
「登」のくずし字は特徴的、このまま覚えます。


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