2019年5月12日日曜日

変事出来二付心得覚記 その178




 P.91 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
之上 可被取計     候   、此 廻  状  刻 付 ヲ以
のうえとりはかられるべくそうろう、このまわしじょうこくづけをもって

継 送 り、留  村 ゟ 御用 先 江可被
つぎおくり、とどめむらよりごようさきへ

相返      候   、以上
あいかえされべくそうろう、いじょう

    関 東 御取 締  出  役
    かんとうおとりしまりしゅつやく

 寅 六 月 廿   八 日       杦 本 麟 次郎 印
 とらろくがつにじゅうはちにち      すぎもとりんじろういん

   大 宮 郷
   おおみやごう

   南  村
   みなみむら

   本 野 上村
   ほんのがみむら

               右  寄 場役 人
               みぎ よせばやくにん

 大 小  惣 代 中
 だいしょうそうだいちゅう


(大意)
行うことができるようにすること。この廻状を刻付(文末の日付)以降
順に廻し、留め村(最後の村)より御用先へ
戻すこと、以上。

以下略


(補足)
「刻付ヲ以」をネットで検索するとたくさんヒットします。お廻状などの決まり文句だったようです。
「継」の旁が「遣」のくずし字に似ています。

「当村」、翻刻されたものはこのようになっていましたが、これは「留村」だとおもいます。

「杉」、には「椙」「杦」などの字もあります。

「大宮郷」、「宮」のくずし字は独特です。「呂」が「五」のくずし字のようになります。
「郷」のくずし字は、よく使われるからなのでしょうか、とても簡略化されて「々」のようになってます。
「野」のくずし字は出てくるたびに同じことを繰り返してますが、とても独特。


 このような騒動の混乱の中でも、日々の生活に困難困窮しているものを救済すべきものは手助けし、この状況に便乗し私腹を肥やそうとするけしからん者どもとはしっかり見極めよと、いかにもお役人の文面です。

 ここの役所を預かるご出役たちは金銭を動かす権限などありませんでした。
あるのは、このようなお触れをだしたり武力の要請や出動などでしたから、米穀物など村民に直接の施米や施金はできません。権力基盤を支えるのは武力だけではなく莫大な財力がなければ、絵に描いた餅そのものです。江戸幕府が傾いてゆく一端が見えるような気がします。



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