2018年12月23日日曜日

変事出来二付心得覚記 その38




 P.12 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
村々  訳 り候   間  、村 役 人 衆  之言 二随  ウかも
むらむらわかりそうろうあいだ、むらやくにんしゅうのげんにしたがうかも

志連不申  と申  事 ゆへ、又々  途中  迄 出向
しれもうさずともうすことゆへ、またまたとちゅうまででむき

候  得共 、迚 も此 大 勢 二而ハ及  兼 候   間  、黒 須
そうらえども、とてもこのおおぜいにてはおよびかねそうろうあいだ、くろす

迄 引 返 し黒 須湊  屋二泊 り、十  五日
までひきかえしくろすみなとやにとまり、じゅうごにち

昼 頃 飯 能 へ戻 り承    り候  ハヽ
ひるごろはんのうへもどりうけたわまりそうらはば


(大意)
村人たちは納得して、村役人たちの説得を聞き入れるかも
しれないというので、再度途中まで出かけた。
しかし、とても大勢で(われわれ村役人の力の)及ばぬことなので、黒須
まで引き返し黒須湊屋に泊まった。15日
昼頃、飯能へ戻り(状況を)うかがったところ、


(補足)
「村役人衆」、「衆」が独特。「血」の下部分が「m」になる。
「随ウ」、右に小さく送り仮名の「ウ」がある。「随」は「阝」+「を」。

「志連」(しれ)、変体仮名。

「昼頃」、何度か出てきているが改めて確認しながら読んでます。


 PDF資料として、「武州一揆関係資料」がダウンロードできます。
『―上名栗村名主町田瀧之助より江戸で材木問屋を営む父への書状―
丸山  美季』
一揆勢を追いかけ、平沼源左衛門と同道しているわけですが、
同じ変事を滝之助が父親へその概略を知らせている内容になります。
要領よく書かれているようにおもわれます。



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