P.7 4行目〜7行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」
(読み)
飯 能 出向 村 役 人 不残 、尤
はんのうでむきむらやくにんのこらず、もっとも
仙 太郎 儀何 様 之御用 向 有之 哉
せんたろうぎなにようのごようむきこれあるか
新 立 二扣 居 遍し、正 覚 寺并
しんだてにひかえおるべし、しょうかくじならび
醫王 寺・円 正 寺・龍 泉 寺・洞 雲 寺五ケ寺
いおうじ・えんしょうじ・りゅうせんじ・どううんじごかでら
(大意)
飯能には村役人全員で出かけたが、
仙太郎は何か御用があるかもしれないので、新立にとどまった。
正覚寺並びに、醫王寺、円正寺、龍泉寺、洞雲寺の五ケ寺
(補足)
「不残」、頻出。ここの「不」はひらがな「ふ」のように見えます。「残」の旁は「お」のよう。
「尤」、頻出。元の字と書き順が同じで覚えやすい。
「有之哉」、「有之」は常套句。「哉」もよく出てくるので、
極端に略されてほぼ「|」二本に点「、」。
寺院名が5つ続きます。地理的には北から南へ順に記されてます。
「円」の旧字は「圓」ですが、くずし字はそれらからもはなれて特徴的です。
「五ケ寺」の「五」がつぶれてしまっていて読めません。「ケ寺」からの類推でしょう。
お寺の名前のところから筆の太さが変わっています。こんな中途半端なところから書き手が変わることはないとおもいますが・・・。この次の頁では、元に戻ったと言うか、ここ数頁とは明らかに字が変わります。
ところで、どうして急にこれら五ヶ寺の名前が記されたのでしょうか。
前後のつながりは特にないようにおもわれます。この寺院名のあとに村役人の名前が列挙されています。これは仙太郎を除いて、飯能に出向いた村役人全員の名前でしょう。
では、お寺は?
下名栗、上名栗にある寺はこの5つです。それらをあずかる僧侶とも連絡をとったということでしょうか。もう少し考えてみることにします。
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