P.10 8〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」
(読み)
飯 能
はんのう
酒 や八左衛門 手始 とし天、堺 屋・板 半 ・
さかややざえもんてはじめとして、さかいや・いたはん・
中 屋穀 屋四 軒 打 毀 候 趣 、最 早
なかやこくやよんけんうちこわしそうろうおもむき、も はや
無拠 次第 と飯 能 宿 へ見舞 立 寄 、
よんどころなきしだいとはんのうしゅくへみまいたちより、
原 名主 利八 殿 迄 立 寄 、夫 ゟ 出向 候 而
はらなぬしりはちどのまでたちより、それよりでむきそうろうて
風 聞 承 候 ハヽ、牛 沢 下 か王ら二而一 同
ふうぶんうけたまわりそうらわば、うしざわしもかわらにていちどう
人 数 取 調 書 留る、夫 ゟ 下 筋 江押 出し
にんずうとりしらべかきとる、それよりしもすじへおしだし
候 趣 風 聞 二承 り驚 入 、又 々 追 欠
そうろうおもむきふうぶんにうけたまわりおどろきいり、またまたおいかけ
(大意)
飯能の酒屋八左衛門を手始として、堺屋・板半
中屋穀屋4軒が打ち壊されたそうだという。もはや
どうしようもない事態と、飯能宿へ見舞いに立ち寄った。
原名主利八殿のところまで立ち寄り、それから出向いたところで
噂を聞き集めた。牛沢下河原で村人農民の人数を調べ書き留めた。
それより、農民集団がさらに押し進んでいるとの
噂を聞きつけ驚き、すぐにまた追いかけはじめた。
(補足)
堺屋、堺屋又右衛門。板半、板屋半兵衛。中屋穀屋、中屋清兵衛。
飯能市立博物館展示ガイドブックP.47に打ち壊された商家4軒の位置が載っています。
また酒屋八左衛門の店の写真も同頁にあります。
この頁は村役人たちの動きをおって、地名がたくさん続きます。
下名栗・久林・茶内・中屋敷・新寺(にってら)・牛沢、
次頁へと進んで
黒須・扇町屋・金毘羅坂・所沢などです。
入間川(名栗川)にそって地名を記入した地図を参照して下さい。
けっこうな距離がありますが、当然歩いて追いかけているわけです。
「最早」、この上の「趣」の「取」と「最」の「取」が同じです。
「見舞」、「舞」が二文字のように見えます。
「下筋」、「筋」の「竹」と「助」が離れて、先の「舞」と同じで二文字のように見える。
「驚入」、「驚」も二文字のよう。
飯能の商家4軒を打ち壊す前に、一揆勢たちはすぐそばの飯能河原に集まりました。
今では川遊びや、バーベキューなど観光地のひとつとなってます。
飯能市立博物館のバルコニーから眺めた秋の飯能河原です。
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