P.8 最初〜7行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」
(読み)
御届 ケ罷 出候
おとどけまかりでそうろう
其 文 言
そのもんごん
乍恐 以書付 奉申上 侯
おそれながらかきつけをもってもうしあげたてまつりそうろう
武州 秩 父郡 上 名栗 村 新 古両 組 役 人 惣 代
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんこりょうぐみやくにんそうだい
当 名主 太次郎 代 忰 寅 次郎 ・組 頭 見 習
とうなぬしたじろうかわりせがれとらじろう・くみがしらみならい
徳 三 郎 奉申上候 、当 月 十 三 日 暮 六ツ時
とくさぶろうもうしあげたてまつりそうろう、とうげつじゅうさんにちくれむつどき
頃 、村 内 小前 困 窮 之者 共
ころ、そんないこまえこんきゅうのものども
(大意)
(書付)を届けるべく出かけた。
その内容は以下の通り。
恐れながら書付をもって申し上げさせていただきます。
武州秩父郡上名栗村新古両組役人惣代、
当村の名主太次郎に代り忰の寅次郎と組頭見習
徳三郎が申し上げます。今月(6月)13日夕方6時頃
村内の百姓・困窮の者どもが
(補足)
この頁から、はっきりと文面の雰囲気が変わり、最初の感じに戻りました。
筆や墨を変えても、この文書の場合筆跡が大きく変わることのほどはありませんから、
口述筆記、あるいは下書きを清書するよう誰かに頼んだという可能性がありそうな気がします。
「其文言」、初心者のわたしにすぐわかるのは「文」のみ。しばらくしてあっそうかと読める次第。
「乍恐以書付奉申上侯」、典型的な書付の表題部分。このまま覚えてしまうのがベスト。
下から返って読む部分が3箇所あるが、当時の人はそんなことは意識しなかったはずです。
「書」のくずし字はいろいろあって難しいが、ここのはとてもわかりやすい。
「新古両組」、上名栗村は1724(亨保9)年に年貢の税制上のいざこざがあり2つの組に分裂して村運営してきた。新組は年番名主制、古組は町田家の名主世襲制。村方文書については亨保10年からは古組名主の町田家が作成・保管してきた。新組組頭の平沼源左衛門のこの覚書は約20年前に発見された資料で、新組からの史料として貴重なものとされている。
「当名主」、「当」が読めないが、次の名主は読めるので類推して読む。次の行の「当月」はきれいで読みやすい。
「六ツ時頃」とわたしなら、「頃」を小さい字で行末に押し込めるが、源左衛門さんは改行して
「頃」が行頭に。みなさんはどちら派ですか。
「小前」、百姓・小作人。
「困窮し者共」、ほとんど楷書でわかりやすい。
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