P.11 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」
(読み)
牛 沢 下 二而手間取 候 ハヽ引 留メ引
うしざわしもにててまどりそうらわばひきとめひき
戻 し可申 と、跡 ヲ急 き追 欠 候 得共 、
もどしもうしべくと、あとをいそぎおいかけそうらえども
間二合 不申 候 、黒 須と承 り黒 須湊 屋江
まにあいもさずそうろう、くろすとうけたまわりくろすみなとやへ
昼 飯 頼 候 処 、只 今 臺 上 と申 事 二付、
ひるめしたよりそうろうところ、ただいまだいかみともうすことにつき、
是非共 引 留 戻 り可申 と参 り候 ハヽ、
ぜひともひきとめもどりもうすべくとまいりそうらわば、
(大意)
牛沢下で手間取ってしまい、(一揆勢を)引き止め
引き戻そうと後を急ぎ追いかけたのだが、
間に合わなかった。黒須に現れたとのことで黒須湊屋へ
昼飯をお願いしようとしたところ、(一揆勢は)今、台の上にいるというので
(今度こそばかりは)必ず引き止め連れ戻すぞと向かった。
(補足)
6月13日の夕刻に一揆勢の後を右往左往し、黒須湊屋で昼飯を頼もうとしたのが
翌日の14日です。この覚記の書き手平沼源左衛門はこのとき52歳で、もう20キロ以上を
睡眠もろくに取らずに歩き通しています。そろそろ限界のはずです。
「戻し」、「戸」の上部が分離していて読みづらい。
「跡」、「𧾷」+「亦」だが読めない。
「急」、形でおぼえるしかなさそう。
「昼飯」、朝昼夜のくずし字は重要。「昼」は冠と脚のように分かれる。「飯」は飯能と同じ。
「臺」、「吉」「冖」「至」だが読めません。
「是非」、頻出で2文字セットで覚える。
候ハヽ(そうらわば)、候得共(そうらえども)、候処(そうろうところ) など
当時は分かち書きはありましたが句読点などありませんでしたので、こうした表現を用いてひたすら文章を連ねてゆきます。
また、時制の文法的な表現も明確ではなく出来事の前後関係が不明瞭に感じます。
慣れるしかなさそうです。
「臺」(台)という地名が出てきます。現在でも所沢に「台」というバス停があります。
早稲田大学競走部合宿所のあるあたりですが、このあたりのことなのでしょうか。
黒須湊屋からは南へ6キロくらいのところです。
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