P73 東京国立博物館蔵
(読み)
廿 三 日 朝 霰 婦る寒 し主 人 云 此 六 月 四 日
にじゅうさんにちあさあられふるさむししゅじんいうこのろくがつよっか
能夜 の事 なり平 戸足 軽 能うち嫁 を取
のよるのことなりひらどあしがるのうちよめをと
里婿(ムコ)入 ニ参 り親族(シンソク)八 人 舟 ニ乗里酒 を
り むこ いりにまいり しんぞく はちにんふねにのりさけを
呑 多る尓や田助 浦 能海 尓落 テ死尓个る
のみたるにやたすけうらのうみにおちてしにける
とぞ内 十 四五能者 と舩(セン)頭 二 人助 カ里
とぞうちじゅうしごのものと せん どうふたりたすかり
个る兎角 舩 ハ危(アヤウ)き故 能らぬ可よし此 節 江戸
けるとかくふねは あやう きゆえのらぬがよしこのせつえど
ハ嘸 サワガシかるべし此 嶋 ハ至 て閑(シツカ)なり
はさぞさわがしかるべしこのしまはいたって しずか なり
廿 四 日天氣 風 婦春ま尓鶏 を認 メる此 日
にじゅうよっかてんきかぜふすまにとりをしたためるこのひ
鯨 両 三 度来ル各 \/不得当 年 ハ至 て
くじらりょうさんどくるおのおのえずとうねんはいたって
不鯨(フリヨウ)と云
ふりょう という
(大意)
略
(補足)
「廿三日」、天明8年12月23日。1789年1月18日。
「六月四日」、天明8年6月4日。1788年7月7日。
「嘸」、「さぞ」で漢字変換すると出てきます。
「当年ハ至て不鯨(フリヨウ)と云」、1789年は世界的に天候不順で凶作、海流も常とは異なり、どこも不漁だったのかもしれません。