2024年9月30日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その40

P22P23 東京都立中央図書館蔵

P23

(読み)

志あんを

しあんを


やって於き

やっておき


奈むあミ

なむあみ


多゛ぶつと

だ ぶつと


いふをあいづ二

いうをあいずに


とめさせる

とめさせる


ち うもん尓て

ちゅうもんにて


まづうき奈を

あずうきなを


千 五百  両  尓て

せんごひゃくりょうにて


身うけてをし

みうけてをし


しんぢ うの道 ぐ

しんじゅうのどうぐ


多゛てを可いあつめる

だ てをかいあつめる


ついの小そでの

ついのこそでの


もよふ尓ハか多尓可奈てこ

もようにはかたにかなてこ


すそ尓ハい可り志ち尓

すそにはいかりしちに


於ゐても奈可゛れの

おいてもなが れの


ミといふ古可の

みというこかの


こゝろを

こころを


ま奈者゛れ多り

まなば れたり


これも中 やと

これもなかやと


やまざきの

やまざきの


もうけ

もうけ


もの

もの


奈り

なり

(大意)

志庵をまたせておき、南無阿弥陀仏と言うのを合図にとめさせる手筈で、まず浮名を千五百両で身請けをして、心中の道具立てを買い集めた。

 おそろいの小袖の模様には「肩に金てこ裾には錨、質においても流れの身」という古い歌の雅(みやびな)な和歌からとったようにもったいをつけた。

 これも中屋と山崎からのあつらえものであった。

(補足)

「身うけてをし」、原稿が間違っていたようです。

「中やとやまざき」、ともに吉原出入りの呉服屋。

「しんぢうの道ぐ多゛て」、喜之介が帳面と引き合わせている物で、樒(しきみ)の枝・数珠・小田原提灯・辞世の摺物・蛇の目傘、そして喜之介の後ろに立てかけて巻いてあるものは毛氈(もうせん)とありました。浄瑠璃「心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)」のお千代・半兵衛が毛氈の上で心中したのをまねたのだろうとありました。

「か多尓可奈てこすそ尓ハい可り志ち尓於ゐても奈可゛れのミ」、この唄は「金を拾ふたらゆかたを染めよ、肩にかなてこもすそに碇、質に置いても流れぬように〜」、安永五(1776)年ごろ流行った。そしてその替え歌「金を拾ふたら浴衣を染めよ、肩にかぎざき裾にはつぎよ、質に置いても貸やしよまい〜」ともうたわれたと蜀山人(しょくさんじん)の随筆「半日閑話」にみえ、また安永七年の咄本「春宵一刻」の序にも「浴衣を染めんとおもいたつ、肩にかなてこもすそにいかり〜」とある、とものの本にはありました。

 確かに艶二郎と浮名の小袖はおそろいになっていて、肩に金梃、裾に碇の柄があります。

艶二郎は髪を結わせ終わり、はけ先(男の髷の先)をなおしています。鏡台がまた豪華。髪結いの男は油になった手を拭きながら、まわりの様子に驚くというよりもあきれ(笑い)顔です。

 

2024年9月29日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その39

P22P23 東京都立中央図書館

P22

(読み)

ゑん二郎 いよ\/のり可゛きて

えんじろういよいよのりが きて


可れこれとするうち七 十  五日 の

かれこれとするうちしちじゅうごにちの


日ぎり可゛きれうち可多ゟ ハ

ひぎりが きれうちかたよりは


可んどうをゆるさんと

かんどうをゆるさんと


まい日 のさいそく

まいにちのさいそく


奈れども

なれども


いま多゛う王きを

いまだ うわきを


志多りねバ

したりねば


志んるい中  の

しんるいじゅうの


とり奈し尓て

とりなしにて


廿 日の日のへ

はつかのひのべ


をね可゛ひ

をねが い


どふしてもしんぢ う

どうしてもしんじゅう


本どう王

ほどうわ


き奈ものハ

きなものは


あるまいと

あるまいと


てまへハいのちも

てまえはいのちも


すてるき

すてるき


奈れども

なれども


それでハうき奈可

それではうきなが


ふしやうちゆへ

ふしょうちゆえ


うそしんぢ うの

うそしんじゅうの


つもり尓て

つもりにて


さきへきの春けと

さきへきのすけと

(大意)

 艶二郎はいよいよ気分がのってきて、かれこれとするうちに七十五日の期限がきれ、家の方からは勘当を許さんと毎日の催促がきていたが、いまだに浮気をしたりなかったので、親類中のとりなしで二十日の日延べを願った。

 絶対に心中ほど浮気なものはあるまいと、自分の命は捨てる気であったが、それでは浮名が承知しないので、うそ心中ということにしようと、まえもって喜之介と(志庵をまたせておき)

(補足)

「のり可゛きて」、『乗りが◦来る

興味がわいてくる。気分が乗ってくる。乗り気になる。調子に乗る。「艶二郎いよ〱―◦きて,かれこれとするうち」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

 うそ心中の準備に忙しい面々。右から順に、喜之介(左袖に「キ」)・浮名(左袖に「う」)・禿・志庵(右袖に「志」)・髪結い・艶二郎・禿。

 心中の道具立ての詳細は次回。

 

2024年9月28日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その38

P21 個人蔵書より

(読み)

ヲヤとばゑのやう奈可保の

おやとばえのようなかおの


ひと可゛とふるミん奈きて

ひとが とうるみんなきて


ミ奈せい

みなせい


そとを

そとを


あるくと日尓

あるくとひに


やけるで

やけるで


あやまる

あやまる



まつ多

まった


もの多゛

ものだ


ま多

また


本れ多

ほれた


そふ多

そうだ


いろ

いろ


於とこも

おとこも


うるさいぞ

うるさいぞ

(大意)

水茶屋娘「おや、鳥羽絵のような顔の人が通る。みんな来てみなせぇ」

艶二郎「そとを歩くと日に焼けるので、よくなかったな。(水茶屋娘がこっちを見て何か言っているのを見て)困ったものだ、(あの娘は)また(おれに)惚れたようだ。色男もわずらわしいものだ」

(補足)

「とばゑ」、『とばえ ―ゑ【鳥羽絵】

① 〔院政末期,鳥羽僧正が始めたという〕江戸時代,簡略軽妙に日常生活を画材として描いた滑稽な戯画』

「うるさい」、『⑤ 面倒くさくて,いやだ。わずらわしい。「―・い問題が起こったものだ」』

 水茶屋の娘が笑いをこらえながら手にしている丸いものは小さな丸盆でしょうか。おかしな地紙賣だと笑いの種にしているのを勘違いしている艶二郎は幸せ者。

 水茶屋の茶碗の入っている小さい棚ダンスは側板に扇状の手を入れるところがあって運べるようになっていて、なかなかの一品。

 その下の箪笥も立派です。そしてその横の長椅子や煙草盆まで随分念入りに描かれています。

 札が立てかけてあって「御富札取次仕候(おとみふだとりつぎつかまつりそうろう)」とあるので、水茶屋で宝くじも販売していたようです。そのすぐ右側の地面にある四角のものは、なんでしょうか?

 

2024年9月27日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その37

P21 東京都立中央図書館蔵

P21 個人蔵書より

(読み)

ゑん二郎 ハのぞミのとふり可んどう

えんじろうはのぞみのとうりかんどう


をうけ个れども者ゝの可多より

をうけけれどもははのかたより


金 ハ入 用 次㐧 二於くるゆへ

かねはいりようしだいにおくるゆえ


何 ふそく奈け連

なにふそくなけれ


ども奈んぞ

どもなんぞ


う王き

うわき


奈しやう

なしょう


者゛いをして

ば いをして


ミ多く

みたく


いろ男  の

いろおとこの


するしやう

するしょう


者゛いハぢ可ミ

ば いはじがみ


うり多゛ろう

うりだ ろう


とま多゛奈つ

とまだ なつ


もこぬ尓

もこぬに


ぢ可ミ

じがみ


うりと

うりと


で可け

でかけ


一 日 二

いちにちに


あるい

あるい


て大 キ

ておおき


尓あしへ豆 を

にあしへまめを


で可しこれ二ハ

でかしこれには


こり\/とする

こりこりとする


此 時

このとき


大 キ奈すい

おおきなすい


きやうもの多゛と

きょうものだ と


よ本どうき奈立 个り

よほどうきなたちけり

(大意)

 艶二郎はのぞみ通り勘当を受けたが、母の方より金は必要なだけ送るられてくるので何の不足もなかった。しかし何か浮気な商売をしてみたく、色男のする商売は地紙売りだろうと、まだ夏も来ぬのに地紙売りと出かけ、一日中歩いて大きな豆を足にこしらえてしまい、これにはコリコリとまいってしまった。このときにはずいぶんな酔狂物だとたいそう浮名がたった。

(補足)

「入用次㐧」、「入用」は読めたけど、後半はにらめっこしてもダメでした。

「ぢ可ミうり」、『じがみうり ぢ―【地紙売り】江戸中期,多く若衆姿で扇の地紙を売り歩いた者。初夏の頃から伊達な身なりで箱をかついで市中をまわった』

「世渡風俗圖会一」にちょっと地味ながらも「地紙賣」がありました。

 ついでに「團扇賣」。

 まず目に飛び込んでくるのは水茶屋の葦簀(よしず)。異様に丁寧です。

左端は葦ではなく細い竹で丈夫にして、一番下は横糸を二重してます。

また彫師も微妙に葦の間隔を変えて、少しうねっているように見せ、何よりも摺師が適度に葦簀の表面をかすれさせて自然な感じに仕上げています。さらに、葦簀の左下、葦簀の支えをほんの少し見せているところが、これがあるのとないのとでは(実際に指先でかくしてみればわかります)雲泥の差で、なんともうまい!

 地紙賣も團扇賣も風流だなぁ。

 

2024年9月26日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その36

P20 東京都立中央図書館蔵

(読み)


げん

げん


本゛り

ぼ り




ある

ある


げい

げい


しや

しゃ


七 八 人

しちはちにん


ゑん二郎 二

えんじろうに


やと王れ可んどうの

やとわれかんどうの


ゆりるよふ二と

ゆりるようにと


あさくさの

あさくさの


く王んのんへ

か んのんへ


者多゛しまいりを

はだ しまいりを


する奈る本ど

するなるほど


者多゛しまいりと

はだ しまいりと


いふや川可゛大 可多ハ

いうやつが おおかたは


う王き奈もの也

うわきなものなり


ゑゝ可げん二

ええかげんに


奈ぐつて者やく

なぐってはやく


志ま王をねへ

しまわをねへ


十  ど

じゅうど


まいり

まいり


くらひで

くらいで


いゝのさ

いいのさ

(大意)

 薬研堀の有名な芸者七八人が艶二郎に雇われ、勘当が許されるようにと、浅草の観音様へ裸足参りをする。なるほど裸足参りというやつは、ほとんどが浮気なことからのものである。

芸者一「いい加減にうっちゃって早くおしまいにしちまおう」

芸者二「十度参りくらいでいいのさ」

(補足)

「やげん本゛り」、『やげんぼり【薬研堀】

② 江戸時代,現在の東京都中央区東日本橋両国にあった堀の名。江戸中期に埋め立てられた。不動堂があり,また付近は芸者,中条流の医師が多く居住した』

「ゆりる」、『ゆ・りる【許りる】

① ゆるされる。許可される。赦免される。「貴方(あなた)の御勘当が―・りてから」〈怪談牡丹灯籠•円朝〉』

「奈ぐつて」、『なぐ・る【殴る・擲る・撲る】』

③ 投げやりにものをする。「ええかげんに―・つてはやくしまはうねえ」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉

「やと王れ可んどうの ゆりるよふ二と」、「や」と「ゆ」、よく見れば違いはありますが、ほとんどおなじかたちです。ながれから読んだほうがよさそう。

 浅草観音の境内で裸足参りをする芸者三人。左の芸者は右手に藁の緡(さし)『② 百本のこより,または細い縄を束ねて根元をくくったもの。神仏への百度参りのとき,数を数えるのに用いた。百度緡。「おその下女にてお百度の―を持ち」〈歌舞伎・お染久松色読販〉』を持っている。

 足元には銀杏の葉が散り、うしろの葦簀(よしず)がけの店は目玉のような的印の土弓場(どきゅうば)。その右は「御屋うじ所 柳やすぐ兵衛」の看板、つまり、浅草の奥山の銀杏の木のあたりで、ここには房楊枝や爪楊枝を売る店が多く、それぞれ美人の看板娘をおいていた。土弓場はとくに看板娘目当ての浮気男の集まるところでもありました。

 なかでも明和五(1768)年頃、柳屋のお藤という美人は笹森お仙とならび称され、錦絵や唄にもなり銀杏娘と呼ばれた。

 というような、とても深い背景が(ものの本にあって)この画には描き込まれているのでありますが、当時の人達はこの画をひと目みるなり、ニヤリとしたことでありましょう。

 

2024年9月25日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その35

P19 東京都立中央図書館蔵

P19 書籍より

(読み)

ちち


のぞミとある

のぞみとある


可らぜひ可゛

からぜひが


奈い者やく

ないはやく


でゝうせろ

でてうせろ


これハ

これは


王可

わか


多゛ん奈

だ んな



お本゛し

おぼ し


めし

めし


志可る

しかる


遍゛うぞんじ

べ うぞんじ


ませぬ

ませぬ


ね可゛いのとふり

ねが いのとうり


御可んどうとやあり

ごかんどうとやあり


可゛多や\/   四百  四ひやうの

が たやありがたやしひゃくしびょうの


やまいより

やまいより


可ねもち

かねもち


本ど

ほど


つらい

つらい


ものハ

ものは


奈いのさ

ないのさ


可わい

かわい


男  ハ

おとこは


奈ぜ

なぜ


金 持

かねもち


じや

じゃ


やら

やら

(大意)

父「そうしたいと望むなら仕方がない。早く出てうせろ」

番頭候兵衛「この若旦那のお考え、そうするのがよいとは存じませぬ」

艶二郎「お願いした通り、ご勘当とはありがたやありがたや。四百四病の病より金持ちほどつらいものはないのさ。〽かわいい男はなぜ金持ちじゃやら」

(補足)

「四百四ひやうのやまい」、諺「四百四病のやまいより貧ほどつらいものはなし」のもじり。

「可わい男ハ奈ぜ〜」という女心を唄う歌詞は当時世間一般によくしられていて、多くの歌謡にあらわれた、とありました。

 番頭のセリフからもわかりますが、座り方も背筋をピンと伸ばして、真面目一筋、融通などききそうもありません。

 

2024年9月24日火曜日

江戸生艶氣樺焼 その34

P19 東京都立中央図書館蔵

(読み)

ゑん二郎 せ个んの

えんじろうせけんの


う王さするを

うわさするを


きく

きく



かね


もち


ゆへ

ゆえ


ミ奈

みな


よく

よく



する

する



いふ

いう


こと

こと



きゝ

きき


き う二

きゅうに


可年もち可゛

かねもちが


いや二奈り

いやになり


どふぞ

どうぞ


可んどうを

かんどうを


うけ多く

うけたく


於もひ

おもい


両  しん二

りょうしんに


ね可゛いけれども

ねが いけれども


ひとりむすこの

ひとりむすこの


ことゆへけつして

ことゆえけっして


奈らねどもよふ\/者ゝのとり奈し二て

ならねどもようようははのとりなしにて


七 十  五日 可間  の

しちじゅうごにちがあいだの


可んどう尓て日ぎり可゛

かんどうにてひぎりが


切レると早 \/うちへ

きれるとそうそううちへ


ひきとるとの事 也

ひきとるとのことなり

(大意)

 艶二郎は世間の噂を聞いてみると、金持ちは金があるので欲得でするということを聞き、急に金持ちがいやになって、どうしても勘当してほしくなり、両親に頼んだ。しかしひとり息子なので決してそのようなことはできぬが、やっとのこと母のとりなしで、七十五日の間の勘当で、期限がきたら早々に家へ引き取るとのことであった。

(補足)

 趣味の良さそうな金持ちの居室です。母親は立膝気味の横座り、父親は立膝とこのような座り方が普段の生活では当たり前だったようです。母親の鬢だけが念入りに彫られています。

 縁側の奥に見えるのは葉蘭(はらん)とものの本にはありましたが、万年青(おもと)にも見えます。障子の桟はちと手抜きのようであります。

 

2024年9月23日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その33

P18 東京都立中央図書館

(読み)

うぬ可やふ奈いゝ於とこ可゛

うぬがようないいおとこが


ちらつくと女 郎 し由可゛

ちらつくとじょろうしゅが


あ多ついて奈らぬゆへ

あだついてならぬゆえ


於いらもちつとやき

おいらもちっとやき


もちのすじ多゛と

もちのすじだ と


いふせりふハ

いうせりふは


こつち可ら

こっちから


ち うもんて

ちゅうもんで


い王せるの

いわせるの


奈り

なり


きり於とし可ら

きりおとしから


者゛ち可あ多ると

ば ちがあたると


いふ者゛多

いうば だ


その

その


尓ぎり

にぎり


こぶし可゛

こぶしが


三 分ツゝ尓

さんぶずつに


ついている

ついている


ちとい多く

ちといたく


てもよい可ら

てもよいから


春゛いぶん

ず いぶん


ミへの

みえの


よい

よい


やう二

ように


多のむ

たのむ


\/

たのむ

(大意)

地廻り一「お前のようないい男にうろうろされると女郎衆が浮ついて落ち着きがなくなるので、おいらもちょっと焼き餅の筋(ねたましいの)だ」という云うセリフはこっちからの注文で言わせているのである。

地廻り二「切り落としから「罰あたり!」と、声がかかる場面だ」(色男の二枚目役(艶二郎))に、観客から「罰当たり」と掛け声がかかる、そのような場面だ)

艶二郎「その握りこぶしが三分(一両の四分の三)ずつにつくぞ。ちと痛くてもかまわぬから、しっかり見た目がよいようにたのむ、たのむ」

(補足)

「あ多ついて」、『あだつ・く 【徒付く】

② 異性に対する思いで落ち着きがなくなる。「うぬがやうないい男がちらつくと,女郎衆が―・いてならぬ故」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

「きり於とし」、『【切り落とし】

① 江戸時代の劇場で,平土間に設けた大衆席。桝席(ますせき)とせず,客を何人でも詰めこんだので追い込み場ともいう。大入り場。〔古くは舞台であった部分を切り落として作ったところからの名という〕』

 文章の文字数が余白を埋め尽くしているので、今までの頁のように描けないのではないかとおもいきや、右脇に火の用心の水桶と看板、左脇には門柱(建物の角かも?)を配置して遠近を強調しているし、殴っている地廻りの着物柄は三本線の縦横縞で、横縞を縦縞が横切っているという凝りよう。

 また左の地廻りは足袋に下駄、左足にも下駄のまま艶二郎を蹴飛ばしています、こりゃ痛い。

 

2024年9月22日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その32

P18 東京都立中央図書館蔵

(読み)

せい多いをぬりあげや

せいたいをぬりあげや


まちのぎん多゛し尓て

まちのぎんだ しにて


さつとミつ可ミ尓

さっとみずがみに


ゆひ多ぶさを

ゆいたぶさを


つ可むとぢき尓者゛ら\/と

つかむとじきにば らばらと


本どけるよふ二してぶ多れ个る可゛

ほどけるようにしてぶたれけるが


ついぶちどころ王るく可多いき二

ついぶちどころわるくかたいきに


奈つて可ミすき所  でハ奈く

なってかみすきどころではなく


きつけよ者りよと

きづけよはりよと


さ王ぎてよふ\/

さわぎてようよう


き可゛つき个り此 時

きが つきけりこのとき


よつ本゜と者゛可もの多゛と

よっぽ どば かものだ と


いふうき奈すこし

いううきなすこし


者゛可り多ちけり

ば かりたちけり

(大意)

 青黛(せいたい)をぬり、揚屋町の銀出しをつかい、サッと軽く水髪に結いあげ、髻(たぶさ)をつかむとすぐにバラバラとほどけるようにしてからぶたれた。しかし、うっかりぶちどころ悪く、たいそう苦しく息もたえだえになり、髪梳(かみすき)どころではなくなり、意識をはっきりさせようとしたり鍼をつかったりと騒ぎになり、やっとのことで気が付き意識がはっきりとした。このときになって、よほどの馬鹿者であるという噂が少しばかりたったのだった。

(補足)

「せい多い」、『せいたい【青黛】② 青い眉墨(まゆずみ)。また,それでかいた眉。

③ 俳優が月代(さかやき)などを青くするために用いる顔料』

「あげやまち」、『揚屋町』吉原五町のひとつ。吉原遊郭は横約330m、縦約250mの四角形。

「ぎん多゛し」、『ぎんだし【銀出し】「銀出し油」の略。「揚屋町の―にて,さつと水髪にゆひ」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』『ぎんだしあぶら 【銀出し油】髪の毛につやを出すのにつけるねり油。ビナンカズラのつるの皮を水に浸してねばりを出したもの。びんつけ油よりかたく芳香がある』

「ミつ可ミ」、『みずがみ みづ【水髪】〔「みずかみ」とも〕水油で結い上げた髪。また,水でなでつけただけの髪。「昼に洗ふた―を紅絹の切つ端で結んだまゝ応対したのぢやわな」〈縁•弥生子〉』。毛がバラバラになりやすい。

 艶二郎は「中の丁の人高い所尓てぶ多れる徒もり」でしたが、画では天水桶の上の看板には「〜丁目」とあってさて?

 艶二郎はたぶさをつかんでなぐられ髪はバサバサ、左の「志゛ま王りのき於ひ」は蹴飛ばしています。

 

2024年9月21日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その31

P18 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎 志者゛ゐをミてと可くいろ男  と

えんじろうしば いをみてとかくいろおとこと


いふものハぶ多れるものと於もひ

いうものはぶたれるものとおもい


志きり二ぶ多れ多く奈り志゛ま王り

しきりにぶたれたくなりじ まわり


のき於ひをひとりまへ三 両  ツゝ尓て

のきおいをひとりまえさんりょうずつにて


四五人 多のミ中 の丁  の人 高 い

しごにんたのみなかのちょうのひとだかい


所  尓てぶ多れる徒もりで

ところにてぶたれるつもりで


ちややの二可い二ハ藤 兵へを

ちゃやのにかいにはとうべえを


やとゐ於きてめりやすを

やといおきてめりやすを


う多王せミ多゛れ多可ミ

うたわせみだ れたかみ


をうき奈尓春可せる

をうきなにすかせる


つもり尓てさ可やきへハ

つもりにてさかやきへは

(大意)

 艶二郎は芝居を見てどうやら色男というものは、ぶたれるものだとおもい、しきりにぶたれたくなった。地廻りの威勢のいい連中をひとり三両ずつで四五人を雇い、中の町の人通りの多いところでぶたれるつもりで、また茶屋の二階には藤兵衛を雇いおきてめりやすを唄わせ、みだれ髪を色男っぽくすかせるつもりで月代(さかやき)には、

(補足)

「藤兵へ」、吉原の男芸者、荻江藤兵衛。荻江節『宝暦・明和(1751〜1772)頃,荻江露友(?〜1787)が始めた座敷芸風の唄。長唄から派生したもので,地歌の曲調をも取り入れ,伴奏には囃子(はやし)を用いず三味線だけを用いる』をよくした、とありました。

「藤」のくずし字もそこそこでてきて「艹」+「友」のようなかたち。

「めりやす」、『〔場面により演奏が伸縮できることから〕

① 下座音楽の一,かつ,長唄の曲種の一。独吟の唄と三味線一挺(ちよう)のみのしんみりとした曲。芝居では,役者が台詞(せりふ)なしで静かな演技を続ける心理描写的な場面(思い入れなど)で,効果音楽として陰で演奏される。「黒髪」「五大力」など。

② 義太夫節の三味線の手の一。フシ(旋律的な語り)のない部分で,コトバ(台詞)や人物の動きの伴奏として,短い旋律型を繰り返して演奏する』。以前にも出てきました。

「ミ多゛れ多可ミ」、髪梳(かみすき)は曽我狂言の趣向。曽我十郎のみだれ髪を大磯の宿の遊女、虎御前にすかせる。それをまねてめりやすを三味線一本と唄でやろうとした、とありました。もう何から何まで芝居がかっていて、とことん馬鹿を極める艶二郎であります。

 関取並みにガタイのいい「志゛ま王りのき於ひ」二人にぶたれる艶二郎、やらせとはいえ真に迫りすぎ、このあと気を失う。ばかだねぇ。左の男の腰の煙草入れと煙管いれ、おしゃれであります。


 

2024年9月20日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その30

P16P17 東京都立中央図書館蔵

P16

(読み)

とんだいそぐね本年ハ

とんだいそぐねほねは


志げ本年二して可王ゝ

しげぼねにしてかわは


本んぬり二志んち うの

ほんぬりにしんちゅうの


可奈ものいくら可ゝつても

かなものいくらかかっても


いゝ

いい


可ら

から


春゛い

ず い


ぶん

ぶん


里つ

りっ


者゜尓

ぱ に


志てへ

してへ



P17

ちとき う二ハでき可年ます

ちときゅうにはできかねます


このあい多゛ハよし王らの

このあいだ はよしわらの


さくらのちやうちん

さくらのちょうちん


をい多して於ります

をいたしております

(大意)

喜之介「大至急で、骨は繁骨(しげぼね)にして、側は本塗りの漆にして真鍮の金物、いくらかかってもいいから、できるだけ立派にしてほしいのぉ」

提灯屋「ちょっと急にはできかねます。この頃は吉原の桜の提灯をいたしております」

(補足)

「志げ本年」、『しげぼね【繁骨】② 提灯(ちようちん)の骨の目の細かいもの』

「このあい多゛」、『② このごろ。近頃。このじゅう。「―は不掃除なによつて,お目にかくることはなるまい」〈狂言・萩大名•虎寛本〉』

「よし王らのさくらのちやうちん」、吉原名物夜桜の催しのときの提灯。軒下の提灯がそのときのもののよう。またこの桜は中の町の通りに二月下旬に移植し、三月三日を花開きとして夜桜を宣伝し、花が散ると撤去した。この桜の様子の浮世絵などはたくさん残されていますが、これもそのひとつ。

 一番左側に(桜?の)盆栽があって、小さな石灯籠や飾り石もあります。

この縁台もこれまた手が込んでいて角は錺金物。また家側のところだけ支えがつけられています。

 

2024年9月19日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その29

P16P17 東京都立中央図書館蔵

P17

(読み)

中 やへハ

なかやへは


ちやうづ

ちょうず


てぬぐい

てぬぐい



あつらへ

あつらえ


これも

これも


ひよく

ひよく


もん

もん


尓て

にて


志よ\/

しょしょ


の者やり

のはやり


可゛ミへ

が みへ


春゛い

ず い


ぶん

ぶん


め二多つやう二

めにたつように


本うのうするこれも

ほうのうするこれも


よつ本゜どのい多こと也

よっぽ どのいたごとなり


もちろん何 のぐ王んも

もちろんなんのが んも


奈个れどもこのやう二奉 納 ものハ

なけれどもこのようにほうのうものは


奈る本どう王き奈さ多奈り

なるほどうわきなさたなり

(大意)

 中屋へは手水手拭いをあつらえ、これも比翼紋にしてあちこちにいらっしゃる神様へ、しっかり目立つように奉納した。これもずいぶんな出費となった。もちろん何の願もかけないのだが、このような奉納物はなるほど浮気な評判にはなった。

(補足)

「中や」、中屋は吉原遊廓に出入りの、田町の呉服屋とありました。

「ちやうづてぬぐい」、『【手水手拭い】寺社などで手や顔を洗い清める時に使う手拭い』

 軒下にぶら下がっている提灯、左側の長細いのは「ま川者やう多ひめ(松葉屋歌姫)」(「ひ」の上の文字は不明)、真ん中の下のは「傳」と読めて京傳自身、右側の上の「多」は遊女の名らしい、一番下は「みのや」とあって、これは江戸町一丁目の妓楼とありました。

 提灯の軒の上の屋根は瓦ではなく檜皮葺のように板を重ねての仕上げです。何から何まで凝ってます。

 

2024年9月18日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その28

P16P17 東京都立中央図書館

P16

(読み)

ゑん

えん


二郎 ハ

じろうは


やく

やく


しや

しゃ


女 郎

じょろう





こゝ

ここ








可う

こう


いんどう里やうの

いんどうりょうの


可いて うへちやう

かいちょうへちょう


ちんを本うのう

ちんをほうのう


せんと於もひ

せんとおもい


うき奈とてまへの

うきなとてまえの


もんをひよくもん二

もんをひよくもんに


つけさせるち うもん

つけさせるちゅうもん


尓てき多りきの介

にてきたりきのすけ


P17

うけあいて多まちの

うけあいてたまちの


て うちんやへ

ちょうちんやへ


あつらへ个る

あつらへける

(大意)

 艶二郎は役者や女郎になったつもりになって、回向院道了の開帳へ提灯を奉納しようとおもい、浮名と自分の紋を比翼紋に付けさせる注文で、北里喜之介に請け負わせ、田町の提灯屋へ作らせた。

(補足)

「ゑ可ういん」、『えこういん ゑかうゐん 【回向院】東京都墨田区両国橋東詰にある浄土宗の寺。明暦三年の大火(1657年)による焼死者約十万人を供養するため幕府が建立。以後も無縁仏・刑死者を弔った。供養の勧進相撲がしばしば興行され,旧国技館が建てられるに至った』

「どう里やう」、『どうりょうさった だうれう― 【道了薩埵】

室町期の曹洞宗の僧。出生は不明。師の了庵慧明を助けて相模最乗寺を創建。神通力をもち,仏法を守護すべしとして天狗となったという伝説から,後世,広く信仰を集めた。生没年未詳』。天明四(1784)年、この黄表紙出板前年の三月十五日〜五月五日まで回向院で道了尊の出開帳があった。

「ひよくもん」、『ひよくもん【比翼紋】

相愛の男女が各々の紋所を組み合わせて作った紋。二つ紋。比翼』

「多まち」、吉原の近所。日本堤下の町。

「御ちやうちん所」の店先。中央へ座るは喜之介(片仮名「キ」があります)。あるじが見ているのは注文書でしょうか。

 工房の雰囲気を出すために諸道具の描写が凝っています。糊鉢に刷毛。小刀・筆・硯箱。制作中の提灯。主人の後ろにあるのは紙を入れる引き出し。材料の竹と細ぎりにした柵の束。

 右側には完成した何種類もの提灯があって、書かれている文字は何とある?

 

2024年9月17日火曜日

江戸生艶氣樺焼 その27

P15 東京都立中央図書館蔵

他の黄表紙

(読み)

於とこを

おとこを


とめて

とめて


於き

おき


くさつ

くさっ


て又

てまた


於まへ

おまえ


さんも

さんも


於まへさん多゛

おまえさんだ


あい

あい


そう

そう


奈すつ

なすっ


多可゛

たが


いゝの

いいの


さと

さと


まづ

まづ


こゝ

ここ


ぎり二

ぎりに


志やせ う

しやしょう


者づ可しいこつ多可゛うまれて可ら者じめて

はずかしいこったが うまれてからはじめて


やきもちをや可れてミるどふもいへねへこゝろ

やきもちをやかれてみるどうもいえねぇこころ


もち多゛

もちだ


もちつとやいて

もちっとやいて


くれ多らてめへ

くれたらてめえ


可゛ね多゛つ多八 丈

が ねだ ったはちじょう


と志満ちりめん

としまちりめん


を可つてやらふ

をかってやろう


もちつと

もちっと


多のむ

たのむ


\/

もちっとたのむ


このあとハ

このあとは


八 丈  としま

はちじょうとしま


ちり可゛

ちりが


きてのことさ

きてのことさ

(大意)

妾「男を泊めくさって。またおまえさんもおまえさんだ。はいはい、好きなようにするがいいのさ。まずはこのくらいにしておきやしょう」

艶二郎「恥ずかしいこったが、生まれてからはじめて焼きもちを焼かれた。なんとも言えねぇ気分だ。もちっとやいてくれたら、てめえがねだった八丈と縞縮緬を買ってやろう。もちっとたのむ、もちっとたのむ」

妾「このつづきは八丈と縞ちりが手に入ってからのことさ」

(補足)

 やきもちの「もち」に引っ掛けて、こころ「もち」だ、「もち」っと、と洒落ています。

左の立派な衣裳箪笥(普通は豪華な桐の箪笥になるはずですけど、金庫並みに頑丈一点張り)、ここに八丈と縞縮緬がおさまるわけ。

 艶二郎、首に襟巻きのようなものをしているように見えますが、色男ぶったおしゃれか?


2024年9月16日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その26

P15 東京都立中央図書館蔵

他の黄表紙

(読み)

ゑん二郎 五六 日

えんじろうごろくにち


ぶり尓てうちへ

ぶりにてうちへ


可ゑりけれバ

かえりければ


まち毛うけ多る

まちもうけたる


め可けこゝぞ

めかけここぞ


本うこうの

ほうこうの


志ところと可年て

しどころとかねて


ふくして於ゐ多

ふくしておいた


ぞんぶんを

ぞんぶんを


やき可ける

やきかける


本ん二於とこといふ

ほんにおとこという


ものハ奈ぜ

ものはなぜ


そん奈尓

そんなに


きづよい

きづよい


もん多゛ねへ

もんだ ねぇ


それ本ど二

それほどに


本れ

ほれ


られる

られる


可゛いや

が いや


奈ら

なら


そん

そん


奈いゝ

ないい


於とこ尓

おとこに


うまれ徒可ねへ可゛

うまれつかねぇが


いゝのさま多

いいのさまた


女 郎 も女 郎 多゛

じょろうもじょろうだ


ひとの大 じの

ひとのだいじの

(大意)

 艶二郎は五六日ぶりに家へ帰ってきたので、準備して待ち受ける妾はここが奉公のしどころと、かねてから練習しておいた焼きもちの言葉を存分に言った。

妾「ほんに男というものは、なぜそんなにつれないもんなんだろうねぇ。それほどに惚れられるのが嫌なら、そんないい男に生まれなけりゃよかったのさ。また女郎も女郎だ。人の大事な」

(補足)

 下が破けているので他の黄表紙を借りました。

「五六日」、「五」のくずし字は特徴的。「六日」がなかったら読めなかったと思います。

「まち毛うけ多る」、変体仮名「毛」ではなく平仮名「ま」かもしれません。

「きづよい」、『③ 情にほだされない。つれない。「ほんに男といふものはなぜそんなに―・いもんだねえ」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

 P9では状差しが右端に描かれていましたが、ここでは目立つようにおおきく「きしやうさし」とあって何通か入っているようです。これは『きしょう ―しやう【起請】③ (男女が)互いにとりかわす,固い約束。また,それを記した文書。「花川といへる女に―を書せ」〈浮世草子・好色一代男3〉』で、女郎が馴染客に誓いを立てた起請文を手渡したもの。

 妾の焼きもちはもちろん演技ですけど、着物姿の線がやわらかくきれいですね。

 

2024年9月15日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その25

P14 東京都立中央図書館蔵

(読み)

志んぞう

しんぞう


可ぶろハ

かぶろは


人 形

にんぎょう



もらふ

もらう


やくそく

やくそく


尓て

にて


む多゛を

むだ を


いゝ\/

いいいい


ひき

ひき


ずつて

ずって


ゆく

ゆく


これさまア

これさまあ


者奈してくれろ

はなしてくれろ


こうひき徒゛ら連て行 所  ハ

こうひきづ られてゆくところは


とん多゛ぐ王いぶん可゛いゝ

とんだ が いぶんが いい

(大意)

 新造、禿は人形をもらう約束で、無駄口を言いながら引きずってゆく。

艶二郎「これさ、まぁ、はなしてくれろ、こうして引きづられて行くところは、なんとも外聞がいい」

(補足)

「ひき徒゛ら連て行」、「行」のくずし字は頻出。「ヽ」+「り」のようなかたち。

 新造(はどこかがむしゃらといった感じ)と禿二人が艶二郎を引きずってゆく力の入れ具合や着物のみだれ、からだの動きが実写のように描かれていてとても上手です。

 艶二郎は頭巾をわざわざかぶってよりそれらしく演じ、普通なら大門付近でこんなことをされたら外聞悪くみっともなく恥ずかしいが、ニヤケ顔の艶二郎はご満悦。

 そばに、「中」とかかれた提灯を持つ男がいるのは、このあと提灯屋のはなしの伏線です。

 

2024年9月14日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その24

P14 東京都立中央図書館蔵

(読み)

ゑん二郎 ハいへざくらを於もひい多゛し

えんじろうはいえざくらをおもいいだ し


かへるさつ个るいぬざくら

かえるさづけるいぬざくら


くぜつのつ本゛ミ

くぜつのつぼ み


本ころびし

ほころびし


そでを可ぶろ可゛

そでをかぶろが


ち可らぐさ

ちからぐさ


ひ可連てゆくや

ひかれてゆくや


うしろ可゛ミ

うしろが み


こゝろつよくも

こころつよくも


きり可゛やつといふ

きりが やつという


もんくより

もんくより


本可のきやく人 の

ほかのきゃくじんの


つ可まるをうらやま

つかまるをうらやま


志きこと二於もひ

しきことにおもい


何 の事 も奈い尓

なんのこともないに


志んぞうや可ぶろを

しんぞうやかぶろを


多のミこつち可ら

たのみこっちから


大 門 尓つけてゐて

おおもんにつけていて


徒らまり者於り

つらまりはおり


ぐらいハひつさけても

ぐらいはひっさけても


多゛いぢ奈いといふ

だ いじないという


やくそく尓て

やくそくにて


ひきづられて

ひきづられて


ゆく

ゆく

(大意)

 艶二郎は家桜を思い出し、「かえるさつげる犬桜、口舌のつぼみほころびし、袖を禿が力ぐさ、引かれてゆくや後ろ髪、心つよくもきりがやつ」という文句から、他の客がつかまっているのをみてうらやましくおもい、わけもなく、新造や禿にたのみ、(艶二郎が)こっちから大門に張り込んでいてわざとつかまり、羽織ぐらいは引き裂かれてもかまわないという約束で、引きづられて行った。

(補足)

「いへざくら」、河東節「助六郭家桜(すけろくくるわのいえざくら)」。寛延二(1749)年三月中村座初演。この年、吉原仲之町に初めて桜を植えたのを助六劇にとりいれたもので、海老蔵(二世団十郎)の助六が大当たりだった、とありました。

「いぬざくら」、『【犬桜】バラ科の落葉高木。高さ5~10メートル。本州中部以西に分布。葉はサクラに似る。春,白い小形の五弁花を総状に多数つける』。帰る時刻を告げるように犬が吠えるのに掛けている、とありました。

「くぜつ」、『【口舌・口説】〔古くは「くぜち」とも〕

① 言い争い。特に,恋のうらみ言や痴話(ちわ)げんか。「抱かれて寝ても,顔が気にいらぬと―仕懸られ」〈浮世草子・好色一代男7』

「ち可らぐさ」、口舌がはじまり、男が帰ろうとすると、禿が袖にすがって引きとめようとしてひかれていく。男も後ろ髪をひかれるおもい。

「きり可゛やつ」、『桐ヶ谷〔もと鎌倉桐ヶ谷から出たのでいう〕桜の品種の一。一重咲きもあるが多くは八重咲きで,薄紅色。最高の品種とされている。八重一重』。

 心強くそんな思いを振りきり、帰ってゆく。「きり」に引っ掛けるのにわざわざこんな地名まで出して、多くの人はついていけないはずであるとともに、知ったかぶりをしたい人にとってはうれしい。

「何の事も奈い尓〜」、普通馴染客がことわりなしに他所の妓楼に通うようなとき、そうはさせまいと、新造や禿が大門あたりに待ち伏せ、目当ての客を無理に引きづってゆく。艶二郎はそれとは反対に自分が大門あたりにひそみ、色男を演じたいためにわざとつかまって引きづられてゆきたいということ。

 河東節「助六郭家桜」を理解するだけでもこんなにながくなってしまいました。

大変です💧💧💧

 右下に看板「中の町」があって、大門からまっすぐの通りに桜を植えました。

 

2024年9月13日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その23

P12P13 東京都立中央図書館蔵

P13

(読み)

於連可゛

おれが


やくも

やくも


つらい

つらい


やく多゛

やくだ


ざしきの

ざしきの


うちハ

うちは


大 じんて

だいじんで


とこ可゛

とこが


於さまると

おさまると


まきへの

まきえの


多者゛こ

たば こ


本゛んと

ぼ んと


於れ

おれ


者゛可り

ば かり


これも

これも


とせい

とせい


多゛と

だ と


於もへバ

おもえば


者らも

はらも


多ゝぬ可゛

たたぬが


五 ツぶとん

いつつぶとん


尓しきのよぎでねる多゛けぢ尓奈らねへ

にしきのよぎでねるだ けじにならねぇ

(大意)

志庵「オレの役もつらい役だ。座敷のときはお大尽で、それが終わって寝床に入ると、蒔絵の煙草盆とオレばかりだ。これも渡世だとおもえば腹も立たぬが、五つ蒲団・錦の夜着で寝るだけ痔(持)にならねぇ(わりがあわねぇ)」

(補足)

「よぎ」、『よぎ【夜着】夜,寝るとき上に掛けるもの。特に,綿を入れて掛け蒲団とする大形の着物をいう。かいまき。小夜着。季冬「ひとり寝や幾度―の襟をかむ」来山』

 「みつぶとん【三つ布団】敷き布団を三枚重ねたもの。江戸時代,遊郭で最上位の遊女の用いた夜具」はよくでてきますが、「五ツぶとん」はさらにその上をいくものででしょう。絵にもあるように(ここでは四つまでしか数えられませんが)、たいそう豪華であります。そして錦の夜着、これもまた山のようになって豪華豪華。

 ジジイのわたしは母から受け継いだきっと百年くらいはたっている、かいまきがあります。綿がぎっしり詰まっていてこれをかけて寝ると確かに暖かいのですが、重くて(ずれんないから隙間から冷たい空気が入らない)夜中にうなされます。

 志庵の前には蒔絵の煙草盆(四つ脚と底板があります)、かたや艶二郎の部屋には持ち手のついた普通の煙草盆。小便所のとなりでせんべい布団、煙草盆もそこいらにあるもの、艶二郎はこれでウフフと感じ入り、浮名は「ぬしハ春いきやう奈ひと」と持ち上げ、さすが「てのある女郎」であります。

 枕屏風にしては大きいですけど、朝顔の絞り染めのような柄、それもこんなにたくさん、彫師泣かせです。

 

2024年9月12日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その22

P12P13 東京都立中央図書館蔵

P13

(読み)

てまへ可゛於れ可゛とこへくるとあつぢらの大 じん可゛

てまえが おれが とこへくるとあっぢらのだいじんが


やけを於こしてやりてやま王しをよんでこゞとを

やけをおこしてやりてやまわしをよんでこごとを


いふうちのこゝろもちのよさハどうやすく

いううちのこころもちのよさはどうやすく


ふんでも五六 百  両  可゛ものハあるのさ

ふんでもごろっぴゃくりょうが ものはあるのさ


本ん二

ほんに


ぬしハ

ぬしは


春い

すい


きやう

きょう



ひとで

ひとで


ござ里んす

ござりんす

(大意)

艶二郎「てめえがおれのところへ来ると、あっちの大尽(金持ちをよそおうわるい志庵)がやけを起こして、遣り手や回し方をよんで小言を言う(のをおもうと)この心持ちの気分の良さは、どう安くふんでも五六百両ぐらいのものはあるのさ」

浮名「ほんにぬしは酔狂なひとでござりんす」

(補足)

「てまへ可゛於れ可゛」、ここの「於」は一部がかけてしまったのか「於」にはみえません。

「やりて」、『やりて【遣り手】④ 妓楼で,遊女の教育・監督,客との応対など,一切を切り回す女性。多くは古手の遊女がなった。花車(かしや)。やりてばば』

「ま王し」、『まわしかた まはし― 【回し方】遊里で,遊女の座敷・寝具など器物の世話をする男。深川では,男女あり,着付け・送り迎えなどをした。回し。「―はたき火にあたり」〈洒落本・通言総籬〉』

 艶二郎の部屋は、隣が小便所という妓楼でも最低の部屋。しかし偽お大尽わるい志庵がいるところはその正反対。そして浮名は志庵のほうではなく、艶二郎のほうの部屋へやってくる(左足のふくらはぎとそのちょっと上までみせているのは当時精一杯の読者サービス。また左手に懐紙をもっているのもこれからいよいよというファンサービス。口にはなにかくわえています)。艶二郎はお大尽になびかず、安い揚代でももてる色男の気分を存分に味わって「金じゃねぇよなかみだよ」と優越感をあじわっているというわけ。五六百両なんて安い安い。アホもここまでくればめでたい。

 P13のみ他の黄表紙画像から拝借しました。

 

2024年9月11日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その21

P12P13 東京都立中央図書館蔵

P12

(読み)

於もへども多ゞまぶ尓奈らふと

おもえどもただまぶになろうと


いつてハむ可ふ可゛ふせ うち由へ

いってはむこうが ふしょうちゆえ


王るゐ志あん可゛名あて尓てうき奈を

わるいしあんが なあてにてうきなを


あけづめ尓志゛ぶんハ志んぞう可い尓て

あけづめにじ ぶんはしんぞうがいにて


あい於もいれ可年をつ可つて

あいおもいれかねをつかって


此 ふ志゛ゆう奈ところ可゛

このふじ ゆうなところが


尓つ本゜ん多゛とうれし可゛りけり

にっぽ んだ とうれしが りけり

(大意)

なやむのだが、ただ、間夫になろうとさそっても、向こうが不承知であるから、わるい志庵が浮名を指名してずっと揚げつめにして新造買いをして逢い、おもいきりたくさん金を使っている。このなんとも思い通りにならない感じが最高だと嬉しがっていた。

(補足)

「まぶ」、『まぶ【間夫】

③ 特に,遊女の情人。「白き手をいだして―をまねき」〈仮名草子・東海道名所記〉』

「名あて、『なあて【名宛て】

② 名ざし。特に,遊女を指名すること。「突出しの其日よりお前を客の―にして」〈浄瑠璃・ひらかな盛衰記〉』

「志んぞう可い」、『しんぞうがい ―ざうがひ 【新造買ひ】

② 江戸時代,通人・色男などの遊郭での遊び方の一つで,女郎と密会するため,その妹分にあたる新造を相手に呼ぶこと。「ああ―では,気がつまるぞ」〈洒落本・遊子方言〉』

「尓つ本゜ん」、この頃の流行り言葉で、日本一、最高。「金々先生」でも出てきました。

 下のもう一枚の貼紙、これを上下ひっくり返すと、

となって、「ち者やふる卯月 八日盤 吉日与」(ちはやぶるうづき ようかは きちにちよ)となります。ネットに『江戸時代、卯月八日にかかわるちょっと変わった俗信があった。江戸の人びとは、台所や便所などに、「千早振(ちはやふ)る卯月八日は吉日(きちにち)よ、かみ下虫(さげむし)を成敗ぞする」と書いた紙を逆さにして貼り、ゴキブリやウジ虫などの虫除(むしよ)けの呪(まじな)いとしていた』とありました。

 神棚に祀(まつ)っているのは便所の神様で男神と女神でしょうか。

 

2024年9月10日火曜日

江戸生艶氣樺焼 その20

P12P13 東京都立中央図書館蔵

P12

(読み)

ゑん二郎 もとより

えんじろうもとより


う王きもの

うわきもの


奈れバ

なれば


ふ可川

ふかがわ


志奈川

しながわ


新 し由くハ

しんじゅくは


いふ二

いうに


於よハず

およばず


者し\゛/

はしばし


まで

まで


かつてミ多れども

かってみたれども


うき奈本どてのある女 郎 ハ奈いと

うきなほどてのあるじょろうはないと


おもひし可゛ひととふりでハ於もしろ可らずと

おもいしが ひととおりではおもしろからずと

(大意)

 艶二郎はもともと浮気者であるから、深川・品川・新宿はいうに及ばず、その他の岡場所で買ってみたけれども、浮名ほどの魅力ある女郎はいないとおもいつつも、通り一遍の遊び方では面白くなかろうと

(補足)

「新し由く」、「邪」のようにみえるのは「新」のくずし字。

P13の三人がいる部屋の隣は、食事ののあとの食器が乱雑におかれ、手水鉢もあるので小便所のよう。下駄みたいのが並んでいて、ここに素足をのせて用をたすのかしらん。

 手水鉢の壁には「定」とあって、

「火之用心

一 居続御客不仕候

一 表二階ヨリ往来ニ

  茶捨不可候

」とあります。

 小便所の下の壁にはもう一枚張り紙がありますけど、これはさて?

 

2024年9月9日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その19

P11 東京都立中央図書館

(読み)

きよねんの者る

きょねんのはる


奈かずて可つ多ぢこくでハ

なかずでかったぢごくでは


ねへ可志らん

ねぇかしらん


志やう

しょう


遍゛ん

べ ん


ぐミ奈どゝ

ぐみなどと


いふところハ

いうところは


ごめん多゛よ

ごめんだ よ


王多しを於可ゝへ

わたしをおかかえ


奈されましても

なされましても


大 可多女 郎 可いや

おおかたじょろうかいや


いろごとで

いろごとで


王たし二

わたしに


於可まいハ

おかまいは


奈されます

なされます


まいと

まいと


もふ春こし

もうすこし


てミせ尓

てみせに


やき

やき


可ける

かける

(大意)

艶二郎「去年の春、中洲で買った地獄ではねえよな。小便組などというようなことがあっては、ごめんだよ」

女「わたしをお抱えなされましても、おおかた女郎買いや色ごとで、わたしにおかまいはなされますまい」と、もう自分の腕前を少しみせて焼きもちをやいてみせた。

(補足)

「奈かず」、「中洲」現在の中央区日本橋中洲。三つ又新地ともいい安永元(1772)年着手、数年後江戸屈指の歓楽街となった、とありました。

「ぢこく」、『じごく ぢ―【地獄】⑦ 売春婦。私娼(ししよう)。「中洲でかつた―ではねえかしらん」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

「志やう遍゛んぐミ」、『しょうべんぐみ せう―【小便組】

江戸時代,妾(めかけ)奉公に出て寝小便をして暇を出されるとき,支度金をだましとる女。また,それをすること。「―などといふところは,ごめんだよ」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

「てミせ」、『てみせ【手見せ】腕前・技量を人に見せること』

 艶二郎のうしろにかかっている札には「篆書偏類六書通」という字体で「小便無用」

とあり花山書とあります。

 宝井其角の有名な句に「此処小便無用花の山」(講談「屏風の蘇生」)というのがあって、艶二郎のセリフ(心境)に引っ掛けて洒落ている、とありました。

 二百両で抱えられたお姉さん、後ろ姿だけでも、なんともあだっぽいですねぇ・・・

 

2024年9月8日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その18

P11 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎 女 郎 可い尓

えんじろうじょろうがいに


でゝもうちへ

でてもうちへ


可へ川てやき

かえってやき


もちを

もちを


やくもの可゛

やくものが


奈个れバ

なければ


者り合 可゛

はりあいが


奈いと

ないと


きも入

きもいり


を多のミ

をたのみ


やきもち

やきもち


さへよく

さへよく


やけ者゛

やけば


き里やうハ

きりょうは


のぞまぬと

のぞまぬと


いふち うもん

いうちゅうもん


尓て四十  ぢ可い

にてしじゅうちかい


女  を志多く可

おんなをしたくが


金 二百  両  尓て

きんにひゃくりょうにて


め可け尓

めかけに


かゝゑる

かかえる

(大意)

 艶二郎は女郎買いに出かけても、家へ帰ってきて焼きもちをやいてくれるものがいなければ張り合いがないと、肝入(その筋の世話人)に頼んで、焼きもちさえしっかりやいてくれれば、器量などのぞまぬという注文で四十ちかい女を、支度金二百両で妾にかかえた。

(補足)

「四十ぢ可い女を志多く可金二百両」で抱えるとは見栄も外聞もかまわず、浮名一筋。

場面はその女との顔合わせ。ここでも煙草盆がおしゃれです。

 

2024年9月7日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その17

P10 東京都立中央図書館蔵

(読み)

モシおいらん於まへをバ

もしおいらんおまえをば


せけんで

せけんで


とん多゛てのある

とんだ てのある


女 郎 多と

じょろうだと


申  ます

もうします


大 こくやじやア

だいこくやじゃぁ


ねへ可゛

ねえが


奈んでも

なんでも


女 郎 衆  の

じょろうしゅうの


そう

そう


ろく

ろく


多゛ね

だ ね


ちやを

ちゃを


いゝ

いい


奈んすな

なんすな


お可゛

おが


ミんす

みんす


尓へ

にえ

(大意)

志庵「もし、おいらん。世間ではとても人気のある女郎だと申されています」

喜之介「大黒屋じゃねぇが、どうやらまるで女郎衆の元締めだね」

浮名「いいかげんなことをいいなんすな。頼むからやめてくださいねぇ」

(補足)

「大こくや」、大黒屋惣六。墨河とならぶ幅ききで吉原芸者の検番を創設した。

「そうろく」、盲人の総元締めの官名で、本所に惣録屋敷がある。それを検番の主の惣六に掛けて、女郎の総元締め、手練手管の権威だとおだてた、とありました。

 浮名の座り方、いつもそれに目がいってしまいます、立膝と横座りのあいだのような色っぽい座り方です。ここで正座じゃ白けてしまう。

 

2024年9月6日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その16

P10 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎 ハ

えんじろうは


うき奈やの

うきなやの


うき奈と

うきなと


いふての

いうての


ある女 郎 尓

あるじょろうに


きめて

きめて


とう可

とうが


とう奈可ら

とうながら


本連ら

ほれら


れるつもり尓て

れるつもりにて


いつ者゛い二

いっぱ いに


ミへをし

みえをし


ぢ者゛んの者んゑり

じば んのはんえり


者゛可りいぢつて

ば かりいじって


いていろ於とこも

いていろおとこも


さて\/きの徒まる

さてさてきのつまる


こと奈りと於もふ

ことなりとおもう

(大意)

 艶二郎は浮名屋の浮名という客あしらいにたけた女郎にきめて、すっかり惚れられるつもりになり、精一杯に気取って、襦袢の半襟ばかりをいじってばかり、色男もさてさて、気のつまることであるとおもう。

(補足)

 この部分の筆運び(文字)が女文字のようにやや大きな字でやわらかく流れるように感じるのは気のせいでしょうか。

「とう可とう」、『十が十 (とお)初めから終わりまで。すっかり。みんな。「―ながら,ほれられるつもりにて」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

「ぢ者゛んの者んゑり者゛可りいぢつて」、いまでなら、体裁を気にしてネクタイを直したりする様と同じようなこと。

 浮名の左後ろに座るのが浮名専属の禿(かむろ)、禿の髷飾りは小枝のようなものをさしてあったり、松葉を扇状にひろげたものなどをさしていることが多い。その禿の前にある台は煙草盆でしょうか、やけに念入りに描いています。

 燭台も手を抜かず見取り図のように丁寧、支柱の中央にあるのは持ち手でしょうか、何か引っ掛けられるように見えますけど、倒れちゃったら危ないし。

 

2024年9月5日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その15

P9 東京都立中央図書館

(読み)

女  「せ川 さんとう多

おんな せがわさんとうた


ひめさんのうちを

ひめさんのうちを


きゝ尓徒可王しまし多可゛

ききにつかわしましたが


さつき小まつやで

さっきこまつやで


このもをミかけ

このもをみかけ


まし多可ら

ましたから


う多ひめ

うたひめ


さんハ

さんは


てつきり

てっきり


於王るう

おわるう


ござり

ござり


ませ ふ

ましょう


こびき

こびき


丁  で

ちょうで


可うらい

こうらい


ヤ可゛

やで


本゛く可゛

ぼ くが


さんを

さんを


する

する


そう

そう



ござり

ござり


ますね

ますね

(大意)

女「瀬川さんと歌姫さんのうちを(先約があるかどうか)聞きにつかわしましたが、さっき小松屋で歌姫さんの禿(かむろ)を見かけましたから、歌姫さんはきっと先約があってご都合がお悪いのでござりましょう」

「木挽町で高麗屋が墨河さんをするそうでござりますね」

(補足)

「せ川さんとう多ひめさん」、吉原は江戸町一丁目かどの松葉屋のどちらも実在の遊女。

「小まつや」、同じく仲之町の実在の茶屋。

「このも」、歌姫の禿の名前。

「こびき丁」、森田座の通称。現在の歌舞伎座の前身。

「可うらいヤ」、四代目松本幸四郎の屋号。現在でも「こうらいやっ」とかけるあれです。

「本゛く可゛」、墨河は吉原江戸町一丁目妓楼、扇屋宇右衛門の俳名。吉原の幅ききで、吉原の素人芝居で寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)で工藤祐経(くどうすけつね)をつとめた。そのいきさつで、幸四郎が天明四(1784)年春、森田座の「初暦閙曽我(はつごよみにぎわいそが)」で工藤を演じるのにひっかけて、「墨河する」と洒落た。とものの本にはありました。たったこれだけのセリフを理解するのにも、かなりな知識が必要で、とかく世間話の理解が一番難しい。

 ついたての落款が「宗里画㊞」のようにもみえて、これは俵屋宗里のもの?とものの本にはありました。また六角形の燭台もおしゃれですし、襖の松葉の柄や仏壇or神棚の造作も細やか。茶屋小松屋の一室とはいえ、立派な部屋であります。

 女将の帯は前で結ばれています。