P9 国立国会図書館蔵
(読み)
きん\/せんせひ楚ゝ奈可されふと
きんきんせんせいそそなかされふと
よしハらへゆき个るかそれより
よしわらへゆきけるがそれより
かけのといふ女 郎 二なじみおや
かけのというじょろうになじみおや
乃いけんも奈んのそ乃
のいけんもなんのその
一 春んさきハやみの
いっすんさきはやみの
よもかの手代 源 四郎
よもかのてだいげんしろう
まん八 をつれて
まんぱちをつれて
飛多とあゆみをハ
ひたとあゆみをは
こび个り
こびけり
きん\/せんせい
きんきんせんせい
の出 多ち八 丈 八 多ん
のいでたちはちじょうはったん
乃羽おりしまちり
のはおりしまちり
免んのこそでやく
めんのこそでやく
しや染 の志多ぎ
しゃぞめのしたぎ
可めやづきん尓目者゛
かめやずきんにめば
可りい多し人 目を
かりいだしひとめを
春こし志のび
すこししのび
个り
けり
多゛ん奈のお春可多
だ んなのおすがた
どうもいへませぬ
どうもいえませぬ
すごい
すごい
飛やう\/
ひゅうひゅう
(大意)
金々先生おだてられてふと吉原へ行ったのだが、それからというもの
かけのという女郎となじみになり、親の意見も何のその、一寸先は闇の世も、かの手代源四郎・万八をつれて、ひたすら足をはこんだ。
金々先生のいでたちは八条八反の羽織・縞縮緬の小袖・役者染めの下着、かめや頭巾で目だけをのぞかせて人目を少し気にかけた(が実は得意満面)。
「旦那のお姿は、もうなんともいえませぬ、すごい、ひゅぅひゅぅ」
(補足)
「かけの」、「かける」には「⑦ だます。ひっかける。「今来むと言ひしばかりに―・けられて」〈古今和歌六帖•5〉」という意味もあって、遊女が客をだますのを「かける」といったところからきた名前、とありました。
新吉原(浅草の北側)を奥にのぞみ、四人が歩いているのは吉原土手の日本堤。妓楼の屋根に二つ三つ見えるのぼりのようなものは、防火用の屋上の天水桶でした。吉原の絵図などにも描かれています。
この四人このまま現代の浅草あたりにつれてきて、歩かせてもなんの違和感もありません。
かっこいい。
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