P8 国立国会図書館蔵
P8別資料
(読み)
なんと多゛ん
なんとだ ん
奈うちで者゛
なうちでば
可りのさハぎ
かりのさわぎ
ハとんとさへ
はとんとさえ
まセぬあし多ハ
ませぬあしたは
本川こくへいき
ほっこくへいき
山 とおでかけ
やまとおでかけ
奈さりませ
なさりませ
よ川ヤァヤ引 志んじゆく
よつやぁやひきしんじゅく
まぐ楚の奈可尓よ
まぐそのなかによ
女 郎 あるとハつゆ志ら春
じょろうあるとはつゆしらず
き多\/
きたきた
き多さ
きたさ
ぬきの
ぬきの
こんひら
こんぴら
出ますところ可
でますところが
あらし雷子多し可
あらしらしたしか
可よふ二可申 まし多
かようにかもうしました
(大意)
源四郎「ちょいと旦那、うちでばかりの騒ぎじゃ全然パッとしません。明日は北国(新吉原)へいき山とお出かけてなさりませ」
芸者「四谷〜新宿、馬糞の中よ、女郎あるとはつゆしらず、きたきた、きた讃岐の金毘羅」
万八「嵐雷子の声色でやりますと、たしかそのようなことをもうしてました」
(補足)
下部が虫食いなのかちぎれてかけてしまっている上に文字も不鮮明でしたので、別資料を添付しておきます。
「本川こく」、『ほっこく ほく【北国】③ 〔江戸城の北にあたるので〕新吉原遊郭の別名。北州。「あしたは―へいき山とおでかけなさりませ」〈黄表紙・金金先生栄花夢〉』
「引」、声を引き伸ばす記号。
芸者の唄。潮来節の歌詞「潮来出島の真菰(まこも)の中にあやめ咲くとはしほらしさ」の替え歌のひとつに「四谷新宿、馬糞の中に」とある。また新宿は安永四(1775)年に宿場女郎が許された。「きた〜金毘羅」はもともとは金毘羅節の歌詞の最後に唄ったものがそのうちに、どんな唄の最後にもつけられたよう。以上、ものの本にはありました。
「出ますところが」、声色人まね芸で誰々の声色を使うかというときの出だしの決まり文句。
三味線の棹が細くてずいぶんと長い。特注か。万八の腰には煙管一式がぶら下げられています。帯の結びもちょうちょ結びみたいだけどもっとおしゃれそうな結び方。
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