2024年8月31日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その10

P6P7 東京都立中央図書館

(読み)

「ミづ

 みず


可らと

からと


申  ハ

もうすは


そも

そも


よるべ

よるべ


さ多゛

さだ


めぬ

めぬ


ころひつまこの志んミち二

ころびつまこのしんみちに


すミ奈れてひとのこゝろを

すみなれてひとのこころを


上P7

う王き尓する白 びやうしで

うわきにするしらびょうしで


ござんすかや者゛丁  の

ござんすかやば ちょうの


夕 やくしでこちのゑん二郎 さんを

ゆうやくしでこちのえんじろうさんを


うゑ木の可げ可ら

うえきおかげから


ミそめまし多

みそめました


女  本゛う二する

にょうぼ うにする


こと可゛奈らずハ

ことが ならずば


於まんまなと

おまんまなど


多いても於り多いのさ

たいてもおりたいのさ


それも奈らぬと

それもならぬと


於つしや連バ

おっしゃれば


志ぬ可くごで

しぬかくごで


ござります

ござります



どゝ

どと


ち う

ちゅう


もん

もん


どをり

どおり



せりふ

せりふ


を奈らべ

をならべ


多てる

たてる

(大意)

おゑん「わたしはと申しますと、そもそもどこのだれかもわからぬころび芸者、この新道に住みなれて、ひとの心を浮気にする白拍子でござんす。茅場町の夕薬師でこちらの艶二郎さんを植木のかげから見初めました。女房にすることがならずんば、おまんま(御飯)など炊いてもそばにおりたいのさ。それもならぬとおっしゃれば、死ぬる覚悟でござります」などと頼んでおいた通りの台詞をならびたてた。

(補足)

「ミづ可らと申ハ〜」、この部分河東節道成寺のもじりとありました。もとの歌詞は「自らと申すはそも 寄るべ定めぬ忍び妻 波に漂よふ浮寝鳥 浮いつ沈みつやうやうと 紀の路の奥に住み馴れて 月を友 雪を褥に眺むる花は 人の心を慰さむる 白拍子の鼓草」。

「そも」、『そも【抑】(接続)〔代名詞「そ(其)」に係助詞「も」の付いたもの〕

前に述べたことを受けて次のことを説き起こすとき用いる語。そもそも。一体全体。「坊さんが何か云てたよ。―何とかいつたつけ」〈怪談牡丹灯籠•円朝〉』

「ころひつま」、なんのことかサッパリ。「ころび妻」でした。『ころび【転び】③ 芸者などが芸ではなくて,体を売ること。「―芸者」』。

「かや者゛丁の夕やくし」、こんなににぎわいました。

                NDL蔵 茅場町薬師堂(夕薬師)門前 (江戸名所図会 巻1)

 「夕やくし 春ゝしき風の 誓可南 其角」

 おゑんのよよと泣く姿、(嗚咽しながらのセリフを声を出して節をつけながら読んでみると、歌舞伎役者になった気分)、肩がふるえているようにみえるくら上手です。

 そのおゑんさんの前にある煙草入れの箱がアリ組で組み立てられています。手の込んだ高級な作りです。

 

2024年8月30日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その9

P6P7 東京都立中央図書館

P6

(読み)

可奈いの

かないの


下女

げじょ


ども

ども


のぞき

のぞき


ミて

みて


おら可゛

おらが


王可

わか


多゛ん奈二

だ んなに


本れ

ほれ


るとハ

るとは


せんけ可

せんけか


こ里 う可

こりゅうか


ゑん

えん


志 う可

しゅうか


しらぬ可゛

しらぬが


とん多゛

とんだ


ちや

ちゃ


しん

じん


多゛と

だ と


さゝ

ささ


やく

やく

(大意)

 家内の下女たちがのぞき見て「おらが若旦那に惚れるとは、千家か古流か遠州かしらぬが、とんだ茶人だ」とささやく。

(補足)

「せんけ可こ里う可ゑん志う可」、どれも茶道の流派。

「ちやしん」、『ちゃじん【茶人】② 風流な人。また,浮き世ばなれのした,一風変わった人。ものずき』ですが、ここでは馬鹿にしてあざけっている。

 ここの見開きは、大団円ではないけどそのくらいの見せ場。

 障子のすき間からのぞき見る下女ふたり、障子に隠されたところを影絵のようにしています。また障子も腰板が見事な木目です。

 

2024年8月29日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その8

P5 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎 ハやくしやの

えんじろうはやくしゃの


うちへうつくしき

うちへうつくしき


むすめ奈どの

むすめなどの


かけこむをう王

かけこむをうわ


き奈ことゝうら

きなこととうら


やましく

やましく


おも

おも



きん

きん


志゛よ

じ ょ



ひや

ひょ



者゛




げいしや

げいしゃ


おゑんといふ於どりこ

おえんというおどりこ


を五十  両  尓てやとい

をごじゅうりょうにてやとい


可けこませる

かけこませる


つもり尓て

つもりにて


王るい志あん

わるいしあん


多のミ

たのみ


き多る

きたる


これ可゛多のミの

これが たのみの


とも可くも

ともかくも


於あや可り申  て

おあやかりもうして


ちと

ちと


し由つ

しゅっ


せの

せの


すじさ

すじさ


可けこむ者゛可り

かけこむば かり


奈らずいふん

ならずいぶん


志ようちさ

しょうちさ

(大意)

 艶二郎は役者の家へ美しい娘などたちが駆け込むのを浮気なこととうらやましくおもい、近所の評判の芸者おゑんという踊り子を五十両でやとい、駆け込ませるようにとわるい志庵をたのみに行かせた。

志庵「これがたのみではあるがそれはともかくも、こっちもおやかり申して、ちといい目をみたいところなのさ」

おゑん「駆け込むだけならば、たしかに承知しましたよ」

(補足)

 志庵が口にしているのはのびている餅ではなくて、歌舞伎役者の仕草をまねて手ぬぐいのよう。なのでセリフもきっとなにか有名な芝居の一節なのかも。

 棚があって、たいていは神棚などがおさまっていますが、ここのは黒い箱、三味線箱でしょうか。三味線はふつうは箱の蓋がカパッとはずせるけんどん(倹飩)箱におさめます。おゑんねえさん、襟元をおおきくあけ、長ギセルにちょっと立て膝で薄肌色に塗られてなんとも色っぽい、間仕切り屏風の上にかけられた紐まで塗られています。

 ちょっとかわった煙草盆も、右の引き出しをあけているところが、なかなかの細かさ。

 床の間というかちょっと変わった棚には蘇鉄の盆栽のようなものがあっておしゃれです。

 

2024年8月28日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その7

P4 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎 ハ

えんじろうは


まづ

まず


本り

ほり


もの可゛

ものが


う王

うわ


きの

きの


者じ

はい


まり

まり


奈りと

なりと


りょう


本うの

ほうの


うで

うで


ゆび

ゆび



ま多まで

またまで


二三 十  本ど

にさんじゅうほど


あても奈き

あてもなき


本りものをし

ほりものをし


い多いのをこらへて

いたいのをこらえて


こゝ可゛いのち多゛と

ここが いのちだ と


よろこび个り

よろこびけり


中 尓

なかに


ちと

ちと


きへ

きえ


多のも

たのも


奈く

なく


てハ

ては


王るい

わるい


可ら

から


あとで

あとで


ま多

また


き うを

きゅうを


すへ

すえ


やせ う

やしょう


いろ於とこニ

いろおとこに


奈るもとん多゛

なるもとんだ


つらいもの多゛

つらいものだ

(大意)

 艶二郎はまず彫り物がうわきの始まりであるからと、両方の腕と指のまたまで二三十ほど適当な名前の彫り物をして、痛いのをこらえて、ここが頑張りどころ気持ちの良いものだと喜んだ。

喜之介「(彫った名前の)中にちっとは(灸で)消したようなものもなくては具合が悪いから、あとでまた灸をすえましょう」

艶二郎「色男になるのも、とんでもなくつらいものだ」

(補足)

「両本うのうで」、「両」のくずし字は頻出です。

「こゝ可゛いのち多゛」、「命だ」というのは、彫り物に「誰それ命」と彫るのでその洒落、とありました。

「きへ多のも奈くてハ」、女の嫉妬で灸で消したようなのもあったほうが本当っぽくみえる。なかなか芸の細かいことをするものです。

 彫り物をしているのは(膝下に墨と硯がある)、喜之介(羽織が前頁と同じ)のよう。

屏風の柄が朝顔の絞り染めのようで、わざわざこんな彫師泣かせのものにしなくてもと、おもってしまいます。障子のむこうに手すりがみえて、この部屋は二階にあるのでしょうか?

 

2024年8月27日火曜日

江戸生艶氣樺焼 その6

P2P3 東京都立中央図書館

P3

(読み)

ふミのもんく尓ハ

ふみのもんくには


多゛いぶでんじ由の

だ いぶでんじゅの


あることさふうじ

あることさふうじ


めをつけぬと

めをつけぬと


ゑん可゛きれると

えんが きれると


申  やすふミの

もうしやすふみの


すへゝ於さ奈を

すへへおさなを


可くよふ二奈ると

かくようになると


むづ可しいね

むずかしいね


ひつさきめ尓

ひっさきめに


くち遍゛尓の

くちべ にの


ついてる

ついてる


のハ

のは


いつでも

いつでも


ぢものゝ

ぢものの


ふミでハ

ふみでは


ねへのさ

ねえのさ


どねへ尓

どねえに


志゛ミでも

じ みでも


ミゝの

みみの


王き二

わきに


まくら

まくら


多この

だこの


あるので

あるので


しやう者゛い

しょうば い


あ可゛りハ

あが りは


ソレ

それ


志゛き尓

じ きに


しれやす

しれや

(大意)

喜之介「女の恋の手紙には、たくさんややこしいしきたりがあるのさ。手紙の封をしないと縁が切れるといわれてます。手紙の最後に遊女が幼い頃の名前をかくようになると、やっかいなことになるね(商売をはなれた付き合いになり、こと面倒である)」

志庵「手紙の巻紙の切れ目に口紅がついているのは、こりゃぁ素人女のものではあるまいさ。どねえに素人っぽくしても、耳の脇に枕だこがあるから、商売あがりは、それ、じきにわかるってもんでやす」

(補足)

「ひつさきめ尓くち遍゛尓のついてる」、巻紙に手紙をしたためたあと、折り目をつけ口で湿らして裂くので、口紅がつく。それが色気をかもし出す。とありました。なるほどね。

「ミゝの王き二まくら多こ」、枕を頻繁に使うので耳の脇の皮膚がかたくなるという。

 京伝の洒落本「通覧総籬(つうらんそうまがき)」にも、「髪の毛のうすいところと、耳の脇の枕だこにて、あらそはれず」とある。とありました。耳にたこができるとはよく使われますが、まくらたこなんて本当でしょうかねぇ。まぁ、当時の枕は髷がくずれぬようなごついものでしたから、たしかにはえ際あたりがこすれるでしょうから、なんらかの変化はあったかもしれませんけど・・・

 喜之介の膝下にある煙管入れは流行最先端のものでしょうし、その脇の折り紙みたいなのは柄が入っていてこれまたおしゃれな懐紙みたいなものでしょうか。

 屏風には英一蝶(はなぶさいっちょう)畫とあって、鍾馗様のような絵(巻紙の手紙をいっぱいにひろげて、読んでるところでしょうか)があります。

 版心(和装本で,各丁の折り目に当たる所に記した書名・巻数・標題など)に「ゑどうまれ」と読めます。表題では「むまれ」とありました。

 

 

2024年8月26日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その5

P2P3 東京都立中央図書館

P3

(読み)

奈ごりのもミぢ・可りまくら

なごりのもみじ・かりまくら


なつごろも・者るのよ・あきのよ

なつごろも・はるのよ・あきのよ


ます可ゞミ・よ王の可年・お本゛ろ月

まずかがみ・よわのかね・おぼ ろづき


者る可゛すミ・ミ多゛れどり・おもひ川

はるが すみ・みだ れどり・おもいかわ


於ん奈さんぐう・げんぷく・まんぎく

おんなさんぐう・げんぷく・まんぎく


九月 可゛や・よしのぐさ・奈つの月

くがつが や・よしのぐさ・なつのつき


あけ可゛らす・むら可゛らす・あふぎ

あけが らす・むらが らす・あふぎ


者奈の可・者奈のゑん・のこるあつさ

はなのか・はなのえん・のこるあつさ


さしぐし・あいのやま・とけず・そめいと

さしぐし・あいのやま・とけず・そめいと


めいどのとり・こいざくら・あきの七 くさ

めいどのとり・こいざくら・あきのななくさ


ふ多つもじ・ひ多゛りもじ・王可こゝろ

ふたつもじ・ひだ りもじ・わがこころ


ゑとゆ可多・多ゝミざん

えどゆかた・たたみざん


ひとつミぞ

ひとつみぞ


こい者゛奈し

こいば なし


ま多゛いつくらも

まだ いつくらも


あれどちよつと

あれどちょっと


し多ところ可

したところが


このくらい奈

このくらいな


ものさアゝ

ものさあぁ


 口 可゛春く奈つ多

 くちが すくなった

(大意)

名残のもみぢ・かりまくら・夏ごろも・春の夜・秋の夜・ますかゞみ・夜半の鐘・

おぼろ月・春がすみ・みだれ鳥・思い川・女三宮・元服・万菊・九月がや・吉野ぐさ・

夏の月・明けがらす・村がらす・あふぎ・花の香・花の宴・残るあつさ・さし櫛・

あいの山・とけず・染め糸・冥土の鳥・恋ざくら・秋の七草・二つ文字・ひだり文字・

わが心・江戸ゆかた・たゝみ算・ひとつみぞ・恋ばなし、

まだいくらでもあるが、ちょっとしたところが、このくらいなものさ。

あぁ、同じようなことを何度も繰り返してくたびれた。

(補足)

 前回に続き、変体仮名読み演習問題2です。

「於ん奈さんぐう」、「によさんのみや」の間違いとありました。

 たいこ医者の羽織に薄紅色をさらに薄くしたような色がついています。前頁にも表紙にもありました。よく黄表紙にはいたずら書きや色を塗ったりしてあるものがありますけど、ここのはいたずらで塗ったのではなさそうな感じがします。羽織の後ろ側にも同じ色がみえますが、いたずらならこんなところには塗らないし、これは色移りでしょうかね。

さて・・・

 

2024年8月25日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その4

P2P3 東京都立中央図書館

P2

(読み)

まづきゝす・む个んさ可川゛き・ときざけ

まづきぎす・むげんさかず き・ときざけ


ゆ可りの月 ・三ツのとり・三ツぶとん

ゆかりのつき・みつのとり・みつぶとん


ふ多つもん・四ツのそで・かふろ多゛ち

ふたつもん・よつのそで・かぶろだ ち


於きのいし・者奈のくも・あさ可゛保

おきのいし・はなのくも・あさが お


六 可せん・小丁 ・遍んしやう・

ろっかせん・こまち・へんしょう


くろぬし・奈りひら・やすひで

くろぬし・なりひら・やすひで


志らいと・ひとり志んぢ う・

しらいと・ひとりしんじょう


ゆひきり・いれ本゛くろ・きしやう

ゆびきり・いれぼ くろ・きしょう


む可しぐさ・まんねんさう

むかしぐさ・まんねんそう


十  三 可年 ・水 可ゞミ・い奈ふ年

じゅうさんかねん・みずかがみ・いなふね


まつよひ・王可れ

まつよい・わかれ

(大意)

まず、きゞす・無間・さかづき・時酒・ゆかりの月・三ツのとり・三ツぶとん・二つ紋・

四ツの袖・かぶろだち・沖の石・花の雲・朝顔・六歌仙・小丁・遍昭・黒主・業平・

康秀・しら糸・ひとり心中・指きり・入れぼくろ・起請・昔ぐさ・万年草・十三鐘・

水かゞみ・稲船・待つ宵・わかれ

(補足)

 変体仮名の読みがこのBlogの一番の目的なのですけど、今回はその演習問題1のよう。

ここにあげた曲名の半分は「女里弥寿豊年蔵(めりやすほうねんぐら)」(宝暦七年刊)などの歌謡集に収録されているとありました。

 艶二郎が左手を袋状のものに入れています。これは煙草入れ、右手には煙管。眼の前にあるのはたばこ盆で、筒のようなのが灰落し、その脇にあるのが火入れでしょう。

 そしてたいこ医者の前の茶碗がしゃれています。

 

2024年8月24日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その3

P2P3 東京都立中央図書館

P2

(読み)

ゑん二郎 ハきん

えんじろうはきん


志゛よのどうらく

じ ょのどうらく


むすこき多り

むすこきたり


きのすけ

きのすけ


王るゐ志あん

わるいしあん


といふ多い

というたい


こいしや

こいしゃ


奈ぞと

なぞと


こゝろ

こころ


やす

やす



していよ\/う王き奈

していよいようわきな


ことをくふうする

ことをくふうする


とんでも奈く

とんでもなく


うき奈の

うきなの


多つ志うち可

たつしうちが


ありそふ奈

ありそうな


もの多

ものだ


まづめ里やすといふや川可゛

まずめりやすというやつが


うハき尓するや川さこいつを

うわきにするやつさこいつを


志らねバ奈りやせん

しらねばなりやせん


於よそひとの志つ多

およそひとのしった


口 ぢ可ひめ里やすのぶん

くちぢかいめりやすのぶん


小ぐちのところを申  やしやう

こぐちのところをもうしやしょう

(大意)

 艶二郎は近所の道楽息子北里喜之介、わるい志庵というたいこ医者などと親しく付き合い、いよいよ浮き浮きする楽しいことを工夫した。

艶二郎「とんでもなく浮き名をながして世間の注目をあつめることができそうなものだ」

喜之介「まず、めりやすというやつが、浮気するやつさ。こいつを知らねばなりやせん。ほとんどの人が知っている、口ずさむめりやすをかいつまんで少し申しやしょう。

(補足)

「き多り」、北里は吉原の別称。

「め里やす」、『めりやす〔場面により演奏が伸縮できることから〕

① 下座音楽の一,かつ,長唄の曲種の一。独吟の唄と三味線一挺(ちよう)のみのしんみりとした曲。芝居では,役者が台詞(せりふ)なしで静かな演技を続ける心理描写的な場面(思い入れなど)で,効果音楽として陰で演奏される。「黒髪」「五大力」など』。もとはスペイン語のmedias(『〔靴下の意〕一本の糸で,一つの輪奈(わな)に次の輪奈をからめながら,平面または筒状に編んだ布地。表と裏の編目が異なる。伸縮性に富む。〔「莫大小」「目利安」とも書く』)といわれる。とありました。

 艶二郎はいまでいう億万長者、部屋のこしらえや調度品はどれも高価そう。床の間風のところには「源氏伊勢物語」とあり、これは特別誂えの本箱でしょうか。

 

2024年8月23日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その2

P1 東京都立中央図書館

(読み)

ともしやうとく

どもしょうとく


うハき奈ことを

うわきなことを


このミ志ん奈い

このみしんない


ぶしの正  本ん

ぶしのしょうほん


奈ぞをミてたま

なぞをみてたま


きや伊太八 うき

きやいたはちうき


よ猪の介 可゛身のうへを

よいのすけが みのうえを


うらやましく於もひ

うらやましくおもい


一 生  の於もひで尓この

いっしょうのおもいでにこの


やう奈う王き奈うき奈

ようなうわきなうきな


の多つ志うちもあらば

のたtしうちもあらば


ゆく\/ハいのちもすてやうと者゛可らしき事 を

ゆくゆくはいのちもすてようとば からしきことを


心  可けいのち可゛けの於もひ付 をしける

こころがけいのちが けのおもいつきをしける


こういふミのうへ二

こういうみのうえに


奈つ多らさぞ

なったらさぞ


於もしろ可らう

おもしろかろう


よい月 日の

よいつきひの


下 で生まれ多

もとでうまれた


てやひ多゛

てやいだ

(大意)

(という身の上であったが、)生まれつき浮気なことを好み、新内節の正本などをみて、玉木屋伊太八・うきよ猪之介など(色男の主人公)の身の上をうらやましくおもい、一生の思い出にこのような浮気な浮名の主人公になれたなら、ゆくゆくは命も捨てようと、馬鹿らしいことを心がけ、命がけの思いつきをしようときめた。

艶二郎「このような身の上になったら、さぞおもしろかろう。しあわせな運命に生まれた連中だ」

(補足)

「介」のくずし字は「人」に縦棒2本が重なります。

「玉木屋伊太八」、新内「帰咲名残の命毛」の、遊女尾上と相愛の主人公。とありました。

「うきよ猪之介」、新内「仇比恋浮橋」の、遊女若草の相手の男。当時評判の曲で、同名の黄表紙も安永八(1779)年に出板された。とありました。

 火鉢は一見して高価そう。行灯の奥の蓮の花に飾られているのは掛け軸なのか、神鏡のようなものなのか、さて?

 艶二郎腹ばいになり新内の正本を読み色ごとの妄想にふけ、煙草をふかす。鼻が団子っ鼻であぐらをかいている。この鼻はのちに艶二郎鼻・京伝鼻と言われた。

 天明4年〈1784年〉刊「志やれ染手拭合(しゃれぞめたなぐいあわせ)」山東京伝(北尾政演)画に登場し、

翌年この黄表紙でさらに有名となる。

 

2024年8月22日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その1

表紙 東京都立中央図書館

P1

(読み)

表紙

山東京傅作


江戸生  艶 気 樺  焼

ゑとむまれうハきの可者゛やき

えどうまれうわきのかば やき


通  油  町   徒多や

とおりあぶらちょう つたや

P1

こゝ尓

ここに


百  万 両

ひゃくまんりょう


ふ个゛んと

ぶげ んと


よ者゛

よば


れ多る

れたる


あ多゛

あだ


きや

きや



ひとり

ひとり


むすこ

むすこ


をゑん

をえん


二郎 とて

じろうとて


としも

としも


つゞや者多

つづやはた


ちといふころ

ちというころ


奈りし可ひん

なりしがひん


のやまひハく尓

のやまいはくに


奈らす保可の

ならずほかの


やまいの奈可れ

やまいのなかれ


可しといふミ奈れ

かしというみなれ

(大意)

表紙略

P1

 ここに百万長者とよばれている仇気屋のひとり息子艶二郎は、歳は十九か二十というところであるが、「貧の病は苦にならずほかの病のなかれかし」という身の上であったが、

(補足)

「あ多゛きや」、気の変わりやすい、浮気な、の意味の屋号、とありました。

「つゞ」、『つづ ③〔「つづ(十)やはたち(二十)」の語形で用いられたことから誤解して〕一九歳。「―や廿歳(はたち)の娘では無し」〈鉄仮面•涙香〉』

「ひんのやまひ〜」、河東節の一節「灸すゑ」という曲の中の名文句とありました。「貧乏の苦しさほどつらい病はない」ということわざには縁がなく、ほかの病気の心配をしていればよいという境遇。

「保可の」、「ほ」はたいていが変体仮名「本」ですが、たまに「保」もでてきます。

 奥の障子の格子の桟が、行灯の格子は丁寧に立体的に一本一本描いてあるのですが、やけに平面的でべったりです、手を抜いたわけではないでしょうけど。

 

2024年8月21日水曜日

金々先生栄花夢 その30

宣伝出版目録 国立国会図書館

(読み)

(大意)

(補足)

 未正月に出版した新版13冊の目録、宣伝です。絵師の欄に恋川春町がなく、この2年後の同欄には名前が記されました。この本の成功により絵師として認められたからだろうとありました。

 下段右から3番目に本作品がありますが「華」ではなく「花」となっています。情けないことに一番最後になって、題名が間違っていることに気づきました。遅まきながらこの会のBlogだけでも「花」と書き換えます。

 最後のところはよくわからないのですが、「銘舗新板物御歴々追々出し掛御目可申上候願上」でしょうか。もう数年くずし字勉強しているのに、よめませんねぇ。

 

2024年8月20日火曜日

金々先生栄華夢 その29

P18 国立国会図書館

(読み)

きん\/せんせいおい出され

きんきんせんせいおいだされ


いまハ立 よる遍゛き可多も奈く

いまはたちよるべ きかたもなく


い可ゞハせんとあきれ者て

いかがはせんとあきれはて


と本う二くれて奈げきい个る可あ王

とほうにくれてなげきいけるがあわ


毛ちのき年のおと二おどろきおきあ可つて

もちのきねのおとにおどろきおきあがって


見れハ一 春いの夢 尓してあつらへのあ王もち

みればいっすいのゆめにしてあつらえのあわもち


いま多できあ可゛らずよ川て金 兵へよこ手うち

いまだできあが らずよってきんべえよこでうち


王れ夢 にぶん春゛いの子と奈りてゑいく王をき

われゆめにぶんず いのことなりてえい がをき


王めしも春てに三 十  年 さ春れバ人 个ん一 生  の

わめしもすでにさんじゅうねんさすればにんげんいっしょうの


多のしミも王川゛可にあ王餅 一 う春の内のことし

たのしみもわず かにあわもちひとうすのうちごとし


と者し免てさとりこれより春ぐにさい所 へ引 こみ个る

とはじめてさとりこれよりすぐにざいしょへひきこみける


毛し\/

もしもし


毛ち可

もちが


できまし多

できました


(大意)

 金々先生追い出され、今はどこゆくあてもなく、どうしたらよいかわからなくなり、途方にくれて嘆きくれていた。しかし、粟餅の杵の音に驚き、起き上がってみると、一睡(一炊)の夢の出来事、注文した粟餅はいまだ出来上がっておらず、金兵衛はたと両手を打ち合わせ「われ夢に文ずいの子となり、栄華をきわめるもすでに三十年。さすれば人間一生の楽しみも、わずかに粟餅一臼のようなものである」とはじめて悟り、これよりすぐに故郷へ引き込んだのでありました。

「もしもし、餅ができました」

(補足)

「おい出され」、「出」のくずし字は「お」とほとんど同じです。もうひとつ「お」にそっくりなくずし字に「村」があります。

「夢」のくずし字はよく出てきて特徴的。最後の「タ」の斜め棒が右下まで突き出し「友」のようなかたちになる。

「よこ手うち」、『よこで【横手】両手を左右に開いてパシッと打ち合わせること。その仕草』

 右枠の縦枠にそって波線があるのは何度か出てきた場面転換のつもり、ここは最終話の場面なので波線もちょっとしゃれてます。

 粟餅屋の女に「もしもし」を「もちもち」と洒落たかったかも。できたての粟餅が五個もあって腹一杯になりそうです。

 目を覚まし両手をあげて伸びをする金兵衛、寝ぼけてどこをみるでもなくすこしほうけた表情が上手。

 

2024年8月19日月曜日

金々先生栄華夢 その28

P17 国立国会図書館

(読み)

きん\/せんせい日\/尓

きんきんせんせいひ びに


おごりちやうじいまハ

おごりちょうじいまは


しん多゛いも

しんだ いも


可うよと見へ

こうよとみえ


个れバちゝ

ければちち


ぶん春゛い

ぶんず い


大 きに

おおきに


い可

いか



手代 源 四郎 可春ゝ免にま可せ

てだいげんしろうがすすめにまかせ


きん\/せんせい可いるいを者き

きんきんせんせいがいるいをはき


む可しの春可゛多のまゝ尓ておひ

むかしのすが たのままにておい


い多゛し个る

いだ しける


手代 源 四郎 者じめハ

てだいげんしろうはじめは


きん\/せんせいを

きんきんせんせいを


そゝ奈かし

そそなかし


おゝく

おおく


金 ぎんおつ可王せ

きんぎんをつかわせ


そのあまりハ

そのあまりは


ミ奈王か

みなわが


手へ

てへ





个る

ける


よ川て

よって


毛のをぬ春

ものをぬす



ことお

ことを


个゛ん四郎 とハ申  也

げ んしろうとはもうすなり


アゝ

ああ


よい

よい


ざま

ざま


多゛


(大意)

 金々先生は日がたつにつれて浪費がひどくなり、身代も傾きはじめてしまったため、父の文ずいは大いに怒った。手代源四郎のいうとおりにして、金々先生の以前の衣類を着せ、昔の姿のままで追い出してしまった。

 手代源四郎、最初は金々先生をそそのかして、多くの金銀を使わせ、そのおこぼれをすべて、自分のものとしてくすねていた。

 よって、ものを盗むことを源四郎というようになった。

源四郎「あぁ、いいざまだ」

(補足)

 文ずいは右手を突き出し金々先生を追い出し、手代源四郎は表情も憎々しげに鼻をふくらませてうしろ指を指している。

 文ずいが左手にかかえている「金」印の入った衣類は、金兵衛を養子としたときの豪華なもの、もとの旅装束に着替えさせた。

 

2024年8月18日日曜日

金々先生栄華夢 その27

P15P16 国立国会図書館

P16

(読み)

〽きのふまでハきん\/せんせいと

 きのうまではきんきんせんせいと


毛て者やされちよきヤよつ手二

もてはやされちょきやよつてに


のりし身可いまハ者川ち二ひより

のりしみがいまはぱっちににより


げ多か王れバか王る世の中 志゛や奈引

げたかわればかわるよのなかじ ゃな


アゝいま\/しい

あぁいまいましい


可ごの

かごの


し由こひかけて

しゅこいかけて


者ヤめましやうぞ

はやめましょうぞ

P15

ぎやうにお江戸ハ

ぎょうにおえどは


尓きやか多゛

にぎやかだ

(大意)

先生「きのうまでは金々先生ともてはやされ、猪牙(船)や四手(駕籠)にのっていた身であったのに、今はパッチ(姿)にひより下駄、〽かわればかわる世の中じゃなぁ〜。あぁ、いまいましい」

駕籠脇の付き人「駕籠の衆、声かけて急ぎましょうぞ」

右端の田舎侍「ずいぶんと江戸はにぎやかだ」

(補足)

「ひよりげ多」、『【《日和》 下駄】晴天の日にはくのに向いた,歯の低い差し歯の下駄』

「引」は何度かでてきていて、唄をのばす記号。

「こひかけて」、四手の駕籠かきは「エイホエイホ」と威勢の良い掛け声をかける。しかし「掛け声のない四ツ手にはぜげんつき」というのもあってなるほどね。

「ぎやうに」、たいそう、ひどくの意で田舎言葉。 右端の二本差(柄の部分は白い袋状のものでおおっている)は田舎侍のようで、品川の客は薩摩藩をはじめ、付近の藩邸は田舎侍の勤番が多かったとありました。頭に布をかぶり、身なりがどことなくいまひとつ。

 江戸から品川に向かうときは左側(東側)は海で、駕籠の上には帆掛け船がひしめいています。

 ところで、これは広重の江戸名所之内「新よし原日本堤ゑ毛ん坂」で、

 四手駕籠が3台、日本堤の上から、えもん坂に入ろうとしているところ。

注目してほしいのは、左端の何かをかついで反対の方向に歩くひとりの男で、拡大してみると、

 どうやら、吉原へ送った客をおろして、駕籠をたたんで?戻るところのようです。こんなふうに駕籠ってたためるもんなんでしょうか?

 それともたたんだのではなく、もともとこのくらいの幅しかなかったのかも。

 

2024年8月17日土曜日

金々先生栄華夢 その26

P15P16 国立国会図書館

P15

(読み)

きん\/せんせい所  \/ 尓て

きんきんせんせいところどころにて


大 きく者められ今 ハ毛ハや

おおきくはめられいまはもはや


ひ可りもうセ者て日ころ

ひかりもうせはてひごろ


者い可ゝみし毛のも志ら

はいかがみしものもしら


ぬふり二てよりつ可すむ

ぬふりにてよりつかずむ


袮んしごくにお毛い个れ

ねんしごくにおもいけれ


ともセん可多奈く今 ハ

どもせんかたなくいまは


四ツ手尓ておさセる力  も

よつてにておさせるちからも


奈く

なく


やう

よう


やく

やく


者川ちし里者志よ

ぱっちしりはしょ


おりにきりのま

おりにきりのま


さ下多と出可け

さげたとでかけ


こゝろ本楚くも多ゞ

こころぼそくもただ


ひとり夜な\/品 川 へ

ひとりよなよなしながわへ

P16

可よひ个る

かよいける

(大意)

 金々先生はあちこちでひどく騙され金をまきあげられ、今となっては

金の威光も失せはて、日頃平身低頭していた者共も、しらぬふりをして

よりつかず、無念至極におもっていた。しかたのないことであるが、今は

四手駕籠で(勢いよく)とばすだけの力もなく、やっとのことで、パッチを

尻端折りにして桐の柾下駄の格好で出かけ、心細くではあったがただ一人だけで

夜な夜な品川へ通ったのだった。

(補足)

「所\/」、ここの「所」は楷書にちかい。

「毛ハや」「毛のも」「お毛い个れとも」など、「を」のようなかたちをした変体仮名「毛」でわかりずらいですが、前後の流れも参考にして読みます。

 下駄は草履よりもやくざめいた履物だった、とありました。現在では桐の柾下駄はとても高級品です。

 高輪大木戸の図で、現在でも現存するそうです。すっからかんの先生が悔しそうにながめているのは、お供を従えこれから品川にくりだそうと景気よくとばしている駕籠。品川の宿場女郎は吉原や深川よりも格が低く、転落した身の先生にはふさわし遊所である。とありました。

 文中の表現どおりの姿の金々先生、ぱっちが太いような気もします。

 

2024年8月16日金曜日

金々先生栄華夢 その25

P14 国立国会図書館

(読み)

マア多゛ん奈おせ起

まあだ んなおせき


奈さりま須

なさります


奈どういふ

などういう


いきさつ

いきさつ


でこさり

でござり


ます

ます


どうしやう可

どうしようが


こうしやう可

こうしようが


う川ちや川て

うっちゃって


おけ春ゝ者き

おけすすはき


尓や出やう

にゃでよう


おまづさんおまへハまあ

おまづさんおまへはまあ


可ま王ずとあ川ちへ

かまわずとあっちへ


いき袮へ本ん尓

いきねぇほんに


あきれ多とんちき

あきれたとんちき


多゛袮

だ ね

(大意)

万八「まぁ旦那、興奮しないでください。どういういきさつでござります」

先生「どうしようが、こうしようが、うっちゃっておいてくれ。煤掃きのころにゃわかろう」

茶屋の女「おまづさん、おまえはまぁかまわずにあっちへいきねぇ。ほんにあきれたトンチキだね」

(補足)

「春ゝ者き尓や出やう」、P4でも同じ言い回しが使われていました。

 万八のセリフがかすれてしまって読みにくい。他の資料にあたりました。

 おまづの胸元の袖はをうしろから女中が左腕でかかえておさえているため。混乱している場面なのでよく見ないとわかりません。

 右端の縦枠にある飾りのような波型のものは、歌舞伎など劇場でおこなう場面転換とおなじようなのしかけ。

 

2024年8月15日木曜日

金々先生栄華夢 その24

P14 国立国会図書館

(読み)

きん\/せんせい今 まてハ

きんきんせんせいいままでは


いさいを志ら春゛一 春じ尓

いさいをしらず ひとすじに


しん志つとお毛ひ者

しんじつとおもいは


まり个るかこんヤの

まりけるがこんやの


おま川゛可しうちと可く

おまづ がしうちとかく


可゛つてんゆ可ずと

が ってんゆかずと


お毛ひ大 きにいざ

おもいおおきにいざ


をおこしおま川゛とも

をおこしおまづ とも


きれてしまひ

きれてしまい


个り

けり

(大意)

 金々先生、今までは細かいことはしらず、一心に信じていた思いにひたりきっていたのだが、今夜のおまづの仕打ちはとても納得のできるものではなく、大暴れして不満をぶちまけ、おまづとの関係も切れてしまった。

(補足)

「いざ」、いざこざの略。

「お毛ひ」、変体仮名「毛」(も)はよくでてきます。平仮名「を」とちょっとにてますけど、前後の流れから読み間違えることはそれほどありません。「も」の2本の横棒と1本の縦棒が離れてしまったようなかたちで、「こ」+「と」のようでもあります。

 ポカン顔の先生、何が発端になったのか、とにかくおづまの仕打ちに気づき、怒り心頭、暴れまわって源四郎(おづまのいろ)と万八(門口で迎えたときとは違って厳しい表情)に押さえられ、お銚子から酒がこぼれてしまっています。取っ組み合っているものの、この三人の髷はとてもきれいです。

 前頁と同じ部屋のはずですが、なぜか襖の柄がことなっています。

 

2024年8月14日水曜日

金々先生栄華夢 その23

P13 国立国会図書館

(読み)

ちヤ屋の女  から言 尓てあい

ちゃやのおんなからことにてあい


春゛をしきん\/せんせひを

ず をしきんきんせんせいを


ちヤに春るところ

ちゃにするところ


げコンカシコロウサコンケガ

げ ん し ろうさ ん が


キコナカサカイコトよし可へ

き な さ い とよしかへ


イキマカ

い ま


ニイケク

にい く


コカクラ

 か ら


マコチケ

ま ち


ナコトイ

な とい


キツケテ

 つ て


クコンケナ

く ん な


よくいつ

よくいっ


てくん

てくん


袮へ

ねえ

(大意)

 茶屋の女は唐言で合図をし、金々先生をはぐらかしているところ。

茶屋の女「(源四郎さんが来なさいと)、わかりましたか」

おまづ「(いまに行くから待ちなといってくんな)、よろしくと言っておくれ」

(補足)

「から言」、『からこと 【唐言】②  →挿(はさ)み語(ことば)2に同じ。「茶屋の女―にて合図をし」〈黄表紙・金金先生栄花夢〉』。『はさみことば 4【挟み詞・挿み語】

② 江戸時代,明和(1764〜1772)頃に深川遊里から流行した言い方。言葉の中に種々の音節をはさみ,仲間以外の者には理解しにくいようにしたもの。言葉の各音節のあとに,それと同列のカ行音をはさむのが普通。「いやなひと」を「いキやカなカひキとコ」という類。また,どの音のあとにもキやシをはさむものなどもあった。のちには子供の遊びとなった。唐言(からこと)』

「ちヤに春る」、『茶に◦する② はぐらかして,相手にしない。まじめな受け答えをしない。「人の話を―◦しやあがる」〈当世書生気質•逍遥〉』

 ふすまをあけて金々先生が前にいるにもかかわらず、茶屋の女がおづまと唐言でやりとりをしている。これを「ちヤに春る」というわけ。当の先生は腹ばいになって酒をのみ、わけわからずポカン顔。

 

2024年8月13日火曜日

金々先生栄華夢 その22

P13 国立国会図書館蔵

(読み)

せんせい多川ミの里 の

せんせいたつみのさとの


おま川゛といふいろ二者まり

おまづ といういろにはまり


まい日 あゆミを者こび金

まいにちあゆみをはこびきん


ぎんをおゝくつ可い

ぎんをおおくつかい


个れともおまづハ

けれどもおまづは


毛とよりつとめのならい二て

もとよりつとめのならいにて


お毛てむきハふ可くきん\/

おもてむきはふかくきんきん


せんせい尓者まり多る个しき尓

せんせいにはまりたるけしきに


見セ可け奈い志よ尓てハ源 四郎 と

みせかけないしょにてはげんしろうと


いろ尓て

いろにて


きん\/

きんきん


せんせい

せんせい


の目を

のめを


志のびて多のしみ个る

しのびてたのしみける

(大意)

 先生は辰巳の里のおまづという女郎に夢中になり

毎日足繁く通いつめ、金銀を多く使ったのだが、おまづは

もともとお勤めのつもりであったから、表向きは金々先生に

夢中になっているような仕草でみせかけ、ないしょで源四郎と

通じ、金々先生の目をぬすんで楽しんでいた。

(補足)

「おま川゛」、悪女を暗示した女郎の名前とありました。

「いろ」、深川は官許の遊里ではなく、いわゆる岡場所だったので女郎と区別して「いろ」としたとありました。

 女性の座り方は何度もふれてきましたが、おまづも右膝をを立てています。現在ではお行儀が悪いとされてますが、当時はごく普通の日常的な座り方であったようです。

 

2024年8月12日月曜日

金々先生栄華夢 その21

P11P12 国立国会図書館蔵

P12

(読み)

この大 雪 尓お可ご尓も免しま

このおおゆきにおこがにもめしま


せず可ゞミのゝ御いで多ちハ

せずかがみののおいでたちは


ソレヨ多川ミの里 尓

それよたつみのさとに


ちよきハあれど君 を

ちょきはあれどきみを


おもへバ可ち者多゛しと

おもえばかつはだ しと


いふ御志由可う

いうごしゅこう


おそろ\/

おそろおそろ

(大意)

 この大雪に御駕籠も使わずに、加賀蓑のお姿は、

これはまさか、「辰巳の里に猪牙(舟)はあれど君をおもえば徒歩跣足」という

ご趣向でしょうか、恐れ入り感服でございます。

(補足)

 ソレヨ以下のセリフは謡曲「通小町」『山城の木幡の里に馬はあれども君を思えば徒歩跣足(かちはだし)さてその姿は笠に蓑身の憂き世とや竹の杖(山城の木幡の里には馬もいたけれど、あなたをおもえば裸足で蓑笠つけて、竹の杖をついて通った)』のもじりとありました。

「ちよき」、猪牙船のこと。『【猪牙舟】

① 和船の一。江戸時代,市中の水路で大量に使われた一人あるいは二人漕(こ)ぎの屋根のない船で,舳(みよし)が長く船足が速い。吉原の遊び客の足として盛んに用いられた。関西ではちょろと呼ぶ。ちょけぶね。ちょき。山谷船』

 万八の顔がオネエっぽくてきれいだし、身のこなしもどこかしなをつくってなまめかしい。ちょっと声を裏返したセリフの声が聞こえてきそう。

 竹垣の柵に積もった雪の質感がうまいものです。隙間をとおしてちゃんと奥の(悪)女(おまず)も描かれています。

縦書きの看板「ミやも登」は変体仮名、横書きというか一行一文字の看板「宮本」は楷書。

 

2024年8月11日日曜日

金々先生栄華夢 その20

P11P12 国立国会図書館蔵

P11

(読み)

あゝふ川多る雪 可奈

ああふったるゆきかな


世尓奈き人 ハさ楚゛

よになきひとはさぞ


さむ

さむ


可らん

からん


雪 ハが毛ふ二

ゆきはがもうに


尓てとんでさんらんし

にてとんでさんらんし


人 王可みこをきて川 へ

ひとはかみこをきてかわへ


者まらうとアゝまゝよ

はまろうとああままよ

(大意)

 あぁ降りにふった雪だなぁ。

貧しいものたちはさぞ

寒いことだろうな。

雪は鵞鳥の羽ににて

(白く)あたりいちめんに飛んでいる。

(貧しい)人がどうなろうと

あぁ知ったこっちゃねえ。

(補足)

 金々先生のこの部分のセリフは謡曲「鉢木(はちのき)」のもじりとありました。

『ああ 降ったる雪かな 如何に世にある人の面白う候ふらん

 それ雪は鵞毛に似て飛んで散乱し 人は鶴氅(かくしょう)を着て立って徘徊すと言へり』

「さんらん」、現代では光が散乱するのように使いますけど、雪や羽がフワフワ舞う様子にも使っていたのですね。

「可みこ」、『かみこ【紙子・紙衣】

紙で仕立てた衣服。厚手の和紙に柿渋(かきしぶ)を塗って乾かし,もみ柔らげたもので仕立てる。もとは僧が用いたが,のちに一般の人々も防寒用に着た。かみぎぬ。季冬「飯粒で―の破れふたぎけり」蕪村』

「可みこをきて川へ者まらう」、『紙子着て川へはま・る

無謀なことをして,自ら破滅を招くことのたとえ。紙子着て川へはいる』

 供の小座頭に着替えを持たせ、雪中「ミやも登」へ行く金々先生は深草の少将きどりとありました。この頁、この深草の少将や謡曲「鉢木(はちのき)」のあらすじを知らないと、面白みが理解できません。

 

2024年8月10日土曜日

金々先生栄華夢 その19

P11P12 国立国会図書館蔵

P11

(読み)

きん\/せんせい北 こくの

きんきんせんせいほっこくの


あそびも志つくし个れ者゛

あそびもしつくしければ


古れより多つミの里 と出可け

これよりたつみのさととでかけ


あらゆるさへをつくし个り

あらゆるさへをつくしけり


されども尓和可の志やれ奈れバ

されどもにわかのしゃれなれば


さしたるおちのくることも奈し

さしたるおちのくることもなし


多ゞ阿ミ多の飛可りも金 本ど二て

ただあみだのひかりもかねほどにて


山 ぶきいろをま起ちら春由へ

やまぶきいろをまきちらすゆへ


ミ奈きん\/せんせいと毛て者やし

みなきんきんせんせいともてはやし


个る

ける

(大意)

 金々先生は北国(新吉原)の遊びもしつくしたので、こんどは

辰巳の里(深川遊里)へ出かけ、数々の遊興を残らずおこなった。しかしながら、おもいつきのたわむれであったため、それほど人々の気を引くこともなかった。

 ただ、「阿弥陀の光も金ほどに」のように、山吹色(小判)をまき散らしたので、皆、金々先生ともてはやした。

(補足)

「古れより」、変体仮名「古」(こ)が悩みます。「より」は虫に食われてしまいました。

「多つミの里」、江戸の辰巳(南東)にある深川。

「さへ」、『さえ【冴え・冱え】〔動詞「さえる」の連用形から〕

④ (遊里で)興がますこと。また,遊興。酒宴。「これより辰巳の里と出かけ,あらゆる―をつくしけり」〈黄表紙・金金先生栄花夢〉』

「阿ミ多の飛可りも金本ど二」、『阿弥陀の光も金次第 (かねしだい)

阿弥陀の利益(りやく)も寄進した金の多寡で決まる意で,すべてのことは金次第でどうにでもなるものだということ。阿弥陀も銭(ぜに)で光る。地獄の沙汰(さた)も金次第』

 金々先生のいでたちは当時流行の最先端のようです。加賀蓑(かがみの)、『加賀国から産出した上等の蓑。細い草で編み,萌黄糸で編んだ網をかけて使った』というもので、たしかに肩から網をかけています。これ萌黄色なんですね。袖や腰のあたりが白くなってますが、これは雪がついた様子の描写。そして雪なので高下駄です。

 

2024年8月9日金曜日

金々先生栄華夢 その18

P10 国立国会図書館蔵

(読み)

これハあり可多

これはありがた


山 のとんび

やまのとんび


可ら春これお

がらすこれを


毛川て

もって


个んぎやうに

けんぎょうに


奈り山 と

なりやまと


出可けやう

でかけよう


これハ

これは


きびしい

きびしい


さ川まやの

さつまやの


源 五兵へと

げんごべえと


きて居る

きている


とんと梅 可へ

とんとうめがえ


毛どき

もどき


あり可\/

ありかありか

(大意)

五市「これはありがた山のとんびカラス。これをもって検校になり山と出かけよう」

万八「これはすばらしい。薩摩屋の源五兵衛ときている。まったく梅が枝もどきじゃ梅が枝じゃ」

(補足)

「きびしい」、『② 大したものだ。素晴らしい。「鯛の浜焼に蛸の桜煮,これは―・しいお持たせぢやな」〈歌舞伎・五大力恋緘〉〔もともとク活用の語で,シク活用が生じたのは平安中期からかと思われる〕』

「さ川まやの源五兵へ」、薩摩源五兵衛は俚謡や踊り唄にさかんにうたわれ、最後は「薩摩の山の山は、宝の山とかや」でおわる。ここは、まるで宝の山に入ったようだの意。とありました。

「梅可へ毛どき」、「ひらかな盛衰記」の梅が枝そっくりだ。このBlogで何度も出てきています。男のために念じて手水鉢を柄杓でたたくと二階から小判がふってくる。

 遊女かけのの前にいるのは付き人に相当する、禿(かむろ)or振袖新造でしょうか。振り袖の袂(たもと)の蝶々結びがかわいらしい。

 

2024年8月8日木曜日

金々先生栄華夢 その17

P10 国立国会図書館蔵

(読み)

きん\/せんせい个いせい可けのにの本゛り

きんきんせんせいけいせいかけのにのぼ り


つ免ことしも者やとしの

つめことしもはやとしの


くれおりふしとし

くれおりふしとし


こしの夜 奈り

こしのよるなり


个れ可の源 四郎 可

けれかのげんしろうが


春ゝ免尓てまめハ

すすめにてまめは


ふるしと金 きんを

ふるしときんぎんを


ます二入 せ川ぶんの

ますにいれせつぶんの


志 うきをい王い个る

しゅうぎをいわいける


ふくハ内 お尓ハそと\/

ふくはうちおにはそとふくはうちおにはそと

(大意)

 金々先生は遊女のかけのにすっかり夢中となり、

今年もはや年の暮れとなった。

 折しも節分の夜になると、かの源四郎のすすめで、豆(をまくの)は古いと、金銀を升に入れて節分の祝儀を祝った。

金々先生「福は内鬼は外、福は内鬼は外」

(補足)

「夜」のくずし字は朝や昼とともに基本です。「亠」が「亻」の上だけにかかっているのが特徴。

 金々先生、なぜか二箇所に「金」の字がある。万「八」、「五」市にもあり、遊女かけのには変体仮名「可」とあります。

 そのかけのはまわりのものたち全員が祝儀をかき集め拾うのに夢中になっているのに、ひとり煙管をふかしながらそっぽをむいています。そんなかけのに鋭い目線をなげかけている金々先生、何を考えている?

 

2024年8月7日水曜日

金々先生栄華夢 その16

P9 国立国会図書館蔵

(読み)

きん\/せんせひ楚ゝ奈可されふと

きんきんせんせいそそなかされふと


よしハらへゆき个るかそれより

よしわらへゆきけるがそれより


かけのといふ女 郎 二なじみおや

かけのというじょろうになじみおや


乃いけんも奈んのそ乃

のいけんもなんのその


一 春んさきハやみの

いっすんさきはやみの


よもかの手代 源 四郎

よもかのてだいげんしろう


まん八 をつれて

まんぱちをつれて


飛多とあゆみをハ

ひたとあゆみをは


こび个り

こびけり


きん\/せんせい

きんきんせんせい


の出 多ち八 丈  八 多ん

のいでたちはちじょうはったん


乃羽おりしまちり

のはおりしまちり


免んのこそでやく

めんのこそでやく


しや染 の志多ぎ

しゃぞめのしたぎ


可めやづきん尓目者゛

かめやずきんにめば


可りい多し人 目を

かりいだしひとめを


春こし志のび

すこししのび


个り

けり


多゛ん奈のお春可多

だ んなのおすがた


どうもいへませぬ

どうもいえませぬ


すごい

すごい


飛やう\/

ひゅうひゅう

(大意)

 金々先生おだてられてふと吉原へ行ったのだが、それからというもの

かけのという女郎となじみになり、親の意見も何のその、一寸先は闇の世も、かの手代源四郎・万八をつれて、ひたすら足をはこんだ。

 金々先生のいでたちは八条八反の羽織・縞縮緬の小袖・役者染めの下着、かめや頭巾で目だけをのぞかせて人目を少し気にかけた(が実は得意満面)。

「旦那のお姿は、もうなんともいえませぬ、すごい、ひゅぅひゅぅ」

(補足)

「かけの」、「かける」には「⑦ だます。ひっかける。「今来むと言ひしばかりに―・けられて」〈古今和歌六帖•5〉」という意味もあって、遊女が客をだますのを「かける」といったところからきた名前、とありました。

 新吉原(浅草の北側)を奥にのぞみ、四人が歩いているのは吉原土手の日本堤。妓楼の屋根に二つ三つ見えるのぼりのようなものは、防火用の屋上の天水桶でした。吉原の絵図などにも描かれています。

 この四人このまま現代の浅草あたりにつれてきて、歩かせてもなんの違和感もありません。

かっこいい。 

2024年8月6日火曜日

金々先生栄華夢 その15

P8 国立国会図書館蔵

P8別資料

(読み)

なんと多゛ん

なんとだ ん


奈うちで者゛

なうちでば


可りのさハぎ

かりのさわぎ


ハとんとさへ

はとんとさえ


まセぬあし多ハ

ませぬあしたは


本川こくへいき

ほっこくへいき


山 とおでかけ

やまとおでかけ


奈さりませ

なさりませ


よ川ヤァヤ引 志んじゆく

よつやぁやひきしんじゅく


まぐ楚の奈可尓よ

まぐそのなかによ


女 郎 あるとハつゆ志ら春

じょろうあるとはつゆしらず


き多\/

きたきた


き多さ

きたさ


ぬきの

ぬきの


こんひら

こんぴら


出ますところ可

でますところが


あらし雷子多し可

あらしらしたしか


可よふ二可申  まし多

かようにかもうしました

(大意)

源四郎「ちょいと旦那、うちでばかりの騒ぎじゃ全然パッとしません。明日は北国(新吉原)へいき山とお出かけてなさりませ」

芸者「四谷〜新宿、馬糞の中よ、女郎あるとはつゆしらず、きたきた、きた讃岐の金毘羅」

万八「嵐雷子の声色でやりますと、たしかそのようなことをもうしてました」

(補足)

 下部が虫食いなのかちぎれてかけてしまっている上に文字も不鮮明でしたので、別資料を添付しておきます。

「本川こく」、『ほっこく ほく【北国】③ 〔江戸城の北にあたるので〕新吉原遊郭の別名。北州。「あしたは―へいき山とおでかけなさりませ」〈黄表紙・金金先生栄花夢〉』

「引」、声を引き伸ばす記号。

芸者の唄。潮来節の歌詞「潮来出島の真菰(まこも)の中にあやめ咲くとはしほらしさ」の替え歌のひとつに「四谷新宿、馬糞の中に」とある。また新宿は安永四(1775)年に宿場女郎が許された。「きた〜金毘羅」はもともとは金毘羅節の歌詞の最後に唄ったものがそのうちに、どんな唄の最後にもつけられたよう。以上、ものの本にはありました。

「出ますところが」、声色人まね芸で誰々の声色を使うかというときの出だしの決まり文句。

 三味線の棹が細くてずいぶんと長い。特注か。万八の腰には煙管一式がぶら下げられています。帯の結びもちょうちょ結びみたいだけどもっとおしゃれそうな結び方。

 

2024年8月5日月曜日

金々先生栄華夢 その14

P7P8 国立国会図書館蔵

(読み)

 そのむ可し金 むら

 そのむかしかねむら


ヤ金 びやうへなれハ

やきんびょうえなれば


その名をとりて

そのなをとりて


志よ人 きん\/

しょにんきんきん


セんせいと毛て

せんせいともて


者やしける

はやしける

P8

手代 源 四郎

てだいげんしろう


げいしやを

げいしゃを


よびあつ免て

よびあつめて


きん\/

きんきん


セんせい

せんせい


をそゝ

をそそ


奈可す

なかす

(大意)

 その昔、金村屋金兵衛であったので、その名をとって人々は金々先生ともてはやした。

手代源四郎、芸者を呼び集めて金々先生をおだてそそのかした。

(補足)

 「毛て者やし」「そゝ奈可」された金々先生、立膝に脇息にもたれ盃をあけて、いたってくだけた様子。男女ともに立膝は江戸時代の絵をみるとよく見られる姿勢で、今ほどお行儀が悪いといわれることもなかった感じです。もちろん家の中やくだけた場所だけでしょうけど。

 

2024年8月4日日曜日

金々先生栄華夢 その13

P7P8 国立国会図書館蔵

P7

(読み)

金 兵へ

きんべえ


可とくお

かとくを


つぎて

つぎて


より奈尓二

よりなにに


ふそくも

ふそくも


奈个れハ多゛ん\/おごり尓ちやうじ日 や志由ゑんをのミ事 と

なければだ んだんおごりにちょうひにちやしゅえんをのみことと


奈しむ可しの春可゛多ハ引 可へていまハあ多まも中 ぞりをびんのあ多り

なしむかしのすが たはひきかえていまはあたまもなかぞりをびんのあたり


までそり可みのけをハ袮づミの志りをくらい二して

までそりかみのけをばねずみのしりおくらいにして


本ん多゛二由いき毛のハくろ者ぶ多へつく免

ほんだ にゆいいものはくろはぶたえづくめ


おひハ飛゛ろうとま多ハハ可多

おびはび ろうどまたははかた


おりふうつう毛うるなとゝ

おりふうつうもうるなどと


出可けあら由るとうせいの志やれをつくセばるいハ友 を

でかけあらゆるとうせいのしゃれをつくせばるいはともを


も川てあつまるならい二て手代 の源 四郎 多いこ持 のまん八 ざとうのご

もってあつまるならいにててだいのげんしろうたいこもちのまんぱちざとうのご


市 なぞ心

いちなぞこころ


をあ王セこゝをセんど

をあわせここをせんど


とそゝ

とそそ


奈可し

なかし


ける

ける

(大意)

 金兵衛、家督を継いでからというもの、何の不満もなくだんだん慢心がはなはだしくなり、日夜酒宴だけをするようになってしまった。むかしの姿はすっかりなくなってしまい、いまは頭も中剃りを鬢のあたりまで剃り、髪の毛はねずみの尻尾の毛ほどにして本多に結い、着物は黒羽二重ずくし、帯はビロードか博多織り、風通モールなで出かけ、あらゆる当世のおしゃれを尽くした。

 類は友を呼ぶのことわざ通り、手代の源四郎、太鼓持ちの万八、座頭の五市などが結託してここが攻めどころとそそのかした。

(補足)

「ふうつう毛うる」、『風通織りを応用したモール。一般に,金・銀糸を用いないものをいう』。『ふうつうおり【風通織り】二重織りの一種。異なる色の糸を用いて,二重組織の平織りとし,表と裏に同じ文様が異なる色で表れるように織ったもの。風通』

「源四郎」、『げんしろう げんしらう 【源四郎】〔人形浄瑠璃の隠語から〕

金銭や数をごまかすこと。ぴんはね。また,そうする人。「おまへさんがたの―してぢや」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•8〉』

「まん八」、『まんぱち 【万八】

① 〔万のうち真実は八つだけの意〕うそ。ほら。また,うそつき。千三つ。「世に―といふ事は,此の男より始まりける」〈浄瑠璃・神霊矢口渡〉

② 酒の異名。「日用の―と申し候」〈浄瑠璃・当麻中将姫〉』

「ざとうのご市」、座頭の名はなんとか市と市の字をつける。それに、丁半博打の賽の目の五と一が出たのを五一(ぐいち)というのを掛けた洒落。とものの本にはありました。

「セんど」、『せんど【先途】

① 勝敗や運命を決する大事な分かれ目。せとぎわ。多く「ここを先途と」の形で用いる。「ここを―と戦う」』

 金兵衛、当世はやりの本多髷だけあって、描き方もねんがいっているようにおもわれます。

 

2024年8月3日土曜日

金々先生栄華夢 その12

P5P6 国立国会図書館蔵

(読み)

P6

ふしき奈

ふしぎな


ゑんでこ

えんでご


さる

ざる


これ可ら

これから


春゛い

ず い


ぶんと

ぶんと


志ん志

しんし


やう

ょう


多いじ尓

だいじに


しま

しま


志やう

しょう

P5

志由びよく

しゅびよく


御可とくあい春ミ

ごかとくあいすみ


い可者゛かり

いかば かり


めて多ふ

めでとう


そんじま春る

ぞんじまする


こんどの

こんどの


若 多゛ん奈ハ

わかだ んなは


とんと雷 子可

とんとらいしが


毛の草 といふ

ものぐさという


可つこう多゛

かっこうだ

(大意)

文ずい「ふしぎな縁でござる。これから大いに身上大事にしましょう」

番頭or手代「首尾よく御家督があいすみ、大変に目出度く存じあげまする」

接待女中「今度の若旦那は、まったく雷子の物ぐさのようなおっとりした様子だ」

(補足)

「雷子」、『二世嵐三五郎の俳名。三五郎は安永二(1773)年五月の江戸森田座で物ぐさ太郎などを演じている。田舎者らしいぼんやりした挙動をさしていう』とありました。

「毛の草」、変体仮名「毛」(も)は頻繁に出てきますけど、ここのはちょっとわかりにくい。草のくずし字は基本ですけどよく間違えてしまいます。

 文ずいのセリフはかすれが多くて読みづらい。

 

2024年8月2日金曜日

金々先生栄華夢 その11

P5P6 国立国会図書館蔵

P6

(読み)

あるしの老

あるじのろう


おう清三

おうせいざ


立 いでよろ

たちいでよろ


こびのま由

こびのまゆ


を飛らき

をひらき


則  ち金 ひや へ

すなわちきんひょうえ


王可名をゆ

わがなをゆ


つりい川゛ミや

ずりいず みや


清 三とあら

せいざとあら


多免さセ

ためさせ


七ちん万 宝

しちんまんぽう


こと\/くゆ

ことごとくゆ


づりてんの

ずりてんの


こんづと毛

こんずとも


いふ遍き本

いうべきほ


どのさけを

どのさけを


い多゛しおやこ

おだ しおやこ


志うぢ うの

しゅじゅうの


志 うぎの酒

しゅうぎのしゅ


ゑんを楚

えんをぞ


者し免

はじめ


个る

ける

(大意)

 あるじの老翁清三があらわれた。喜びに眉をあげ目をみひらき、すぐに金兵衛へわが名をゆずり和泉屋清三とあらためさせた。あらゆる財宝ことごとくゆずり、天の濃漿ともいうべきの銘酒を出し、親子・主従の祝儀の酒宴をはじめた。

(補足)

「こんづ」、『こんず ―づ漿・濃漿】〔「濃水(こみず)」の転〕

② 酒・果汁などおいしい飲み物。「水を飲て―と思ふ」〈日蓮御書〉』。「序」に「邯鄲」とありましたが、そこに「天の濃漿とは、これ仙家の酒の名なり」とあるそうです。

 いじわるジジイになってこの絵をみると、縁側の木の幅をすこしずつ遠くなるにしたがってせばめればよかったのにと、せっかくの遠近法にケチをつけさせてください。

 

2024年8月1日木曜日

金々先生栄華夢 その10

P5P6 国立国会図書館蔵

P5

(読み)

金 飛゛やうへ可のかごに

きんび ょうえかのかごに


うちのり由く本ど二

うちのりゆくほどに


本ど奈くいづミヤの

ほどなくいずみやの


門 尓い多りぬヤ可

もんにいたりぬやが


てかごより出 し

てかごよりいでし


者゛んとう手代 左きに多ち

ば んとうてだいさきにたち


と毛奈い由くにその

ともないゆくにその


春まひの个つ可うさ

すまいのけっこうさ


まことに玉 のきざ者し

まことにたまのきざはし


るりの戸者゛りとも

るりのとば りとも


い川べきありさ満

いつべきありさま


びやう婦゛

びょうぶ


ふすまにハ

ふすまには


金 ぎんの

きんぎんの


春奈ごを

すなごを


奈らべつい

ならべつい


多て二小金

たてにこがね


の日 里んを

のにちりんを


可ゝセ可らかみ

かかせからかみ


に志ろ可年の

にしろがねの


月 里んをあ

げつりんをあ


ら王し多り

らわしたり


本ど奈く

ほどなく

(大意)

 金兵衛(きんびょうえ)はあの駕籠にのって行くと、ほどなく和泉屋の門に着いた。そこで駕籠から出て、番頭・手代が先導し案内に従って進んでゆくと、その住まいの見事なこと、まことに玉を敷きつめた階段、瑠璃の扉とも云うのであろうか、屏風・ふすまには金銀の砂子をちらし、衝立に黄金(こがね)の日輪を描かせ、唐紙には銀(しろがね)の月輪をあらわしてあった。

 しばらくすると、

(補足)

 ここの文章もかすれや不鮮明なところがおおく、他の資料を参考にして読んでいます。

「かごより出し」、「出」がどうしても「お」と読んでしまいます。

「左きに多ち」、変体仮名「左」(さ)はどうも不慣れで、さてこれは?と悩みます。

 まるで歌舞伎の舞台のよう。三部屋続きで縁側がありそれにつづいて庭が遠くまであって左側には蔵があります。そしてずっと奥にやっと塀がのぞめます。当時としてはかなり大胆な遠近法で西洋画から拝借したのかもしれません。

 金兵衛が挨拶している部屋の右の部屋に、裃姿の金兵衛を連れてきた責任者の後ろ姿があり、なかなか芸が細かい。また、手前の部屋には接待の腰元が三方をもって入ってくるところ。どちらも絵に動き与えています。