P16 国文学研究資料館蔵
(読み)
と可く思 ふ
とかくおもう
やう二
ように
可年も
かねも
遍ら
へら
ねバ
ねば
ま多\/
またまた
志あんし
しあんし
京
きょう
大 阪
おおさか
可ら
から
やまと
やまと
め
め
ぐ
ぐ
り
り
と
と
心
こころ
さし
ざし
道\/ も
みちみちも
ついへを
ついえを
可ん可゛へ一 日 尓
かんが えいちにちに
二三 里
にさんり
ぐらひ
ぐらい
徒゛ゝ
ず つ
ふらり\/ と
ふらりふらりと
ゆきける
ゆきける
(大意)
なにをやっても思うように金がへらないので、またまた考えをめぐらし、京大阪から大和めぐりすることをきめ、道中の費用を(なるべく減らすべく)考えて、一日に二三里ぐらいずつ、ふらりふらりと旅した。
(補足)
「遍らねバ」、変体仮名「遍」(へ)だとおもうのですが。
「道\/も」、「道」のくずし字は特徴的でおぼえやす。変体仮名「遍」にそっくりです。
「二三里ぐらひ徒゛ゝ」、前後のながれから「徒゛ゝ」としましたが、この部分だけを読めといわれたらわからないとおもいます。
この時代の人たちはこの絵をひと目見てすぐにわかったのでしょうけど、というかわからなかったのはわたしだけかもしれませんが、一番左側にいるのは馬子で馬を引いている、一番後ろが旅のお供の手代、萬々は馬に背負わせたたくさんの金箱の上に腰掛けているという絵だとおもいます。馬はわざとかくして描かなかったのでしょうか?
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