序 国立国会図書館蔵
(読み)
文 尓曰 く浮世 ハ夢 の如 し歓 を奈寿事
ぶん い王 ふせい 由免 こと よろこび こと
ぶんにいわくふせいはゆめのごとしよろこびをなすこと
以く者゛く楚゛やと誠 尓志かり金 々 先 生 の一
まこと きん\/せんせい
いくば くぞ やとまことにしかりきんきんせんせいのいっ
生 乃栄 花 も邯 鄲 のまくらの夢 もと毛に
ゑいく王 可ん多ん 由免
しょうのえい かもかんたんのまくらのゆめもともに
粟 粒 一 春ひの如 し金 々 せんせいハ何 人 と
ぞく里 う 奈んひと
ぞくりゅういっすいのごとしきんきんせんせいはなんひとと
いふこと越知ら寿お毛ふニ古今 三 鳥 の
こきんさんて う
いうことをしらずおもうにこきんさんちょうの
傳 授 乃如 し金 ある者 は金 々 先 生 とな梨
でんじ由 可年
でんじゅのごとしかねあるものはきんきんせいせいとなり
(大意)
序
古い書物に「浮世は夢のごとし。歓(よろこび)をなす事いくばくぞや」とあって、まことにそのとおりである。金々先生の一生の栄花も、邯鄲の枕の夢も、ともに粟粒一炊のようなものである。金々先生がどのような人であるかはしらないが、もしかしたら「古今三鳥の伝授」のようなえたいのしれないものだろうか
(補足)
恋川春町(こいかわはるまち1744~1789)、名前は江戸小石川春日町に住んだのでそのもじり、の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」を読みます。
恋川春町著・画、安永四年(1775年)、板元は鱗形屋(うろこがたや)、丸に黒三角三つが印。表紙は略。
「浮世ハ夢の如し〜」、李白(唐の詩人)の「春夜宴桃李園序(春夜桃李の園に宴するの序」の一節「而(しか)シテ浮生ハ若(ごと)シ夢ノ、為スコト歓ビヲ幾何(いくばく)ゾ」。はかない人生は夢のようなもので、楽しみをなすこともどれほどの時間があるのだろうか。ここの「夢」は楷書ですが、二行後のものはくずし字。
「金々(きんきん)」、「きんきん」は当時の流行語で、享楽的で粋な様をあらわした。
「邯鄲のまくらの夢」、『邯鄲の夢 (ゆめ)
〔出世を望んで邯鄲に来た青年盧生(ろせい)は,栄華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし,栄枯盛衰の五〇年の人生を夢に見たが,覚めれば注文した黄粱(こうりよう)の粥(かゆ)がまだ炊き上がらぬ束の間の事であったという沈既済「枕中記」の故事より〕
栄枯盛衰のはかないことのたとえ。邯鄲の枕。邯鄲夢の枕。盧生の夢。黄粱一炊の夢。黄粱の夢。一炊の夢』。
「粟粒一春ひ」、ここの「一炊」はもちろん「一睡」にひっかけている。粟の煮えるまでの一眠り。
「古今三鳥の伝授」、『こきんでんじゅ【古今伝授】
歌道伝授の一。中世,古今集の語句の訓詁注釈を師から弟子に伝え授けたこと。三木・三鳥・三草などはその例』
どの書籍の序文にも古典を引用するのは、知識をひけらかすというより、おきまりのならいであったようで、ひとつひとつ元をたどって説明理解しようとすると、それだけで何行にもなってしまい、おさまりがつかなくなってしまいます。まぁ、無教養なじじいのいいのがれなのですけど。
「の」のかたちに特徴があって、この頁をパッといっけんながめると、とても目立っています。
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