2024年7月31日水曜日

金々先生栄華夢 その9

P4 国立国会図書館蔵

(読み)

本うセんじ可ご尓うち

ほうせんじかごにうち


のセい川゛くともなくともない由くこ楚ふしぎ

のせいず くともなくともないゆくこそふしぎ


なる

なる


うれしヤ\/  やうやく若

うれしやうれしやようやくわか


多ん奈をさ可゛し

だんなをさが し


多゛し多楚

だ したぞ


う川ちや川て

うっちゃって


おけ春ゝ者き二

おけすすはきに


出よふとい川多

でようといった


ハこのこつ多

はこのこった


あろう

あろう


金 兵衛お毛いも

きんべえおもいも


よらざること

よらざること


いとふしん二お

いとふしんにお


毛ひ个れとも

もいけれども


古れさい王い

これさいわい


ふくとくの三

ふくとくのさん


袮ん目あい

ねんめあい


多口 へ毛ち

たくちへもち


天 へもあ可る

てんへもあがる


古ゝちして則

ここちしてすなわち


可ご尓うち

かごにうち


のりていづ

のりていず


くをあて毛

くをあても


なく出 由き

なくいでゆき


个る

ける

(大意)

宝泉寺駕籠に押し込め乗せられて、どこかへと運ばれてゆくのが不思議

なことであった。

「うれしやうれしや、ようやく若旦那をさがしだしたぞ」

「うっちゃっておけ。煤掃きのときに見つかるといったのは、

このこったろう」

 金兵衛は思いもよらないことで、ひどく疑わしく勘ぐったのだけれど

これ幸いと、福徳の三年目、あいた口へ餅、天へものぼる心地がして、すぐに

駕籠にとびのって、どこかへとあてもなく出発したのだった。

(補足)

 この部分、かすれがあって、他の資料を参考に読みました。

「春ゝ者き二出よふ」、年末の大掃除のときには見つかるだろう。

「ふくとくの三袮ん目」、『福徳の三年目〔福徳の御利益は三年目にめぐってくるということから〕意外な幸運に出合うこと』

 駕籠の右後ろ、白無地の着物の方、鼠の嫁入りの白ねずみのように見えます。顔は右向きになって、耳は人の耳ではなくネズミの耳に見えませんか。遊び心で描き入れたのかもしれません。

 

2024年7月30日火曜日

金々先生栄華夢 その8

P4 国立国会図書館蔵

(読み)

をたゞしいぎを津くろい申  けるハ楚も\/

をただしいぎをつくろいもうしけるはそもそも


王れ\/ハ神 田の八 丁  本゛り尓とし久 しく春まい

われわれはかんだのはっちょうぼ りにとしひさしくすまい


い多すい川゛ミヤ清 三と申  毛のゝ家来 なり

いたすいづ みやせいざともうすもののけらいなり


志可るに主 人 清 三多ん\/老 春いい多し候   所

しかるにしゅじんせいざだんだんろうすいいたしそうろうところ


いま多一 子なしことに古ん袮んてい者つ

いまだいっしなしことにこんねんていはつ


い多し名をぶん春゛ひとあら多免候

いたしなをぶんず いとあらためそうろう


よ川てあと志きゆづる遍゛き人 も

よってあとしきゆずるべ きひとも


可゛奈と多川゛袮候   所  二さい王い

が なとたず ねそうろうところにさいわい


古の多び君 志由川世をのぞみ

このたびきみしゅっせをのぞみ


多まひ古れまでき多り給 ふよし

たまいこれまできたりたもうよし


主 人 としご路志んじんい多す所

しゅじんとしごろしんじんいたすところ


の万 八 まん大 本さ川のつげ尓ま可セ

のまんはちまんだいぼさつのつげにまかせ


古れまで王れ\/来 り多り袮可

これまでわれわれきたりたりねが


王くハ主 人 文 春゛いの望  尓

わくはしゅじんぶんず いののぞみに


ま可セ多まへとむり(に)可の

まかせたまえとむり に かの

(大意)

(を着て威儀をただし申すには)「そもそも

わたしたちは神田八丁堀に長年住んでおります

和泉や清三と申すものの家来であります。

 その主人清三のことでどざいますが、だんだん老衰いたしておりますれば

いまだに子がなく、ことに今年剃髪

いたし、名を文ずいと改めました。

したがいまして、跡目を譲るべき人が

いないものかと探していましたところに、さいわい

このたび貴方様が出世をのぞまれ

ここまでやってらっしゃったよし、

主人がここ数年信心している

万八万大菩薩のお告げにまかせて

ここまでわれわれはやってまいりました。

願わくは主人文ずいの望みに

従ってくだされませと無理にあの

(補足)

「も可゛奈」、『もがな(終助)〔終助詞「もが」に終助詞「な」の付いたものから。上代の「もがも」に代わって,中古以降用いられるようになった〕

文末にあって,体言,形容詞や打ち消しの助動詞「ず」および断定の助動詞「なり」の連用形,一部の助詞などに付く。強く望み願う意を表す』

「万八まん大本さ川」、『まんぱち 【万八】

① 〔万のうち真実は八つだけの意〕うそ。ほら。また,うそつき。千三つ。「世に―といふ事は,此の男より始まりける」〈浄瑠璃・神霊矢口渡〉』。嘘っぱちの大菩薩。

「主人としご路志んじんい多す所」、変体仮名「路」(ろ)はよく使われます。「ん」と「じ」が重なってます。「い」の一画目がかすれてほとんどみえません。

「文春゛いの望尓」、「望」のくずし字、平仮名「ら」の途中から「里」のくずし字になるようなかたち。

「むり(に)可の」、「に」は原文にはありません。

 

2024年7月29日月曜日

金々先生栄華夢 その7

P3P4 国立国会図書館蔵

(読み)

金 兵へくうふく

きんべえくうふく


のあまりあ王餅

のあまりあわもち


ヤのおくざしきへ

やのおくざしきへ


とをりける尓おり

とおりけるにおり


しもあ王毛ちハま多

しもあわもちはまだ


でき合 セず志者゛しまちいる

できあわせずしば しまちいる


そのうち尓多びのつ可れ二ヤ春こし

そのうちにたびのつかれにやすこし


袮むけきざしけるまゝそは尓あり

ねむけきざしけるままそばにあり


あふまくら引 よセ春ヤ\/お毛ハ春゛

あうまくらひきよせすやすやおもはず


まどろミ个る夢 尓いづくとも奈く

まどろみけるゆめにいずくともなく


P4

本うセんじの御免ん可ごをつらセくろ

ほうせんじのごめんかごをつらせくろ


可も志多てのそう里とり十  壱 二の小僧

かもしたてのぞうりとりじゅういちにのこぞう


其 本可手代 者゛んとうおび多ゝしく免し

そのほかてだいば んとうおびただしくめし


つれさき二春ゝみ多る年者゛いの男  上 下 のひだ

つれさきにすすみたるねば いのおとこかみしものひだ


をたゞしいぎを津くろい申  けるハ楚も\/

をただしいぎをつくろいもうしけるはそもそも

(大意)

 金兵衛空腹のあまり、粟餅屋の奥座敷へとすすんでゆくが、そのときには粟餅はまだ出来上がっておらず、少しのあいだ待つことになった。そうするうちに旅の疲れだろうか、少し眠気がしてきて、そのままそばにあった枕を引きよせ、スヤスヤおもわずまどろんでしまった。夢を見た。どこからともなく、宝泉寺駕籠の御免駕籠があらわれ、黒鴨仕立ての草履取り、十一二の小僧、そのほか手代・番頭とおびただしく召しつれ、先に進んでいた年配の男は折り目のたった裃(かみしも)を着て威儀をただし申すには「そもそも

(補足)

「本うセんじの御免ん可ご」、『ほうせんじかご【宝泉寺駕籠】駕籠の一種。富豪や小身の大名などが使用したもの。民間では最上級の駕籠』。『ごめんかご【御免駕籠】江戸時代,医者や裕福な町人が,町奉行の許しを得て用いた黒塗りの自家用かご』。

「くろ可も志多て」、『くろがもじたて【黒鴨仕立て】

法被(はつぴ)・腹掛け・股引き・脚半(きやはん)などを黒か紺の無地で統一した服装。下男や人力車夫が用いた。黒鴨いでたち』。

 ここまでの文章の内容がそのまま大きな吹き出しの中に描かれている絵となっています。

 金兵衛の脛(すね)のところにある三つの点(P1でも描かれています)がここの頁でも描かれていて、気になってました。足袋の小鉤(こはぜ)かともおもったのですけど、なんのことはない、お灸のあとではないでしょうか。

 うとうとしながらうちわをあおぐ金兵衛さん、団扇がひとすじさけてしまっているのが、心憎い細かな演出。

 

2024年7月28日日曜日

金々先生栄華夢 その6

P1P2 国立国会図書館蔵

(読み)

奈んでも江戸へ

なんでもえどへ


出で者゛んとう可ぶ

いでば んとうかぶ


とこ起つけそろ

とこきつけそろ


者゛んの玉 者づ

ば んのたまはず


連お

れを


志こ

しこ


多免山 と出

ためやまとで


可けておごりお

かけておごりを


き王免ましやう

きわめましょう


毛し\/毛者や

もしもしもはや


なんときでごさ

なんどきでござ


里ましやうの

りましょうの


一 せんちよと

いちぜんちよと


多のみます

たのみます


P2

あいおゝ

あいおお


可多飛る

かたひる


春きで

すぎで


こさりま

ござりま


しやう

しょう


おくへお

おくへお


とをり奈

とおりな


さりませ

さりませ

(大意)

(金兵衛)「なんとかして江戸に出て、番頭の地位へこぎつけ、役得で得た別の金をしこたまためまくって、贅沢の限りを尽くそう」

「もしもし、もう何時頃でございましょうか。一膳ちょっとたのみます」

(店の女)「はい、だいたい昼すぎでござりましょう。奥へお通りなさりませ」

(補足)

 この部分、かすれや欠けがあって読みづらく、他の資料を参考にして読んでいます。

「そろ者゛んの玉者づ連」、『算盤の玉はずれ、

そろばんで計算した分以外の金。帳簿に記入されない余分な金』、辞書にはこんな言葉ものっているのですね。

 

2024年7月27日土曜日

金々先生栄華夢 その5

P1P2 国立国会図書館蔵

P2

(読み)

そも\/目

そもそもめ


くろふどうそんハ連い个゛ん

ぐろふどうそんはれいげ ん


いち志゛るしくあま袮く

いちじ るしくあまねく


志よ尓んの志るところ

しょにんのしるところ


なり本 そんハじ可く

なりほんぞんはじかく


大 しのさく二して寺ごうを龍  泉寺と

だいしのさくにしてじごうをりゅうせんじ


いふこのところの

いうこのところの


名 さんあ王毛ち

めいさんあわもち


ならび二

ならびに


毛ち

もち


ばな



いふ

いう


毛のあり

ものあり


竹 を王りて

たけをわりて


けまんのことくに

けまんのごとくに


む春びこれ二

むすびこれに


赤 白 黄の

あかしろきの


毛ちを花 の

もちをはなの


ことく二つける也

ごとくにつけるなり


よ川て毛ち花

よってもちばな


といふ

という

(大意)

 そもそも、目黒不動尊は霊験いちじるしく、すべての人にひろく知られているところである。本尊は慈覚大師の作にして、寺号を龍泉寺という。ここの名物に粟餅ならびに餅花というものがある。華鬘(けまん)のように赤白黄の餅を花のようにして結んで飾る。よって餅花という。

(補足)

「寺ごうを龍泉寺」、「寺」のくずし字は平仮名「る」のようなかたち。

「あ王毛ち」、変体仮名「毛」(も)はどことなくとらえどころのないかたち。大きな立て看板の右側にその変体仮名「毛」があります。大きくかいてあるので筆順がよくわかります。「ミ」の三画目がそのまま「て」or「こ」のような感じでながしたようなかたち。

「けまん」、『【華鬘】仏堂内陣の欄間などにかける荘厳具。金・銅・革などを材料に,花鳥・天女などを透かし彫りにする』

「毛ち花」、看板「名物 本粟餅」の左側に店に飾ってある「餅花」らしきものがみえます。

 暖簾に「むさ志や」とある店先で杵を持つ男のその姿だけで餅つきの様子をそれらしく見せているところがにくい。杵のサキッチョがちらりと(暖簾の隙間からも)みえてるようにしているのが粋なんでしょうね。

 日よけの簾(すだれ)が丁寧で、杵でつく男や臼がすけて見えるような感じがします。

 

2024年7月26日金曜日

金々先生栄華夢 その4

P1P2 国立国会図書館蔵

P1

(読み)

乃本うへと古ゝろざし个る可名

のほうへとこころざしけるがな


尓た可き目くろふどうそんハ

にたかきめぐろふどうそんは


うんの神 名れハこれへさ

うんのかみなればこれへさ


ん个いしてうんの本どを

んけいしてうんのほどを


いのらんともふで

いのらんともうで


个る可者や日も由ふ

けるがはやひもゆう


可多尓奈りいとくう

がたになりいとくう


ふくに奈り个れハ名代の あ王毛ちを

ふくになりければなだいのあわもちを


く王んと多ちよりける

くわんとたちよりける

(大意)

(まず江戸の方へと向かうことを決めた。しかし)

有名な目黒不動尊は(諸願成就の)運の神様であるから、ここを参詣して運のおこぼれを頂戴すべく祈るために詣でたが、はやくも日はかたむき夕方となり、ずいぶんと空腹になったので、評判の高い粟餅をくおうと立ち寄った。

(補足)

「名尓た可き」、「名」のくずし字は読み間違うことおおし。片仮名「タ」+平仮名「い」のようなかたち。

「目くろふどうそん」、現在の「目」は縦長ですが、当時の「目」はほとんどが正方形。道標「是より右目黒道」の「目」も真四角です。

 

2024年7月25日木曜日

金々先生栄華夢 その3

P1P2 国立国会図書館蔵

P1

(読み)

今 ハむ可しか多い奈可に

いまはむかしかたいなかに


金 むらや金 兵へといふ者

かねむらやきんべえというもの


あり个りむまれつき心

ありけりむまれつきこころ


由ふ二してうき世の多の

ゆうにしてうきよのたの


しミをつくさんとお毛へともい多川てまづしくして

しみをつくさんとおもえどもいたってまずしくして


こゝろ二ま可セ須よつて津く\/お毛ひつき者んく王

こころにまかせずよってつくづくおもいつきはんか


のミやこへ出て本うこうを可セき世二出天

のみやこへでてほうこうをかせぎよにでて


お毛ふまゝにうき世の多のしミをき王

おもうままにうきよのたのしきをきわ


免んとお毛い多ちまづ江戸

めんとおもいたちまずえど


乃本うへと古ゝろざし个る可名

のほうへとこころざしけるがな

(大意)

 いまは昔、片田舎に金村屋金兵衛というものがいた。生まれつき心優しく、浮世の楽しみをつくそうとおもうのだけれども、とても貧しかったので思う通りにはできなかった。ならばとよくよく考えておもいついたのが、にぎやかな都会に出て奉公口にありつき、お金をかせいで出世し、おもうままに浮世の楽しみをきわめようとすることで、まず江戸の方へと向かうことを決めた。しかし

(補足)

「金兵へ」、連判状などの古文書には「何とか兵衛」という名前がズラズラっと連名してあって、それらくずし字の「〜兵衛」とここのは違っていて、平仮名の「へ」になっているようです。

「いふ者」、「者」のくずし字は変体仮名「志」(し)に似ていて、変体仮名「者」(は)のかたちとは異なっています。変体仮名「者」(は)のかたちは平仮名「む」の最後が上にあがらないで右斜め下にながれるようなかたち。

「むまれつき心」、平仮名「れ」の左側に「ゝ」があります。現在の「れ」の一画目は縦棒ですけど、この「れ」は左の「ゝ」が最初で次に英小文字「n」のような筆順でしょうか。

「心」のくずし字はよく読み違えてしまいます。

「津く\/」、「く」と\/記号が同じなので、読みをちと考えてしまいます。

「ミやこへ出て」、「出」のくずし字が平仮名「お」と全く同じかたちなので、前後の流れから判断するしかありません。

 金兵衛旅装束、これが正しい旅姿のようであります。ちょっと暑苦しそうですけど。

 

2024年7月24日水曜日

金々先生栄華夢 その2

序 国立国会図書館蔵

(読み)

傳 授 乃如 し金 ある者 は金 々 先 生 とな里

でんじ由    可年

でんじゅのごとしかねあるものはきんきんせんせいとなり


金 奈き毛のハ由ふでく頓 直 と奈るさ春れハ

           とんちき

かねなきものはゆうでくとんちきとなるさすれば


金 々 先 生 ハ一 人の名尓し天壱 人 の名二あら須

きんきんせんせいはひとりのなにしていちにんのなにあらず


神 銭 論 尓い王ゆる是 を得る毛のハ前 二多ち

しんせんろん     これ う    まへ

しんせんろんにいわゆるこれをうるものはまえにたち


これを失  ふ毛のハ後 尓多川とそれ是 これ

          し里

これをうしなうものはしりにたつとそれこれこれ


云ふ可と云 云

いうかとうんぬん


画工 戀 川 春 町 戯作 角印

がこうこいかわはるまちげさく


(大意)

 金のあるものは金々先生となり、金なきものは田舎者で野暮な男となる。であれば、金々先生はひとりの名ではあるが、そのようなものは世の中にたくさんいることになる。

 神銭論によれば「これ(銭)をうるものは前にたち、これ(銭)を失うものは後ろにたつ」とある。それやこれ、これまで云うのかとやれやれ。

(補足)

「金々先生とな里」、前回、変体仮名「梨」(り)としましたが、どうやら変体仮名「里」(り)のようです。

「ゆふでく」、『ゆうでく〔近世,深川の遊里語。「遊木偶」の意ともいう〕

田舎者をののしっていう語。「ひやうたくれ,―の揃ひだ」〈洒落本・辰巳之園〉』

「頓直」、『とんちき 1【頓痴気】〔「とん」は「とんま」の「とん」,「ちき」は「いんちき」の「ちき」と同じもの〕まぬけ。とんま。多く人をののしっていう語。「須河の―めが待て居てね」〈当世書生気質•逍遥〉「こんな無分別な―を相手にしては吾輩の顔に係はるのみならず」〈吾輩は猫である•漱石〉』

「さ春れハ」、判読が難しい。

「神銭論」、晋の魯褒(ろぼう)の文。正しくは銭神論とありました。漢学に詳しくなく馬脚をあらわしたのか、それともわざとまちがえたのか、わたしはわざとではないかと勘ぐります。

 絵と本文、両方ともに戀川春町。

 

2024年7月23日火曜日

金々先生栄華夢 その1

序 国立国会図書館蔵

(読み)

文 尓曰 く浮世 ハ夢 の如 し歓   を奈寿事

ぶん い王 ふせい 由免 こと よろこび   こと

ぶんにいわくふせいはゆめのごとしよろこびをなすこと


以く者゛く楚゛やと誠  尓志かり金 々 先 生 の一

         まこと    きん\/せんせい

いくば くぞ やとまことにしかりきんきんせんせいのいっ


生  乃栄 花 も邯 鄲 のまくらの夢 もと毛に

    ゑいく王 可ん多ん     由免

しょうのえい かもかんたんのまくらのゆめもともに


粟 粒  一 春ひの如 し金 々 せんせいハ何 人 と

ぞく里 う                 奈んひと

ぞくりゅういっすいのごとしきんきんせんせいはなんひとと


いふこと越知ら寿お毛ふニ古今 三 鳥  の

            こきんさんて う

いうことをしらずおもうにこきんさんちょうの


傳 授 乃如 し金 ある者 は金 々 先 生 とな梨

でんじ由    可年

でんじゅのごとしかねあるものはきんきんせいせいとなり


(大意)

古い書物に「浮世は夢のごとし。歓(よろこび)をなす事いくばくぞや」とあって、まことにそのとおりである。金々先生の一生の栄花も、邯鄲の枕の夢も、ともに粟粒一炊のようなものである。金々先生がどのような人であるかはしらないが、もしかしたら「古今三鳥の伝授」のようなえたいのしれないものだろうか


(補足)

 恋川春町(こいかわはるまち1744~1789)、名前は江戸小石川春日町に住んだのでそのもじり、の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」を読みます。

恋川春町著・画、安永四年(1775年)、板元は鱗形屋(うろこがたや)、丸に黒三角三つが印。表紙は略。

「浮世ハ夢の如し〜」、李白(唐の詩人)の「春夜宴桃李園序(春夜桃李の園に宴するの序」の一節「而(しか)シテ浮生ハ若(ごと)シ夢ノ、為スコト歓ビヲ幾何(いくばく)ゾ」。はかない人生は夢のようなもので、楽しみをなすこともどれほどの時間があるのだろうか。ここの「夢」は楷書ですが、二行後のものはくずし字。

「金々(きんきん)」、「きんきん」は当時の流行語で、享楽的で粋な様をあらわした。

「邯鄲のまくらの夢」、『邯鄲の夢 (ゆめ)

〔出世を望んで邯鄲に来た青年盧生(ろせい)は,栄華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし,栄枯盛衰の五〇年の人生を夢に見たが,覚めれば注文した黄粱(こうりよう)の粥(かゆ)がまだ炊き上がらぬ束の間の事であったという沈既済「枕中記」の故事より〕

栄枯盛衰のはかないことのたとえ。邯鄲の枕。邯鄲夢の枕。盧生の夢。黄粱一炊の夢。黄粱の夢。一炊の夢』。

「粟粒一春ひ」、ここの「一炊」はもちろん「一睡」にひっかけている。粟の煮えるまでの一眠り。

「古今三鳥の伝授」、『こきんでんじゅ【古今伝授】

歌道伝授の一。中世,古今集の語句の訓詁注釈を師から弟子に伝え授けたこと。三木・三鳥・三草などはその例』

 どの書籍の序文にも古典を引用するのは、知識をひけらかすというより、おきまりのならいであったようで、ひとつひとつ元をたどって説明理解しようとすると、それだけで何行にもなってしまい、おさまりがつかなくなってしまいます。まぁ、無教養なじじいのいいのがれなのですけど。

 「の」のかたちに特徴があって、この頁をパッといっけんながめると、とても目立っています。

 

2024年7月22日月曜日

莫切自根金生木 その47

P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

そのゝち

そののち


ふう婦ハ

ふうふは


こゝろを

こころを


あら多め

あらため


王可やへ

わがやへ


可ゑりハ

かえりは


かへつ多れど

かえったれど


金 で

かねで



どころの

どころの


奈き

なき


本ど

ほど


めで

めで


多く

たく


む可ふ

むかう


者るの

はるの


者るい

はるい


志由こうも

しゅこうも


御王らひ

おわらい


くさそうしと

くさそうしと


御者つ可しく

おはずかしく


唐 来 参 和印

とうらいさんな印


千代女 画

ちよじょが

(大意)

 そののち、夫婦は心をあらためわが家や帰るには帰ったのだけれど、金で居所のない程でありました。めでたく迎える春の春い(悪いのひっかけ)趣向もお笑い草双紙とお恥ずかしく。

唐来参和印

千代女画

(補足)

 金との縁に心乱れ、あらん限りの散財を試みるもかえって財を爆富みさせてしまい、そんなわが運命を受け入れた萬々と妻、万両箱の隙間に体育座りする萬々の顔はどこかすっきりした表情に。

 絵師も万両箱を整然と並べ積み重ね、夫婦の心のありようを上手に描きしめくくっています。

 

2024年7月21日日曜日

莫切自根金生木 その46

P27P28 国文学研究資料館蔵

(読み)

王しらハ御可げで

わしらはおかげで


可年もち二奈り

かねもちになり


まし多

ました


その

その


於ん

おん



王すれ

わすれ


させうとハ

させうとは


ふとい

ふとい


ひと多゛

ひとだ


御うけとり

おうけとり


奈されずハ

なされずば


こう遍ん二

こうへんに


い多して

いたして


御遍んさい

ごへんさい


申 す

もうす


P28

奈んでも

なんでも


うちへ

うちへ


ひき

ひき


徒゛つて

ず って


いつて

いって


金 を

かねを


ミ奈

みな


くゝし

くくし


付 る可゛

つけるが


いゝ

いい

(大意)

(借り手二)「わたしらはおかげで金持ちになりました。その恩を忘れさせようとは肝の太い人だ」

(借り手三)「お受け取りにならないのでしたら、表沙汰にしてご返済いたします」

(借り手四)「もう無理矢理にでも家へ引きずって行って、金を全部くくりつけるのが一番だ」

(補足)

「こう遍ん」、『こうへん【公辺】

② 表向き。表ざた。「―にいたして御返済申す」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』

 左の頁、金を運ぶのに、手前は籠(かご)のようなつくりになっていて人が前後でかつぐようになっていますけど、重たすぎて無理なのでは。そのうしろは馬(たてがみが細かくきれい)がひいているようです。

 

2024年7月20日土曜日

莫切自根金生木 その45

P27P28 国文学研究資料館蔵

(読み)

ホンニ可年もちの女  本゛う尓ハ

ほんにかねもちのにょうぼ うには


何 可゛奈る可

なにが なるか


於きどころの奈い

おきごころのない


可年ハさ可さ尓して

かねはさかさにして


ふるつても

ふるっても


於きどころ

おきどころ




さらぬ

ざらぬ


元 利

がんり


そろへて

そろえて


御やどへ

おやどへ


遍んさい二

へんさいに


まいつ多ら

まいったら


P28

ちやんと

ちゃんと


るすを

るすを


つ可王つ

つかわっ


志やる可ら

しゃるから


これまで

これまで


於つ可けて

おっかけて


まいつ多

まいった

(大意)

(萬々妻)「ほんとうに、金持ちの女房には、なるものではないさ」

(萬々)「置きどころのない金は、逆さにして振るっても、置きどころはござらぬ」

(借りた人一)「元利そろえてお宿へ返済に参ったら、もう留守にしてらっしゃったから、ここまで追っかけてまいった」

(補足)

「さ可さ尓して」、「さ」は間違えて変体仮名「多」になってしまっています。

「ちやんと」、ここの意味は『⑤ すばやく。さっと。ちゃっと。「凭(もた)れ給へば―退き」〈浄瑠璃・傾城無間鐘〉』でしょうか。

「於つ可けて」、ここの「於」は拡大してみても「や」にしかみえません。女房のセリフの出だしの「於」と比べてみても。

 萬々のセリフ、もう少しよい言い回しがあると、喉元まででかかっているのですけど、うーん🤔金の置きどころがなくあふれるほどあるのだけど、すっからかんにしても、まだまだ金があふれてきてしまってどうしようもない、ということなんですが。

 返済を迫る金持ちの身なりは羽織袴の正装です。

 

2024年7月19日金曜日

莫切自根金生木 その44

P27P28 国文学研究資料館蔵

(読み)

さき尓

さきに


可り多る

かりたる


ひと\゛/

ひとびと


いまハ

いまは


可年もちと

かねもちと


奈り

なり


可り多る

かりたる


金 二利二

かねにりに


里をそへて

りをそえて

P28

もちき多り

もちきたり


むりむ多い二

むりむたいに


へんさい

へんさい


せんとて

せんとて


多つミ

たつみ


あ可り二

あがりに


奈り

なり


可年を

かねを


於つ

おっ


つける

つける

(大意)

 以前にお金を借りた人々がいまは金持ちとなって、借りたお金に利息を十分にうわのせして持って来た。萬々におかまいなく無理矢理に返済しようと荒々しく金を押し付けた。

(補足)

「多つミあ可り」、『たつみあがり 【辰巳上がり】

① かん高い声を出すこと。「―なる高咄し」〈浮世草子・日本永代蔵•3〉

② 言動の荒っぽい・こと(さま)。「―になり,金をおつつける」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』

 萬々夫妻は旅装束、萬々はかっぱをはおり脚絆に草履、左手には三度笠のようなものがみえます。妻は上っ張りを引っ掛けています。旅につきものの振り分け荷物がみあたりませんがさて🤔

 

2024年7月18日木曜日

莫切自根金生木 その43

P27P28 国文学研究資料館蔵

P27

(読み)

すて多る

すてたる


きん\゛/

きんぎん


せけんの

せけんの


可年とひと

かねとひと


か多まり二

かたまりに


奈りて者゛い

なりてば い


まし二奈りて

ましになりて


とび可へり

とびかえり


けれバいまハ

ければいまは


うち尓も

うちにも


多ちきり

たちきり


可゛多く

が たく


ふう婦

ふうふ


もろとも

もろとも


志由つ本゜んして

しゅっぽ んして


のやまも

のやまも


王可ず

わかず


あるきし

あるきし


ところへ

ところへ

(大意)

 捨てた金銀が、世間の金といっしょになり、倍増になって飛んで戻って来たために、今では家にいても、金銀との縁を断ち切ることは難しくなってしまい、夫婦そろって出奔した。野山やどこでもへと歩いていると、

(補足)

 萬々は数人に囲まれ何か嫌がる仕草、妻はおいおい泣いてます。さて、どうしたことか?

 

2024年7月17日水曜日

莫切自根金生木 その42

P25P26 国文学研究資料館蔵

(読み)

ウン\/ ウン\/ ウン\/

うんうん うんうん うんうん


可年のう奈るこへを

かねのうなるこえを


者じめてきい多可

はじめてきいたが


奈る本どウン\/といふの

なるほどうんうんというの


於ふごん可゛

おうごんが


まじつて

まじって


くるハ多゛ん奈ハ

くるはだ んなは


大 ごんまり

おおごんまり


多゛ろう

だ ろう


むせ う二

むしょうに


やきミそを

やきみそを

P26

や可せる可゛

やかせるが


いゝ

いい


ウン\/ ウン\/ ウン\/ ウン\/\/

うんうん うんうん うんうん うんうんうん 

(大意)

 ウンウン、ウンウン、ウンウン

「金のなる声をはじめて聞いたが、なるほどウンウンというのぉ」

「黄金がまじって飛んでくるのは、旦那はおお困り(おおごん)だろう」

「どんどん焼き味噌を焼かせるがいい」

ウンウン、ウンウン、ウンウン、ウンウンウン。

(補足)

「やきミそをや可せる」、焼き味噌は贅沢品で、焼き味噌を焼くと金が逃げるといわれた。

 ウンウンやう〜んとうなるのはうなり声のひとつですが、「金がうなる」は中国の故事であるそうです。

 ところで屋根に登っている3人、なんで裸なんでしょうか?

 

2024年7月16日火曜日

莫切自根金生木 その41

P25P26 国文学研究資料館蔵

(読み)

あり多けの

ありたけの


きん\゛/のこらず

きんぎん のこらず


春ていまハこゝろ二

すていまはこころに


可ゝるくも者れ多りと

かかるくもはれたりと


よろこぶ於り可ら春て多る

よろこぶおりからすてたる


きん\゛/ひと可多まり尓

きんぎん ひとかたまりに


奈りてくうち うへとびあ可゛れバ

なりてくうちゅうへとびあが れば


このせい二ひ可れてせ可い中  の

このせいにひかれてせかいじゅうの


きん\゛/いつ志よ二あつまり

きんぎん いっしょにあつまり


まん\/可゛

まんまんが


可年ぐらさしてとびくるハめもあてられぬ

かねぐらさしてとびくるはめもあてられぬ


志多゛い尓て可奈いのものどもを可年くらの

しだ いにてかないのものどもをかねくらの


や年二あげて

やねにあげて


可年多゛まをふせ可゛せる

かねだ まをふせが せる

(大意)

 ありったけの金銀を残らず捨てて、いまは心にかかっていた雲も晴れたと、喜んでいるそのそばから、捨てた金銀がひとかたまりになって空中へ飛び上がると、その勢いにひかれて世の中の金銀がひとところにあつまり、萬々の金蔵をめざして飛んでくる様子には目もあてられぬ次第であった。家中のものどもを金蔵の屋根に上げて飛んでくる金玉を防がせた。

(補足)

 火の粉をはらうは火消し、そして屋根上がって纏(まとい)を振り回すは江戸の華「纏持ち」。ここではその火のかわりにとんでくる小判(金)を振り払う箒二本に蜘蛛の巣のような煤取りぼうき(でもこんなのはじめてみました)。誰しもおもう、うちにとんでこないかなぁ。

 大金持ち萬々の蔵の屋根は天守閣並みの立派な屋根であります。

 

2024年7月15日月曜日

莫切自根金生木 その40

P23P24 国文学研究資料館蔵

(読み)

P24

ま多゛於くの

まだ おくの


くらの

くらの


三 十  こまえ可゛

さんじゅうこまえが


て可゛つ可ぬ

てが つかぬ


ミん奈

みんな


可せひで

かせいで


すて多

すてた


\/

すてた


P23

いまゝで

いままで


可年二うらミ可゛

かねにうらみが


かす\゛/

かずかず


あつ多可゛

あったが


のふ

のう


\/

のう



し多

した


P24

のこらず

のこらず


春て多ら

すてたら


あとへ

あとへ


し保者゛奈を

しおば なを


ふらせ

ふらせ


ませ ふ

ましょう


コレ\/

これこれ


そこらへ

そこらへ


こ本れぬ

こぼれぬ


やう

よう


すてさつ

すてさっ


せへ

せえ

(大意)

(手代一)「まだ奥の蔵の三十以上が手がついてない。みんな頑張って捨てた捨てた」

(萬々)「いままで、金に恨みが数々あったが、これで気持ちが落ち着いた」

(妻)「のこらずすてたら、あとへお清めの塩をまきましょう」

(手代二)「これこれ、そこらへこぼれぬように捨てるんだ」

(補足)

「三十こまえ」、「まえ」の意味がよくわからのですが、「〜以下」ということはないので「〜以上」と理解しましたが。

「可せひで」、『かせ・ぐ【稼ぐ】⑤ 仕事などにはげむ。努力して…する。「此のおうぢも,若い時―・いだによつて,今楽をする」〈狂言・財宝〉』

「そこらへ」、「そこ」の判別が難しい。

 一番左端、絵の中から引っ張り出してすぐにそのまま使えそうな筵(むしろ)があります。異様に丁寧に描かれていますけど、かきあつめた小判をいれる風呂敷代わりのようにもみえますが何でしょうかねぇ🤔


 

2024年7月14日日曜日

莫切自根金生木 その39

P23P24 国文学研究資料館蔵

(読み)

まん\/

まんまん


ハこし可゛

はこしが


ぬけ

ぬけ


てより

てより


もつ

もっ


けの

けの


さい

さい


王い

わい








やう

よう


じょう


せん

せん



於もひの

おもいの


本可

ほか


けろ\/と

けろけろと


奈をり

なおり


けれバ

ければ


も者や

もはや


王可゛

わが


うんも

うんも


これまで

これまで


奈りと

なりと


く王ん

か ん


P24

ねんして

ねんして


王可゛やへ

わが やへ


多ち

たち


可へり

かえり


ちと

ちと


ふる

ふる


けれど

けれど


きん\/

きんきん


せん生

せんせい


のせん

のせん


可くの

かくの


とふり

とおり


くらの

くらの


きん\゛/

きんぎ ん


をのこらず

をのこらず


とり多゛し

とりだ し


可いち うへ

かいちゅうへ


春て

すて


させる

させる

(大意)

 萬々は腰が抜けてから、これはよい機会と本腰を入れて養生しようとおもったものの、おもいのほかケロッと治ってしまったので、もはや我が運もこれまでなりと観念し、わが家へ帰った。少し古いが金々(金銀)先生の前例にしたがい、蔵の金銀を残らずとりだし、海中へ捨てさせた。

(補足)

「ハこし可゛」、なかなか読めず、「ハ」が「は」とわかれば読めました。

「きん\/せん生のせん可くのとふり」、この黄表紙の六年前に出版された、恋川春町「金銀先生再寝夢(きんぎんせんせいまたねのゆめ)」のこと。

 もっこをかついでいる竿の奥に四角の小さな窓のようなものがあって、なんだろうと・・・

一番右側に目をやると、蔵の窓があってやはり同じような蜂の巣状のものがあります。これは金網ですね。

 ここでは蔵が三棟描かれていて、この三つをあわせるとちょうど蔵全体となるように描かれているような気がします。

 黒瓦の隙間には白の漆喰が埋め込まれ、端の瓦には立派な家紋のあるものとなっています。

 

2024年7月13日土曜日

莫切自根金生木 その38

P21P22 国文学研究資料館蔵

P22

(読み)

まだ\/

まだまだ


こん奈

こんな


可らうと可゛

かろうとが


二三 百  も

にさんびゃくも


ござり

ござり


ます

ます


いしの

いしの


可らうとで

かろうとで


百  万 両

ひゃくまんりょう


とつ多

とった


やう奈

ような


つらをして

つらをして


奈まけずと

なまけずと


てめへも

てめえも


いつて

いって


あとを

あとを


可つ

かつ


いで

いで


きや

きや


(大意)

(人夫一)「まだまだこんな唐櫃(かろうと)が二三百もござります」

(人夫二)「石の唐櫃(かろうと)で百万両掘り当てたようなつらをしてさぼってないで、てめえも行って、残りを担いでこい」

(補足)

 人夫たちの着ているもの、胸当ても半纏にも「萬」の字が染め抜かれていたりして金がかかっているのがわかります。

 背景の松並木をよく見ると、千両箱のようなものを運んでいたり、飛脚が描き込まれています。

 右の松は幹も太く見ごたえたっぷりですけど、左の松も手を抜くことなく丁寧。

 

2024年7月12日金曜日

莫切自根金生木 その37

P21P22 国文学研究資料館蔵

P21

(読み)

四百  四びやうのやまいより

しひゃくしびょうのやまいより


金(キン)本どつらい

  きん ほどつらい


ものハ奈い

ものはない


於れハマア

おれはまあ


どうし多

どうした


いんぐ王で

いんが で


このやう二

このように


金 二ゑん可゛

かねにえんが


ある可

あるか


あやまり

あやまり


いつ多

いった


ホンニ

ほんに


金 の

かねの


あるのハ

あるのは


くびの

くびの


ある二ハ

あるには


於とつ多

おとった


こと多゛

ことだ

(大意)

(萬々)「四百四病の病より金(きん)ほどつらいものはない。おれはまぁどうした因果で、このように金に縁があるのか、勘弁してくれ」

(手代)「ほんに、金のあるのは、首のあるに劣ったことだ」

(補足)

「四百四病より貧(ひん)ほど辛い物無し」(どんな病気より貧乏ほどつらいものはない)のもじり。ちゃんと金(きん)と貧(ひん)で韻をふんでいる。

「金のあるのハくびのある二ハ於とつ多こと多こと」、「金の無いのは首の無いのと同じ事」という言い回しをもじったものだろうけど、いまひとつです。

 絵師はかならず修行時代に松(並)をなんども練習するとおもいます。この松は松でも三保の松原の松。なので気合をいれたのか、幹の描き方も松の葉の一本一本、枝ぶりもうまい。

 

2024年7月11日木曜日

莫切自根金生木 その36

P21P22 国文学研究資料館蔵

P21

(読み)

よく

よく


じつ


さう

そう


朝  より

ちょうより


可年二

かねに


あ可して

あかして


ぢを可い

じをかい


人 ぶを

にんぷを


あ徒め

あつめ


あま多の

あまたの


松 を

まつを








なか


より

より


いし

いし




らう

ろう


とを

とを


本り

ほり


多゛し

だ し


あけて

あけて


ミけれバ

みければ


P22

ま多

また


可年

かね


ゆへ

ゆえ


きもを

きもを


つぶして

つぶして


こし可゛

こしが


ぬける

ぬける

(大意)

 翌日早朝より、金にものをいわせて地所を買い、人夫を集め、たくさんの松を掘らせると、なかより石の唐櫃(かろうと)を掘り出し、あけてみると、また金であったので肝をつぶし腰がぬけてしまった。

(補足)

「可らうと」、『かろうと からうと【唐櫃】』『からびつ【唐櫃】〔古くは「からひつ」〕

かぶせ蓋(ぶた)のついた箱で,四本または六本の脚のついたもの。衣服・文書などを入れるのに用いられた。平生は室内に置き並べ,また旅にも持って行った。からうづ。からうと。かろうと』

「さう朝」、「朝」のくずし字は基本ですが、それよりも「月」が基本中の基本のくずし字。

 萬々腰を抜かし手代に助けられながら松の根方にくずれるの図。

 その前にはおおきな石の唐櫃、中には千両とかかれた箱が八つも!

 ちゃんと石の大きな蓋があるのが絵師のこだわり。

 

2024年7月10日水曜日

莫切自根金生木 その35

P20 国文学研究資料館蔵

(読み)

奈んでも多可い本うへ

なんでもたかいほうへ


於とす可ら

おとすから


ぎ里やう一者゛い

ぎりょういちばい


徒可゛も奈く

つが もなく


多可゛く

たか く


つも里やれ

つもりやれ


入 ふ多の

いりふだの


ぎで

ぎで


ござり

ござり


ます

ます


可ら

から


ずいぶん

ずいぶん


もう

もう


ける

ける


やう二

ように



もり

もり


まし多

ました

(大意)

(萬々)「なんでもよいから高い方へ決めるので、精一杯とんでもなく高く見積もってくれ」

(請負人)「入札の決め事でございますから、できるかぎり儲けるように見積もりました」

(補足)

「徒可゛も奈く」、『つがもな・い(形)《文ク つがもな・し》〔「つがなし」を強めた語。近世語〕

① 途方もない。とんでもない。ばかばかしい。「はあ―・い,私は大坂者,半七が叔母で御座りんす」〈浄瑠璃・長町女腹切•上〉』

 かすれてわからないところも多く、いろいろ資料文献にあたって調べてなんとか。

請負人の脇にあるのは煙草盆?、切り株or木の瘤を加工したようなおしゃれな一品。

 

2024年7月9日火曜日

莫切自根金生木 その34

P20 国文学研究資料館蔵

(読み)

志よせん

しょせん


ひと

ひと


とふり

とうり


でハ

では


志ん代

しんだい


もま王る

もまわる


まじと

まじと


くつと

ぐっと


ちへを

ちえを


めぐらし

めぐらし


三本の

みほの


松 原 の

まつばらの


まつを

まつを


本らせ

ほらせ


ゑど

えど


まで

まで



うん

うん


ちん

ちん


可れ

かれ


これ

これ


この

この


いり

いり


やう

やう


でハ

では


よもや

よもや


かね


も奈く奈り

もなくなり


そふ奈ものと

そうなものと


まづ大 ぜいうけ於い

まずおおぜいうけおい


尓んをあつめ

にんをあつめ


いれふ多゛をさせる

いれふだ をさせる

(大意)

 しょせん、このような普通のやり方では、身代も使い尽くせないだろうと、ぐっと知恵をめぐらし、三保の松原の松を掘らせ江戸まで運ばせれば、運賃やあれやこれやと費用もかかり、これなら金もなくなりそうなものと、まず大勢の請負人を集め、入札をさせた。

(補足)

 旅から戻ったようで、今度は請負人3名(右端の人は右手に入札状を手にしている)と敷居をまたいでの入札懇談中。

 萬々は按摩に肩をもんでもらい、旅の疲れをとっているのか?

 

2024年7月8日月曜日

莫切自根金生木 その33

P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

これハ

これは


ま多

また


とん多゛

とんだ


事 多゛

ことだ


あ可゛りめ可゛

あが りめが


ミへ多奈ら

みえたなら


うらず二

うらずに


於けバ

おけば


ヱゝ二

ええに


ま多於れ二

またおれに


ふさ可゛

ふさが


せる

せる


御もつ

ごもっ


ともで

ともで


ござります

ござります


れども

れども


さき\/

さきさき


可ら

から


金 二

かねに


い多

いた


して

して


つき

つき


つけます

つけます


可らい多し

からいたし


やう可゛

ようが


ござり

ござり


ませぬ

ませぬ


こ者゛ん

こば ん


多゛もの多゛

だ ものだ


こまつ多もの多゛

こまったものだ


ときこへる可

ときこえるか

(大意)

(萬々)「これはまたとんでもないことだ。値が上がりそうになるのがわかったなら、売らずにおけばよかったのに。また俺を憂鬱にさせる」

(手代)「ごもっともでござりますけれども、先方から金を積み上げて突きつけますので、どうしようもいたしかたありませぬ」

(萬々)「小判だものだ。困ったものだときこえるか」

(補足)

 かすれていて読みづらいですが、前後のつながりからなんとか読むことができます。

 手代の足先をみるとつま先立ちで、あわてて書状をもって萬々に届けた様子が伝わります。絵師の細かい気遣い筆使い。

 萬々は胡座をかたむけて半分立膝、からだをのりだして書状に見入ります。座布団二枚でちっとも「ふさ可゛せる」なんてことはなさそう。

 

2024年7月7日日曜日

莫切自根金生木 その32

P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

このころ大 あめ

このころおおあめ


ふり徒ゞき

ふりつづき


川 \/も

かわかわも


徒可へ

つかえ


けれバ

ければ


志者゛らく

しば らく


里与

りょ


志由く二

しゅくに


とう

とう


里 うの

りゅうの


うち

うち


この大 あれ二

このおおあれに


可い於ゐ多る

かいおきたる


こめ

こめ


一 ど二

いちどに


ね可゛

ねが


あ可゛

あが


つて

って


もう

もう


け多る

けたる


よし

よし


志よ

しょ


じやう

じょう


つき

つき


ける

ける

(大意)

 この頃、大雨が降り続き、川々も川止めになってしまい、しばらく旅宿に逗留していると、この大荒れの天候で買い置きしてあった米が一度に値が上がって儲けたという書状が届いた。

(補足)

 旅宿に逗留しているので、仕切りの衝立のうらには荷物がまとめられています。またふすまもそれらしくみせるために少しずらして描いているところがなかなか。その奥の部屋の桶はなんでしょうか?

 

2024年7月6日土曜日

莫切自根金生木 その31

P17P18 国文学研究資料館蔵

(読み)

P17

モシあれ可゛

もしあれが


可年奈ら

かねなら


江のしま可ねくらと

えのしまかねぐらと


奈づけて

なずけて


くらを多つて

くらをたって


いれて於く可゛

いれておくが


ようござり

ようござり


ます

ます


このけしきハ

このけしきは


日本 多゛志可し

にほんだ しかし


奈ん多゛可

なんだ か


いやミ奈

いやみな


ひ可り可゛

ひかりが


さすぜへ

さすぜえ


ま多ゑて

またえて


ものでハ

ものでは


ねへ可

ねえか


うるさへこつ多

うるさえこった


P18

さき可ら

さきから


もつと徒゛つ

もっとづ づ


つと

っと


あび

あび


可つせへ

かっせぇ


ヤイ\/

やいやい


こらつ可い二

こらつかいに


者゛ち

ば ち


者゛らつ多

ば らった

(大意)

(手代)「もしあれが金なら、江の島金蔵と名付けて蔵を建てて、入れておくのがようござりましょう」

(萬々)「この景色は最高だ。しかしなんだか嫌味な光がさすぜぇ。また得手物(例のもの(お金)))ではねぇか。なんてぇこった」

(漁師)「先の方をもっとズズッと網を引かっせぇ」

(漁師)「???」(意味不明です)

(補足)

 ここの文章もかすれやかけが多く、前後の流れから推測しながらの読みとなります。

「ゑてもの」、『えて【得手】

③ (聞き手にそれと分かる事物・人物・場所などをさして)例のもの。例のこと。例のところ。「歩(あい)ばつし。―へ行つて,ももんぢいで四文(しもん)二合半(こなから)ときめべい」〈滑稽本・浮世風呂•3〉』

『えてもの 【得手物】

②  →えて(得手)3に同じ。「また―(=オ金ノ意)ではねえか」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』

 地引網の先端付近から十本くらいの後光のような光の線が出ていますが、これが「いやミ奈ひ可り可゛さす」でしょう。

 最後の漁師の言葉はよくわかりませんが、網をしっかり引けと言われて、いや何かが引っかかってしまって網がバラけてしまいそうだ、のような意味合いでしょうか。三浦半島周辺から鎌倉逗子平塚小田原と、沿岸の漁師は独特の浜言葉があって陸のものにはわからない一種の方言があります。

 浜の中央では萬々手代がのんきに地引網を眺めています。

 

2024年7月5日金曜日

莫切自根金生木 その30

P17P18 国文学研究資料館蔵

(読み)

まん\/

まんまん


せん生 ハ

せんせいは


よき

よき


ついで

ついで


奈りと

なりと


江の

えの


志まへ

しまへ


さん

さん


けいし

けいし


ま多

また


可年の

かねの


いる

いる


奈ぐ

なぐ


さミを

さみを


於もひ

おもい


つき

つき


里やうし

りょうし


ども

ども


いち

いち


やうの

ようの


そろひの

そろいの


ゆ可多を

ゆかたを


そめて

そめて


きせ

きせ


ぢびき

じびき


をさせし二

をさせしに


あんの

あんの


本可

ほか


うミ川 へ

うみかわへ


P18

春多れる

すたれる


きん\゛/

きんぎん


うを二

うおに


まし

まじ


里て

りて


於び多ゞしく

おびただしく


あ可゛りしゆへ

あが りしゆへ


こゝろ

こころ


奈らずも

ならずも


ま多

また


可年可゛

かねが


ふへて

ふえて



まり

まり


ける

ける

(大意)

 萬々先生はこれはよい機会であると江の島へ参詣し、また金を散財する楽しみを思いついた。漁師どもに同じ柄のおそろいの浴衣を染めて着せ、地引網をさせると、意外なことに海や川へ捨てられた金銀が魚に混じって、おびただしいほどにあがってしまったので、心ならずもまた金が増えて困ってしまった。

(補足)

 地引網の様子は見たこともなければ描けません。この本の絵師喜多川千代女は当時のこんな絵をみていたかもしれません。

 放物線状に囲う地引網の頂点付近に等間隔で四角いものが5,6個網についています。浮きでしょうか。江の島の地引網のはずですが、江の島をおもわせるものが描かれてないのが残念。

 

2024年7月4日木曜日

莫切自根金生木 その29

P16 国文学研究資料館蔵

(読み)

て うど

ちょうど


金 川

かながわ


どまりで

どまりで


よう

よう


ござりませ う

ござりましょう


可奈川 ハ

かながわは


可年のゑん可゛

かねのえんが


うるさい可ら

うるさいから


日高 でも

ひだかでも


川 さ起へ

かわさきへ


とま

とま


ろふ

ろう


此 用

このよう


於金 を

おかねを


つけると

つけると


申  ハ

もうすは


むまの

むまの


多め尓

ために


御き

ごき


とう二

とうに


奈り

なり


ます

ます


四五十  里も

しごじゅうりも


多ゞ御於王せ

ただおおわせ


奈されてく多゛さりませ

なされてくだ さりませ

(大意)

(手代)「ちょうど金川(神奈川)泊まりでよろしいのではございませんか」

(萬々)「かな川は金の字がついて縁起が悪いから、まだ日は高いが、川崎へ泊まろう」

(馬子)「このようにお金を背負わせるということは、馬のためのご祈祷になります。四五十里も、ただで背負わせてくださりませ」

(補足)

 かすれていて読みにくい、読めないところが何箇所もあります。ネットや文献にあたって調べてなんとか・・・

 馬子にただでよいといわれて、萬々散財又々失敗。

 

2024年7月3日水曜日

莫切自根金生木 その28

P16 国文学研究資料館蔵

(読み)

と可く思 ふ

とかくおもう


やう二

ように


可年も

かねも


遍ら

へら


ねバ

ねば


ま多\/

またまた


志あんし

しあんし


きょう


大 阪

おおさか


可ら

から


やまと

やまと






こころ


さし

ざし


道\/ も

みちみちも


ついへを

ついえを


可ん可゛へ一 日 尓

かんが えいちにちに


二三 里

にさんり


ぐらひ

ぐらい


徒゛ゝ

ず つ


ふらり\/ と

ふらりふらりと


ゆきける

ゆきける

(大意)

 なにをやっても思うように金がへらないので、またまた考えをめぐらし、京大阪から大和めぐりすることをきめ、道中の費用を(なるべく減らすべく)考えて、一日に二三里ぐらいずつ、ふらりふらりと旅した。

(補足)

「遍らねバ」、変体仮名「遍」(へ)だとおもうのですが。

「道\/も」、「道」のくずし字は特徴的でおぼえやす。変体仮名「遍」にそっくりです。

「二三里ぐらひ徒゛ゝ」、前後のながれから「徒゛ゝ」としましたが、この部分だけを読めといわれたらわからないとおもいます。

 この時代の人たちはこの絵をひと目見てすぐにわかったのでしょうけど、というかわからなかったのはわたしだけかもしれませんが、一番左側にいるのは馬子で馬を引いている、一番後ろが旅のお供の手代、萬々は馬に背負わせたたくさんの金箱の上に腰掛けているという絵だとおもいます。馬はわざとかくして描かなかったのでしょうか?

 

2024年7月2日火曜日

莫切自根金生木 その27

P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

よもやモウぬ春んで

よもやもうぬすんで


可へりまし多ろう

かえりましたろう


御可へり

おかえり


奈さり

なさり


ませ

ませ


ふう婦可゛

ふうふが


かへりし

かえりし


こゑを

こえを


きくと

きくと


そのミ者゛可りあしを

そのみば かりあしを


者可り二尓げてゆく

ばかりににげてゆく


それ多可ら

それだから


マアちつと

まぁちっと


者゛可りでも

ば かりでも


とれバよ可つ多

とればよかった


ものを

ものを


王きで

わきで


ぬすん多゛ものまで

ぬすんだ ものまで


於ゐて

おいて


ゆくとハ

ゆくとは


て う志゛やの

ちょうじ ゃの


者ぎへミそを

はぎへみそを


つけ多せんぎ多

つけたせんぎだ

(大意)

(萬々の妻)「おそらくもう盗んで帰ったでしょう。おかえりなさいませ」

 夫婦が帰宅した声を聞き、その身だけで、脚だけで一目散に逃げていった。

(盗人)「こんなことならまぁ、もうちょっとでも盗めばよかったものだ。そばで盗んだものまで置いてゆくとは、長者の脛(はぎ)へ味噌をつけたことになっちまう」

(補足)

「てう志゛やの者ぎへミそをつけ」る、『あり余った上にさらに物を加えること』。有り余る金を持つ萬々の家に、盗んできた小金を置いてきてしまったことの洒落。

 盗人二人、完全な泥棒装束(or忍者装束)ではなく、上半身は単衣そのままのよう。

 

2024年7月1日月曜日

莫切自根金生木 その26

P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

あんのごとく

あんのごとく


ぬす人

ぬすびと


大 ぜい

おおぜい


者いりハ

はいりは


者いりし可゛

はいりしが


あまりの

あまりの


大 可゛年ゆへ

おおが ねゆへ


もち

もち


多゛す

だ す


くふうや

くふうや


尓ごしらへ二

にごしらへに


てまどり

てまどり


よも

よも


本の

ほの


\゛/と

ぼ のと


あけ

あけ


けれバ

ければ


とることハ

とることは


於ゐて

おいて


よそ

よそ


尓て

にて


ぬすミし

ぬすみし


金 者゛こ

かねば こ


いるい

いるい


どうぐ

どうぐ


までもつて

までもって


で尓く

でにく


く奈りしや

くなりしや

(大意)

 案じていたとおりに、盗人が大勢入ることは入ったのだが、あまりの大金(おおがね)のため、持ち出す方法や荷ごしらえに手間取り、夜もほのぼのとあけてしまい、取ることはあきらめ、よそで盗んだ金箱・衣類・道具まで持って出にくくなってしまった。

(補足)

「よそ尓てぬすミし」、前頁P14の左下の「尓本ひを可き\/ぬすミ尓」の「ぬす」がかすれていてよくわかりませんでしたが、この頁の「ぬす」が同じようなかたちなので、P14のところは「ぬす」で間違いがなさそうです。

 帰宅した萬々の障子にうつる姿の影が印象的です。そしてそれをみてあわてる盗人。当時のおおくの絵師たちが錦絵・浮世絵でこの影の手法を使用しています。

 有名な葛飾応為「吉原格子先之図」です。

 光と影が見事です。