P30 国文学研究資料館蔵
(読み)
此 ことハりを志らバ可の奈むや本゛多゛ぶ川も
このことわりをしらばかのなむやぼ だ ぶつも
いらぬ本と尓つうともい王れ須゛
いらぬほどにつうともいわれず
や本゛ともい王れ須゛多ゞ
やぼ ともいわれず ただ
無名(むめい)多゛\/ と
むめい だ むめいだと
と奈へ
となへ
さつ
さっ
しやれ
しゃれ
まず
まず
こん尓ちの
こんにちの
せ川本うハ
せっぽうは
これまで尓
これまでに
い多さう
いたそう
ヂヤン\/ \/ \/ \/ \/
じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん
「アゝ百 日 の
ああひゃくにちの
せ川本うも
せっぽうも
へのごとし多゛
へのごとしだ
清 長 画
きよながが
京 傅 戯作
きょうでんげさく
(大意)
このことわりを知らないのであれば、あの南無野暮陀仏もいらぬほどであるし、通ともいわれないし、ただ名も無い人だと唱えなさい。
まず今日の説法はこれまでにいたそう。じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん。
「あぁ、百日の説法も屁のごとしだ
(補足)
最後のしめは、諺「百日の説法屁一つ」(つまらない説法の意)からのもじりとありました。
聴衆も手足をもんで、首もコキコキ。講釈台の幕に何やら書いてありますが、読めません。
「くがいじゅうねん」は辞書にもそのままのっていて『【苦界十年】〔江戸時代,遊女の年季は10年以内とされていたのでいう〕遊女勤めをすること』とあります。
京伝は「苦海」を「九替」としました。十年を九年にしたって、たった一年の違い、そんなに変わらないじゃないかとおもう一方、たった一年短くなるだけだって、大きな違いで、それほどに苦しい世界なのだということを述べているようにもおもえます。
京伝は中国の書物にも詳しく通じていましたから、『中国における数字の「九」は縁起の良い数字』であり『偶数を陰数、奇数を陽数として、その奇数が重なる日を祝う習慣があり、奇数 (陽数)が重なる日を「重陽」と読んでいた。奇数の中で最も大きな数である「9」が古代から特に好まれてきており、「9 月 9 日(旧暦)は重陽の節句」として、縁起の良い日とされている。この日は高所に登って菊酒を飲み,長寿を願い災難を払う風習』(ニッセイ基礎研究所研究員の眼 2018-04-03より)も承知していたのかもしれません。
いずれにせよ、「屁のごとし」といいつつも、講釈したいことを語り尽くしてノビノビ伸びをする京伝のさっぱり清々しい表情はどこか心を打つものがあります。
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