2024年3月26日火曜日

九替十年色地獄 その59

P30 国文学研究資料館蔵

(読み)

可くのごとく尓く可゛い十  年 可゛あい多゛いろ

かくのごとくにくが いじゅうねんが あいだ いろ


ぢごくのせめをふびん尓於もハゞ

じごくのせめをふびんにおもはば


ふら連ても者ら多川べ可ら須゛もてゝも

ふられてもはらたつべからず もてても


者満るべ可ら須゛与けいの金 あらバ

はまるべからず よけいのかねあらば


くるしミをもすくふべしよい本ど\/尓

くるしみをもすくうべしよいほどほどに


あそひて多るを志り者やく丘偶(き うぐう)尓とゞまるべし

あそびてたるをしりはやく   きゅうぐう にとどまるべし


つうのつうとすべきハつ年のつう尓あら須゛

つうのつうとすべきはつねのつうにあらず

(大意)

 このように、苦界十年という期間の色地獄の責めを不憫に思うのならば、振られても腹をたててはいけない。もててもいい気になってはいけない。余計な金があるならば、苦しみを救うように使わねばならぬ。ほどほどによく遊んで身をわきまえ、はやくおのれの遊びようを心得るべきである。通の通とすべきは世間一般にいわれる通とはことなっていて、通ぶることは野暮というものである。

(補足)

「丘偶(きうぐう)尓とゞまる」、詩経『黄鳥丘隅に止まる(こうちょうきゅうぐうに とどまる)。鶯のような鳥でさえ、自らの留まるべき場所を知っているのだから、人間であればそれに相応しい場所を知って当然である』とありました。

「つうのつうとすべきハつ年のつう尓あら須゛」、『老子。道可道、非常道。道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず』からとありました。

「ごとく」、「ごと」は二文字を一文字にした合字。

「く可゛い十年」、カタカナ「ム」のような「く」も普通に使われます。「年」のくずし字は「◯」が特徴。

 長い説法を語り終えた京傅和尚の表情がたまらなく素敵です。なぜか両手はグ〜パ〜!?

 

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