2024年3月25日月曜日

九替十年色地獄 その58

P28P29 国文学研究資料館蔵

P29

(読み)

「尓よらいこくう尓

 にょらいこくうに


そう花 を

そうばなを


ふらせ二て う

ふらせにちょう


つゞミの

つづみの


げいしや天 人

げいしゃてんにん


於ん可゛くすり

おんが くすり

P29

ふところ可ら

ふところから


さすごく王うハミ奈

さすごこ うはみな


可年のひ可り奈り

かねのひかりなり


やミ多゛もぜ尓とハ

やみだ もぜにとは


此 事 \/

このことこのこと

P28

御しんの本ど

ごしんのほど


あり可多ふ

ありがとう


於す

おす


こ川ちも

こっちも


あり

あり


可゛多や

が たや


\/

ありがたや


ちり

ちろ


可ら

から


\/

ちりから


す多

すた


\/

すた


本゛う

ぼ う


P29

可ふ

こう


して

して


いてハ

いては


どうも

どうも


飛き

ひき


尓くい

にくい

(大意)

 如来は虚空に総花(小判)を降らせ、二挺鼓の芸者は天女のように音楽を奏でた。懐からさす後光は、みな金の光であった。闇(阿弥)だも銭とはこのことこの事。

「ご心のほど、ありがとうおす

「こっちもありがたやありがたや

「ちりからちりからすたすた坊主

「こんな格好ではどうも弾きにくい

(補足)

 会話文があちこちに散っているので、ちと読みづらい。

「そう花」、『そうばな【総花】

① 遊女屋・料理屋などで,客がその家の全員に配る心付け』

「天人」、『てんにん【天人】

〘仏〙 天に住む者。あらゆる迷いを捨てきってはいないが,苦の少なく,喜びの多い境遇にあるとされ,空を飛んだり,音楽を奏でたりする』

「やミ多゛もぜ尓」、「闇だ」と「阿弥陀」を引っ掛けているのはすぐにわかります。しかし諺「阿弥陀も銭ほど光る」は知らず、もう一歩でした。

『阿弥陀の光も金次第(かねしだい)

阿弥陀の利益(りやく)も寄進した金の多寡で決まる意で,すべてのことは金次第でどうにでもなるものだということ。阿弥陀も銭(ぜに)で光る。地獄の沙汰(さた)も金次第』

「すたすた本゛うす」、『すたすたぼうず―ばう―【すたすた坊主】

 江戸時代,京都で,町人の誓文払いに神社に代参し,また垢離(こり)をとって金品を得た願人(がんにん)坊主。のちには上方や江戸で,寒中裸で縄の鉢巻きをし腰に注連縄(しめなわ)を巻き,銭五文か七文を串に刺し通し、五寸くらいの割竹に挟んで振り鳴らし、歌い踊りながら門付(かどづけ)をした』

「ちり可ら\/」、芸者が二挺鼓(一人で大鼓と小鼓を一度に打つ芸)を打つときの擬音。

「於ん可゛くすり」、この「すり」ってなんでしょうか?

 猪牙船をたてて光背にして金をまく如来様。台には「待乳や(まつちや)」とあり船宿の名前のようです。しかし『まつちやま 【真土山・待乳山】

② 〔「まっちやま」とも〕東京都台東区浅草にある小丘。隅田川に臨み,上野の台地に続く。待乳山聖天堂がある。聖天山』を引っ掛けてもいそうです。

 三味線も二挺鼓も猪牙船もとても精緻に描かれています。お見事であります。

 

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