2024年3月31日日曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その4

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

ぞうく王の神古

ぞうかのかみこ


今 人 のいのち能多

こんひとのいのちのた


奈おろしを志給 ふ

なおろしをしたまう


「神 代の志゛ぶんハむ

 かみよのじ ぶんはむ


しやう尓いのち可゛奈可゛いから

しょうにいのちが なが いから


かんじやうにてま可゛とれる

かんじょうにてまが とれる


「ひこ本ゝでミの

 ひこほほでみの


ミことハ〆 高 可゛六十三万七千八百九十二さいう可゛やふ起あハせ春゛

みことはしめだかが            さいうが やふきあわせず


のみことハ八十三万六千四十二さい

のみこと          さい


多゛このやう奈な可゛い以のちハ

だ このようななが いいのちは


おきどころ尓こまるくらしき可゛

おきどころにこまるくらしきが


多んとでゝハ可んじやう可゛

たんとでてはかんじょうが


ひきあハぬぞ

ひきあわぬぞ

(大意)

 造化の神は古くより今日まで命の棚卸しをされてらっしゃる。

「神代の時分は大変に命が長いから、(棚卸しの)勘定に手間がかかる。彦火々出見尊は総額が637892歳、鵜茅葺不合尊は836042歳だ。このような長い命は置きどころに困る。

倉庫代がたくさんかかっては勘定が引き合わぬぞ」

(補足)

「ぞうく王の神古今人の」、「神古今人」と、このように漢字が並ぶ区切りはどこか悩みます。

「志給ふ」、ここは「玉ふ」ではありませんでした。

「くらしき」、『②「倉敷料」(倉庫に物品を預けた場合に支払う保管料。敷料)の略』。

 そろばんが、神様のなせる技か、浮いて見えます。この算盤、下段の玉を数えてみると6個?あって、これまた神様専用のもののよう。

 後ろの大福帳、「壬戌享和二年正月吉日寿命仕入帳」「人間命数壬戌享和二年正月吉日勘定帳」とあります。

 長押にかかっている命札、これって煎餅にしたり、御札にしたり、孫の手にしたりして商品すれば売れるとおもいます。

 

2024年3月30日土曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その3

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

ぜ尓かね尓毛

ぜにかねにも


かへられぬもの

かえられぬもの


ハいのち奈り

はいのちなり


よ能中 尓大

よのなかにたい


せ川奈もの

せつなもの


をいのち可ら

をいのちから


二者゛んめといふ

にば んめという


さ春れバ命

さすればいのち


本どのた可ら

ほどのたから


ハ奈しそ乃

はなしその


いのちといふ

いのちという


ものどこから

ものどこから


でるぞといふ

でるぞという


丹てんちざう

にてんちぞう


く王の神 お

か のかみお


本くのいのち

おくのいのち


を仕入 てと

をしいれてと


本り天 の一 丁

おりてんのいっちょう


め尓みせをい

めにみせをい


多゛していの

だ していの


ちのと以や

ちのといや


を志玉 ふ

をしたまう

(大意)

 銭や金に代えられぬものは命である。世の中に大切であるものを、命から二番目(に大切なもの)であるという。なので命ほどの宝はない。その命というものはどこから出てくるのかというと、天地造化の神が多くの命を仕入れて、忉利天の一丁目に店を出し、命の問屋をされてらっしゃる。

(補足)

「と本り天」、『〔梵•Trāyastriṃśa〕六欲天の下から二番目の天。帝釈天がその中心に住み,周囲の四つの峰にそれぞれ八天がいる。三十三天』

「いのち可ら」、「本どのた可ら」、どちらも「可ら」が一文字に見えてしまいます。この数行後に「ものどこから」とこちらはひらがな「から」。

「志玉ふ」、普通は「給ふ」で「給」のくずし字は右回りに2回クルクルと螺旋になりますが、ここでは「玉」そのままです。この黄表紙ではすべてこの「玉ふ」が使われます。

 帳場の囲いがしゃれてます。横方向の材木は定規などを使ってまっすぐになっていますけど、縦方向の材木はわざと定規を使わずに、命の長い部分は定規でまっすぐ、筆そのままで引いています。結果、なんとも現実感がかもしだされています。うまい。

 

2024年3月29日金曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その2

序 国文学研究資料館蔵

(読み)

命 ハ食  尓あり餺 飥餅 ハ棚 尓あり命  ハ養 生  尓あり養

めい しよく   本゛多もち 多奈   いのち ようじやう   よう

めいはしょくにありぼ たもちはたなにありいのちはようじょうにありよう


生  ハ心  尓阿り一 心 命  の花繍    能ろく奈るのハいらぬもの長

じやう こゝろ   いつしんいのち いれ本゛くろ            奈可゛く

じょうはこころにありいっしんいのちのいれぼ くろのろくなるのはいらぬものなが く


て王るい可゛鼻 の下 奈可゛くてよ以可゛命  なり个りさよ能中 山 餳

      者奈 し多                       あめ

てわるいが はなのしたなが くてよいが いのちなりけりさよのなかやまあめ


の餅 より甘 口 奈此 草 紙をミて笑 ふて命  越の者゛し玉 へ登

 もち  あまくち このそうし   和ら  

のもちよりあまくちなこのそうしをみてわろうていのちをのば したまへと


筆 能命  毛奈可゛\゛/しくかきつけ侍 り

ふで いのちげ            ハべ

ふでのいのちげなが なが しくかきつけはべり


享  和二年 壬   戌 春 山 東 京  傅 戯記㊞

きょうわにねんみずのえいぬはるさんとうきょうでんぎき

(大意)

 命は食にある。ぼた餅(餺飥餅)は棚にあるが、命は養生にあり、養生は心にある。一 心命と彫った花繍(入れ黒子)は女に甘くなり、いらぬものだ。長くて悪いは鼻の下、長くて良いのは命である。小夜(さよ)の中山の水飴餅より甘口なこの草紙を読んで笑って命をおのばしくださればと、筆の命毛(いのちげ)のように長々と書きつけさせていただいた。

享和二年壬戌春 山東京傅戯(たわむれに)記(しるす)㊞

(補足)

「餺飥餅(本゛多もち)」、 餺飥(ハクタク)。小麦粉を練って作った食品。

「中山餳」、あめ。水飴。サトウキビなどから作った甘味料

「戌」と「戊」、よく間違えてしまいます。「戊(ぼ)」は十干の5番目、つちのえ。「戌(じゅつ)」は十二支の11番目、いぬ。

「小夜の中山」、静岡県掛川市佐夜。遠州七不思議のひとつ「夜泣石と子育飴」で有名。名物水飴餅。

「命毛」、『筆の穂の一番長い毛。筆の芯(しん)になる毛。力毛。』

「享和」(1801年2月5日〜1804年2月11日)、『寛政の後,文化の前。光格天皇の代。将軍は徳川家斉(いえなり)』

 

2024年3月28日木曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その1

序 国文学研究資料館蔵

(読み)

命  といふ字ハ誰可゛書 多素 福 ぬいで見せさんせ嗚呼あんま者り

いのち   じ 多  可い しろむく        あゝ

いのちというじはたが かいたしろむくぬいでみせさんせあああんまはり


けんへきも百  万 両  の分限 者 も大 切 奈ハ命  なり志んぞ命  を總

     ひやくまんりやう ぶげんしや 多いせ川              あげ

けんぺきもひゃくまんりょうのぶげんしゃもたいせつなはいのちなりしんぞいのちをあげ


角 も助 六 可゛多め丹苦勞 を春れバ命  をちゞむる古とあり命  あ川

満起 春けろく     くろう

まきもすけろくが ためにくろうをすればいのちをちじむることありいのちあっ


てのも能多゛ね奈禮バ金 をの者゛さんより命  をの者゛さん尓志可じ

てのものだ ねなればきんをのば さんよりいのちをのば さんにしかじ

(大意)

 命という字は誰が書いた、白無垢脱いで見せさんせ。あぁ、按摩針療治の者たちも百万両の大金持ちも、大切なのは命である。しんぞ命を総角(あげまき)も、助六がために苦労をすれば、命を縮めることもある。命あってのものだから、金を稼いで貯めるより命を延ばすに越したことはあるまい。

(補足)

 表紙は表題があるだけなので省略します。長い題名「延命長尺御誂染長壽小紋」は「えんめいながじゃくおあつらえちょうじゅこもん」。享和二年(1802)蔦屋重三郎刊。題名は誂え染め丁子小紋のもじり。

 出だし「命といふ字ハ誰可゛書多」は「乱髪夜編笠(みだれがみよるのあみがさ)」(寛保二年(1742)江戸中村座で初演。三世、十寸見河東作曲)の「露を命の置き所、命という字は誰が書いた、白無垢脱いで見せさんせ、あああんまりな面憎や」のもじり。この序の語り調子が芝居序幕の音曲風。

「けんへき」、『けんぺき【痃癖・肩癖】〔「けんべき」「けんびき」とも〕

① 肩凝りのこと。また,頸から肩にかけてのあたり。「眼の病は―の凝りよりも起こるといへば」〈読本・南総里見八犬伝•8〉

② 肩が凝るほどの心配ごと。「よし町の―に成るいろは茶屋」〈誹風柳多留•6〉

③ 〔肩凝りを治すところから〕あんま。「艾(もぐさ)も―も大摑みにやつてくれ」〈浄瑠璃・新版歌祭文〉』

「志んぞ命を」、よくみたら「で」はなく「ぞ」でした。また『しんぞ命を揚巻の

「しんぞ」は「神ぞ・真ぞ」で、神かけて。本当に。「命を上ぐ」と「揚巻」の掛詞』とありました。そして『江戸歌舞伎の代名詞でもある助六ですが、実は元々は上方・京都の人物。京都の助六という男性と島原の遊女・総角(あげまき)との心中が、一中節となって江戸に流入しました。これを二代目市川団十郎が曽我物の要素を取り入れて改作を重ね、

現在の歌舞伎十八番の原型となる江戸の助六像をつくりあげたのです』とあって、もうこのあたりが、わたしの限界であります。降参!

 「助六」三行半『富士と筑波の山間の 袖なりゆかし君ゆかし 

しんぞ命を揚巻の これ助六が前わたり 風情なりける次第なり』と謳われます。

 

2024年3月27日水曜日

九替十年色地獄 その60

P30 国文学研究資料館蔵

(読み)

此 ことハりを志らバ可の奈むや本゛多゛ぶ川も

このことわりをしらばかのなむやぼ だ ぶつも


いらぬ本と尓つうともい王れ須゛

いらぬほどにつうともいわれず


や本゛ともい王れ須゛多ゞ

やぼ ともいわれず ただ


無名(むめい)多゛\/  と

   むめい だ むめいだと


と奈へ

となへ


さつ

さっ


しやれ

しゃれ


まず

まず


こん尓ちの

こんにちの


せ川本うハ

せっぽうは


これまで尓

これまでに


い多さう

いたそう


ヂヤン\/ \/ \/ \/ \/

じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん


「アゝ百  日 の

 ああひゃくにちの


せ川本うも

せっぽうも


へのごとし多゛

へのごとしだ


清 長 画

きよながが


京  傅 戯作

きょうでんげさく

(大意)

 このことわりを知らないのであれば、あの南無野暮陀仏もいらぬほどであるし、通ともいわれないし、ただ名も無い人だと唱えなさい。

まず今日の説法はこれまでにいたそう。じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん。

「あぁ、百日の説法も屁のごとしだ

(補足)

 最後のしめは、諺「百日の説法屁一つ」(つまらない説法の意)からのもじりとありました。

 聴衆も手足をもんで、首もコキコキ。講釈台の幕に何やら書いてありますが、読めません。

 「くがいじゅうねん」は辞書にもそのままのっていて『【苦界十年】〔江戸時代,遊女の年季は10年以内とされていたのでいう〕遊女勤めをすること』とあります。

 京伝は「苦海」を「九替」としました。十年を九年にしたって、たった一年の違い、そんなに変わらないじゃないかとおもう一方、たった一年短くなるだけだって、大きな違いで、それほどに苦しい世界なのだということを述べているようにもおもえます。

 京伝は中国の書物にも詳しく通じていましたから、『中国における数字の「九」は縁起の良い数字』であり『偶数を陰数、奇数を陽数として、その奇数が重なる日を祝う習慣があり、奇数 (陽数)が重なる日を「重陽」と読んでいた。奇数の中で最も大きな数である「9」が古代から特に好まれてきており、「9 月 9 日(旧暦)は重陽の節句」として、縁起の良い日とされている。この日は高所に登って菊酒を飲み,長寿を願い災難を払う風習』(ニッセイ基礎研究所研究員の眼 2018-04-03より)も承知していたのかもしれません。

 いずれにせよ、「屁のごとし」といいつつも、講釈したいことを語り尽くしてノビノビ伸びをする京伝のさっぱり清々しい表情はどこか心を打つものがあります。

 

2024年3月26日火曜日

九替十年色地獄 その59

P30 国文学研究資料館蔵

(読み)

可くのごとく尓く可゛い十  年 可゛あい多゛いろ

かくのごとくにくが いじゅうねんが あいだ いろ


ぢごくのせめをふびん尓於もハゞ

じごくのせめをふびんにおもはば


ふら連ても者ら多川べ可ら須゛もてゝも

ふられてもはらたつべからず もてても


者満るべ可ら須゛与けいの金 あらバ

はまるべからず よけいのかねあらば


くるしミをもすくふべしよい本ど\/尓

くるしみをもすくうべしよいほどほどに


あそひて多るを志り者やく丘偶(き うぐう)尓とゞまるべし

あそびてたるをしりはやく   きゅうぐう にとどまるべし


つうのつうとすべきハつ年のつう尓あら須゛

つうのつうとすべきはつねのつうにあらず

(大意)

 このように、苦界十年という期間の色地獄の責めを不憫に思うのならば、振られても腹をたててはいけない。もててもいい気になってはいけない。余計な金があるならば、苦しみを救うように使わねばならぬ。ほどほどによく遊んで身をわきまえ、はやくおのれの遊びようを心得るべきである。通の通とすべきは世間一般にいわれる通とはことなっていて、通ぶることは野暮というものである。

(補足)

「丘偶(きうぐう)尓とゞまる」、詩経『黄鳥丘隅に止まる(こうちょうきゅうぐうに とどまる)。鶯のような鳥でさえ、自らの留まるべき場所を知っているのだから、人間であればそれに相応しい場所を知って当然である』とありました。

「つうのつうとすべきハつ年のつう尓あら須゛」、『老子。道可道、非常道。道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず』からとありました。

「ごとく」、「ごと」は二文字を一文字にした合字。

「く可゛い十年」、カタカナ「ム」のような「く」も普通に使われます。「年」のくずし字は「◯」が特徴。

 長い説法を語り終えた京傅和尚の表情がたまらなく素敵です。なぜか両手はグ〜パ〜!?

 

2024年3月25日月曜日

九替十年色地獄 その58

P28P29 国文学研究資料館蔵

P29

(読み)

「尓よらいこくう尓

 にょらいこくうに


そう花 を

そうばなを


ふらせ二て う

ふらせにちょう


つゞミの

つづみの


げいしや天 人

げいしゃてんにん


於ん可゛くすり

おんが くすり

P29

ふところ可ら

ふところから


さすごく王うハミ奈

さすごこ うはみな


可年のひ可り奈り

かねのひかりなり


やミ多゛もぜ尓とハ

やみだ もぜにとは


此 事 \/

このことこのこと

P28

御しんの本ど

ごしんのほど


あり可多ふ

ありがとう


於す

おす


こ川ちも

こっちも


あり

あり


可゛多や

が たや


\/

ありがたや


ちり

ちろ


可ら

から


\/

ちりから


す多

すた


\/

すた


本゛う

ぼ う


P29

可ふ

こう


して

して


いてハ

いては


どうも

どうも


飛き

ひき


尓くい

にくい

(大意)

 如来は虚空に総花(小判)を降らせ、二挺鼓の芸者は天女のように音楽を奏でた。懐からさす後光は、みな金の光であった。闇(阿弥)だも銭とはこのことこの事。

「ご心のほど、ありがとうおす

「こっちもありがたやありがたや

「ちりからちりからすたすた坊主

「こんな格好ではどうも弾きにくい

(補足)

 会話文があちこちに散っているので、ちと読みづらい。

「そう花」、『そうばな【総花】

① 遊女屋・料理屋などで,客がその家の全員に配る心付け』

「天人」、『てんにん【天人】

〘仏〙 天に住む者。あらゆる迷いを捨てきってはいないが,苦の少なく,喜びの多い境遇にあるとされ,空を飛んだり,音楽を奏でたりする』

「やミ多゛もぜ尓」、「闇だ」と「阿弥陀」を引っ掛けているのはすぐにわかります。しかし諺「阿弥陀も銭ほど光る」は知らず、もう一歩でした。

『阿弥陀の光も金次第(かねしだい)

阿弥陀の利益(りやく)も寄進した金の多寡で決まる意で,すべてのことは金次第でどうにでもなるものだということ。阿弥陀も銭(ぜに)で光る。地獄の沙汰(さた)も金次第』

「すたすた本゛うす」、『すたすたぼうず―ばう―【すたすた坊主】

 江戸時代,京都で,町人の誓文払いに神社に代参し,また垢離(こり)をとって金品を得た願人(がんにん)坊主。のちには上方や江戸で,寒中裸で縄の鉢巻きをし腰に注連縄(しめなわ)を巻き,銭五文か七文を串に刺し通し、五寸くらいの割竹に挟んで振り鳴らし、歌い踊りながら門付(かどづけ)をした』

「ちり可ら\/」、芸者が二挺鼓(一人で大鼓と小鼓を一度に打つ芸)を打つときの擬音。

「於ん可゛くすり」、この「すり」ってなんでしょうか?

 猪牙船をたてて光背にして金をまく如来様。台には「待乳や(まつちや)」とあり船宿の名前のようです。しかし『まつちやま 【真土山・待乳山】

② 〔「まっちやま」とも〕東京都台東区浅草にある小丘。隅田川に臨み,上野の台地に続く。待乳山聖天堂がある。聖天山』を引っ掛けてもいそうです。

 三味線も二挺鼓も猪牙船もとても精緻に描かれています。お見事であります。

 

2024年3月23日土曜日

九替十年色地獄 その57

P28P29 国文学研究資料館蔵

P28

(読み)

可くてミうけの多゛ん可うきハまれハあす

かくてみうけのだ んごうきわまればあす


可らミせを引 やんすやつさも川さの

からみせをひきやんすやっさもっさの


いさくさ奈く吉 日 を

いさくさなくきちじつを


ゑらミ川ゝかのいつすん

えらみつつかのいっすん


さきハやミ多゛尓よらい

さきはやみだ にょらい


御らいく王うまし\/

ごらいご うましまし


ごくらくつうどへ引 とり

ごくらくつうどへひきとり


給 ふく可゛い十  年 の

たもうくが いじゅうねんの


くるしミ一 じ尓

くるしみいちじに


めつしきやくの

めっしきゃくの


うて奈尓

うてなに


いざ奈ハれ

いざなわれ


く王多く

か たく


をいづる

をいずる


与つ天゛可ご

よつで かご


のりのミち

のりのみち


をぞいそ

をぞいそ


ぎ行 引 三 重

ぎゆくひきさんじゅう

(大意)

 かくて身請けの話し合いはすべてまとまり、明日から見世にでることはなくなった。あれやこれやのもめごともなく、吉日を選みつつ、かの一寸先は闇だ如来がおいでになられ、極楽通土へお引き取りくだされた。苦界十年の苦しみは一瞬にしてなくなり、客の高楼に誘われ連れてゆかれべく、苦海を出る四つ手駕籠、極楽彼岸へ導く道を急ぎゆく。

(補足)

「いさくさ」、『① もめごと。いざこざ。「きのふの―はどうなりました」〈滑稽本・浮世風呂•4〉② 文句。苦情。言い分。「なに,―があるもんだ」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•7〉』

「うて奈」、『うてな【台】

① 高殿(たかどの)。高楼(こうろう)。

② 〔蓮(はす)のうてなの意から〕蓮台(れんだい)。「はちす葉を同じ―と契りおきて」〈源氏物語•鈴虫〉』

「く王多く」、『かたく くわ―【火宅】

〘仏〙〔法華経譬喩品〕三界に平安のないことを火事にあった家にたとえた語。苦に満ちた世界としてのこの世。現世。娑婆(しやば)』ここでは苦界、遊里の意。

「引三重」、『② 音楽の奏法で用いる語。㋑ 三味線の手の一。浄瑠璃や長唄で,段や場面の終わりや語り出しなどに用いる。愁い三重・大三重など種々ある。

③ 歌舞伎の下座音楽の一。合方を主とし,唄はなく,もっぱら効果音楽として用いる。愁い三重・忍び三重・対面三重など』ここは浄瑠璃の曲節ふうに読んでくれということ、とものの本にはありました。

 小判にむらがる遣手婆や亭主、若衆だが、ひとり如来を拝むのは身請けがまとまり、明日から見世に出なくてよくなった花魁。

 

2024年3月22日金曜日

九替十年色地獄 その56

P26P27 国文学研究資料館蔵

P27

(読み)

P26

「てい

 てい


し由

しゅ


大 王う

だいおう


个ん

けん


ぶつ

ぶつ


する

する

P27

「此 於いらんも

 このおいらんも


ものまへ奈ぞ尓ハ

ものまえなぞには


於し可゛於も可つ

おしが おもかっ


多可゛から多゛ハ

たが からだ は


べら本゛う尓

べらぼ うに


可るひぞ

かるいぞ


おいらんハ

おいらんは


於しあハせ多゛

おしあわせだ

(大意)

「亭主大王、見物する。

「この花魁も、物日の前なぞには押しが強かったが、からだはべらぼうに軽いぞ。

「花魁は、お幸せだ。

(補足)

「ものまへ」、『ものまえ ―まへ 【物前】

② 〔「物日(ものび)前」の意〕盆・暮れ・節供などのすぐ前。ものぎわ。「―にも苦労がうすくて寿命が延びるやうだ」〈滑稽本・浮世床•初〉

③ 近世,遊郭の紋日(もんび)の前。「―の客あやうきに寄りつかず」〈誹風柳多留•4〉』

「於し可゛於も可つ多」、押しが強い、あつかましい、ずうずうしい。

 見物する禿(かむろ)と話しかける遊女の袖口の留め飾りが目を引きます。

 

2024年3月21日木曜日

九替十年色地獄 その55

P26P27 国文学研究資料館蔵

P26

(読み)

P27

「女 郎 ごうの

 じょろうごうの


者かり尓

はかりに


可ゝる

かかる

P26

「よい

 よい


とり可゛

とりが


かゝ川多と

かかったと


与く

よく


しん

しん


まん\/

まんまん


多る於尓のやう奈

たるおにのような


ものあつまり

ものあつまり


可の三うらやの

かのみうらやの


多めしを引 ごうの

ためしをひきごうの


者可り尓

はかりに

P27

可けてミれハ

かけてみれば


女 郎 の可ら多゛より

じょろうのからだ より


ミうけきんの

みうけきんの


本う可゛

ほうが


於もひ由へ

おもいゆえ


これ尓て

これにて


さう多゛ん

そうだ ん


き満る

きまる

(大意)

 女郎、業の秤(はかり)にかかる。

 よい鳥がかかったと、欲心満々の鬼のような者たちが集まり、かの三浦屋の例にならって、業の秤にかけてみると、女郎の体より、身請け金のほうが重いゆえ、これにてこの件はまとまった。

(補足)

 この丁の見開きも歌舞伎の一幕の場面にすれば、見栄え良く受けること間違いなし。

「ごうの者かり尓可ゝる」、変体仮名「可」、ひらがな「り」は全く同じ形。

『ごうのはかり ごふ― 【業の秤】地獄にあって亡者の罪業をはかるという秤。「娑婆世界の罪人を或いは―にかけ」〈平家物語2〉』

「三うらやの多めし」、歌舞伎・浄瑠璃で有名な「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」のモデルとなったはなし。女郎の体重分の黄金を身請け金とする逸話は三浦屋抱えの遊女高尾を仙台侯伊達綱宗が身請けするときのはなしが有名。

 巨大な天秤ばかりを部屋の梁から吊るし、天秤棒の目盛りも刻んでこれを商品にすれば売れます。女郎の乗りざまがこれまたリアル、腰帯を皿からはみ出し垂らすところがにくい。女郎・金千両箱二つがのる皿を支える綱がピンと張ってる感もよし。

 

2024年3月20日水曜日

九替十年色地獄 その54

P26P27 国文学研究資料館蔵

P26

(読み)

かゝるいろぢごくのくるし

かかるいろじごくのくるし


き事 をごくらく

きことをごくらく


通土(つうど)の一ツ寸 さきハ

   つうど のいっすんさきは


やミ多゛尓与らいと申

やみだ にょらいともうす


大 じん本゛とけふびん尓

だいじんぼ とけふびんに


於本゛しめし

おぼ しめし


ていし由大 王 尓

ていしゅだいおうに


さう

そう


多゛ん

だ ん


して

して


志ま

しま


王う

おう


ごんを

ごんを


於ゝく出しミうけ

おおくだしみうけ


してごくらくつうどへ

してごくらくつうどへ


すくひとり給 ふぞ

すくいとりたもうぞ


あらあり可゛多や於多うとや

あらありが たやおとうとや


いもとや於ぢや

いもとやおじや


いとこ者とこふ多

いとこはとこふた


於やハ申  に於よバ須゛

おやはもうすにおよばず


多ちまち志゛やうぶつ

たちまちじ ょうぶつ


う多可゛い奈くう可ミ上 ると

うたが いなくうかみあがると


いふ事 ハこん奈事 可ら

いうことはこんなことから


者じ

はじ


まり

まり


个る

ける

(大意)

 かかる色地獄の苦しきことを、極楽通土の一寸先は闇だ如来と申す、大尽仏は不憫に思し召して、亭主大王に相談し、紫磨黄金を多く出し、身請けして極楽通土へお救いになられ、ありがたいことであった。弟や妹や叔父やいとこ・はとこ、ふた親は申すに及ばず、たちまち成仏疑いなく、浮かび上がるということは、こんな事から始まった。

(補足)

通人がゆく極楽浄土なので「極楽通土」、「やミ多゛尓与らい」はもちろん阿弥陀如来の洒落。4人の後ろで笏を持って立っているのが大尽仏。

「志ま王うごん」、『しまおうごん ―わうごん【紫磨黄金】

紫色を帯びた最も良質とされた黄金。紫金。紫磨金(しまごん)。閻浮檀金(えんぶだごん)』

 文章は鮮明で読みにくいところもありません。

 

2024年3月19日火曜日

九替十年色地獄 その53


P24P25 国文学研究資料館蔵

P24

(読み)

「ま王多て

 あわたで


くびハ

くびは


せ川奈い

せつない


もの多

ものだ


「お可

 おか


ミさん

みさん



ふ多ちや

ふたちゃ


王ん

わん



可らくさを

からくさを


ミるやう尓

みるように


おつう

おつう


からんで

からんで


いハつしやる

いわっしゃる

P25

「そうおつせへ

 そうおっせへ


してハあ奈へも

してはあなへも


ハいり多う

はいりとう


ごさん春

ござんす


㐂介

きすけ


どん

どん


そこら尓

そこらに


さうをう奈

そうおうな


あ奈ハ

あなは


奈い可

ないか


あ奈

あな


くる

くる


しや\/

しやくるしや

(大意)

「真綿で首をしめられては、苦しかろう。

「女将さんが、蓋茶碗の唐草を見るように、みょうにからんでいわっしゃる。

「そうおっしゃられては、穴へも入りとうござんす。喜介どん、そこらに入れそうな穴はないかい。あぁ、苦しい、苦しい。

(補足)

「せ川奈い」、『③ 苦しい。肉体的に苦痛だ。「湯を強ひられるも―・いもんだ」〈咄本・鯛の味噌津〉』

「おつう」、『おつう【乙う】(副)〔「おつに」の転〕

むやみと。変に。妙に。「お前さんは―訝(おかし)な事を云はつしやる」〈怪談牡丹灯籠•円朝〉』

 右端の㐂介どんは首をしめられている遊女の情夫かも、職場恋愛は禁物でした。現在でもそんな職場はたくさんあるようですけど・・・

 P24の下部のセリフは一行2,3文字です。これが一行一文字になると、よくある有名人の額装されたものになります。これらのセリフはもちろん作者が書いたものですけど、絵の隙間に書く吹き出しの位置や体裁は、作者・絵師・彫師・摺師・編集者の誰にまかされたのでしょうか?

 この丁の見開きの絵はなかなか動きがあって、おもしろい。

 

2024年3月18日月曜日

九替十年色地獄 その52

P24P25 国文学研究資料館蔵

P25

(読み)

ぢま王りの

じまわりの


げ多やきをつけ

げたやきをつけ


こ川ち可らすへ

こっちからすへ


ぜんていろ男  の

ぜんでいろおとこの


ちやづけめしを

ちゃづけめしを


く王ふ可゛それを

くおうが それを


むりといふでハ

むりというでは


奈ひ志多可゛

ないしたが


ミの多め尓

みのために


奈る

なる


まひそや

まいぞや

(大意)

地廻りの下駄焼き(味噌)をつけ、こっちから据え膳で、色男の茶漬飯を食おうが、そんなことはどうでもよいのだよ。しかし、身のためにはなるまいと言っているのだ。

(補足)

 この部分のひっかけの地口はチンプンカンプン。というかこの部分の女将さんの野菜・食い物づくしの意見は、何をどうひっかけているのかを考えてようやくわかる(わからないかも)地口のようで、ジジイのわたしの浅薄な知識では太刀打ちできません。

 

2024年3月17日日曜日

九替十年色地獄 その51

P24P25 国文学研究資料館蔵

P25

(読み)

これゐ个ん

これいけん


ぢこくの

じごくの


可しやく奈り

かしゃくなり


「可ふい川てハどう可

 こういってはどうか


者しのあげ

はしのあげ


於ろし尓や可ましく

おろしにやかましく


いふやう多゛可゛多とへ

いうようだ が たとえ


ぢいろのこく

じいろのこく


しやうきやく

しょうきゃく


いろのざく\/

いろのざくざく


志゛るまち人

じ るまちびと


の与ごし尓

のよごしに


尓んじんのふて袮を

にんじんのふてねを


してミせを引く

してみせをひく


飛多しもの

ひたしもの

(大意)

 これが意見地獄の責め苦である。

「箸の上げ下ろしのように細かくいうようだが、こんなふうに言うのはどうだい。

たとえおまえのいい人やお客を待って、ふて寝をして、見世に出なかったり、

(補足)

 おかみの食べ物づくしの意見地獄のセリフがなんとも、言われた方はわかったようなわからないようなおかしな気持ちになってしまいます。

「こくしやう」、『肉や魚を味噌で濃く煮つめた汁。鯉こくなど』

「ぢいろ」、『② 花街の女が情夫にした土地の男。「どうだ,―でもできたか」〈洒落本・辰巳之園〉』

「与ごし」、これはいまでも「〜よごし」と和食にある和物(あえもの)。ざくざく志゛るも同様。

 真綿を描くのは難しそう。ふわふわの木綿の手ぬぐいにみえます。それにしてもおかみさんの手首の細いこと。

 

2024年3月16日土曜日

九替十年色地獄 その50

P24P25 国文学研究資料館蔵

P24

(読み)

うけ

うけ


と川多り

とったり


やその

やその


つぎハ

つぎは


ゐ个ん

いけn


ぢごく

じごく


といふ

という


あり

あり



かの

かの


きしんの

きじんの


やう奈

やうな


於可ミ

おかみ


さん

さん


奈い

ない


しやうへ与び付

しょうへよびつけ


あるひハふりつけ

あるいはふりつけ


あるひハあてこすり

あるいはあてこすり



可つ

かっ


多り

たり


多゛まし

だ まし


多り

たり


あぶらを

あぶらを


於もい連と川

おもいれとっ


多るうへ

たるうえ


ま王多を

まわたを


も川天

もって


くひを志める

くびをしめる

(大意)

 うけとったりやその次は、意見地獄というものがある。あの鬼神のようなおかみさんが(女郎を)普段使っている居間(内証)に呼びつけ、乱暴にあつかったり、当てこすりを言ったり、叱ったり、だましたり、油をおもいっきり絞ったりした上に、真綿で首をしめる。これが意見地獄の責め苦である。

(補足)

「うけと川多りやそのつぎハ」、モノマネ芸などで、次の番のものが前の演者から引き取るときにつかうセリフとありました。

「ふりつけ」は『② 嫌ってはねつける。ふる。「大きに―・けてやりんした」〈洒落本・遊子方言〉』でしょうか?

「於もい連」、『思う存分に。「湯でも―飲みなせえ」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•2〉』

 立派で大きな神棚に御幣、徳利、鈴が掛けられています。ここは遊女屋の内証(居間)。まるで歌舞伎一幕の一場面のようです。絵師京伝も意識してそうな感じ。

 神棚の廊下も階段も非常に細かく描き、その下も金網状の飾りや欅板の文様も異様に丁寧です。

 障子戸は簡素ながらこれまた見事。

 

2024年3月15日金曜日

九替十年色地獄 その49

P22P23 国文学研究資料館蔵

P23

(読み)

「和多くしハぜ尓奈ら

多川多二タすし可

三すじ

キの字やへ

於まんまの

於可川を

とり尓やる

本どのぜ尓可゛本しひナア


歌「二八十六てぶ川可け一ツ

二九の十八てあまさけ三者゛い

四五の二十で多゛んこ可四くし


(大意)

「わたくしは、銭ならたった二たすじか三すじ、喜の字屋へおまんまのおかずをとりにやるくらいの銭がほしいなぁ

「二八十六でぶっかけ(蕎麦・うどん)一つ、二九の十八で甘酒三杯、四五の二十で団子が四串。

(補足)

「二タすし可三すじ」、銭を棒状に束ねたもの一本は百文。

「歌」のくずし字がよくわかりませんが、一番簡単なのは「可」を2つ重ねたようなかたち。

 花魁の話し言葉は現在のものとほとんどかわりません。

 歌のこのような文句から当時寛政三(1791)年頃の物価がわかるのはとても貴重です。かけそば・うどん一杯16文、現在は300〜600円くらいでしょうか。甘酒一杯6文、団子一串5文、1文を30円くらいとすると団子一串が150円になりますから、まぁしっくりくる換算になります。喜の字屋へおかずの仕出しが六千円〜9千円になりますから、これもそれくらいだろうという価格になって納得です。

 中央の花魁の見事なフォアハンドの構え、ほれぼれであります。帯の細かい柄もこってます。これからたたこうとする器は高価な蛇口付きの水入れのようです。輸入品でしょうか。床に蓋がおいてあります。

 

2024年3月14日木曜日

九替十年色地獄 その48

P22P23 国文学研究資料館蔵

P23

(読み)

志やう奈可ら志ろもの

じゆうながらしろもの


奈ら尓しきの与ぎ尓

ならにしきのよぎに


い多じめの三ツふとん

いたじめのみつぶとん


志きぞめのそばまで

しきぞめのそばまで


つけて本しひナァ

つけてほしいなぁ


「中 尓もふりそでの

 なかにもふりそでの


志んぞう奈ぞハて うづ

しんぞうなぞはちょうず


者゛ちや飛しやくのくめんも

ば ちやひしゃくのくめんの


でき可年連ど

できかねれど


心  ざす所  ハや川ハり

こころざすところはやっぱり


む个んの可年ちや王んをて うづ者ち尓なぞらへ

むけんのかねちゃわんをちょうずばちになぞらへ


可んざしをひしやく尓

かんざしをひしゃくに


多とへてむ个んの

たとえてむけんの


者し多ぜ尓を

はしたぜにを


つくもあり

つくもあり

(大意)

わがままを言うなら、代物なら錦の夜着に板締めで染めた三つ蒲団、敷き初めの蕎麦まで付けてほしいなぁ

「なかでも、振袖新造などは、手水鉢や柄杓の工面もできなかったのだが、気持ちはやっぱり無間の鐘である。茶碗を手水鉢になぞらへ、簪を柄杓にたとえて、無間のはした銭をつくこともあった。

(補足)

「志やう奈可ら」、「自由ながら」とはなかなか読めませんでした。

「飛しやく」、「心ざす」、「飛」と「心」のくずしじの違いは、一画目の「ゝ」があるかないかの違いだけ。

「い多じめ」、『いたじめ【板締め】

染色法の一。布を屛風畳みにし,両側から型板を当ててかたく縛って染液に浸すもの。板の型にしたがって白く抜け,染め模様ができる。板に模様を彫る場合もある。夾纈(きようけち)もこの一種』

「志きぞめのそば」、夜着や三つ蒲団などの夜着の使い始めの日に、遊女屋や茶屋など内外の関係者に蕎麦を振る舞う。慣習では新調してやる馴染客がそれら経費も支払った。とありました。

「む个んの者し多ぜ尓」、無間の鐘の鐘を金=銭とした。

 文章のとおりに、足元に小さな茶碗、右手に簪をもち、からだを弧にしてみごとなフォアハンドスタイル。

 

2024年3月13日水曜日

九替十年色地獄 その47

P22P23 国文学研究資料館蔵

P22

(読み)

「さきの与ハ

 さきのよは


ゑい\/由きの

えいえいゆきの


由うべの与多可と

ゆうべのよたかと


奈りこの与ハあさ

なりこのよはあさ


めし可゛飛る尓

めしが ひるに


奈るとも多゛ん奈へ

なるともだ んなへ


多゛ん奈於可ミさん

だ んなおかみさん


まゝの可王で

ままのかわで


於す

おし


袮へ

ねぇ


「王つちやァ

 わっちゃあ


ちつと

とっと


袮可゛ひの

ねが いの


すじ可゛

すじが


ち可゛ふ

ちが う


金奈ら

かねなら


多つ多

たった


六 十  可

ろくじゅうか


七 十  里やう

ななじゅうりょう

(大意)

「先の世は働いても働いても、雪の夕べの夜鷹となって、昼に朝飯を食うような生活になっても、旦那や、主人・おかみさんのおもっているとおりそのままですねぇ

「わっちゃぁ、ちっと、願いの筋がちがう。金ならたった六十か七十両、

(補足)

「まゝの可王」、辞書には『ままのかわ ―かは 【儘の皮】

成り行きにまかせる以外に手だてのない意を表す語。ままよ。「それがつのると,はて〱はもうどうなつても―と」〈人情本・仮名文章娘節用〉』。ものの本には「ままの川(千葉県市川市の真間川)」の洒落とありましたが、どうも?

 京伝はこの頁、見開き一枚の錦絵・浮世絵のように三人の花魁を配置して描いています。このような絵になると本領発揮のようです。それにしても、左のふたりはテニスのフォアハンドの打ち合いをしていて、見事なフォームでもあります。着物柄も細かくきれい。


 

2024年3月12日火曜日

九替十年色地獄 その46

P22P23 国文学研究資料館蔵

P22

(読み)

む个んぢごくといふハこのいろぢごく尓

めけんじごくというはこのいろじごくに


うつてつけ多るぢごく尓てその可ミ

うってつけたるじごくにてそのかみ


梅 可゛へより此 ぢごく者しまりいし尓もせよ

うめが えよりこのじごくはじまりいしにもせよ


金 尓もせ与といふ多ことバののこりて

かねにもせよというたことばののこりて


女 郎 のミふんさうをう尓いし尓も可ぎらず

じょろうのみぶんそうおうにいしにもかぎらず


金 にも与らずて うづ

かねにもよらずちょうず


者ちをくめんして

ばちをくめんして


可つて志多゛い尓

かってしだ いに


つく事 奈り

つくことなり

(大意)

 無間地獄というのは、この色地獄の中でももっともぴったりの地獄で、その昔、梅が枝よりこの地獄は始まった。「石にもせよ金にもせよ」とは浄瑠璃のセリフだが、女郎の身分相応に言いかえれば、「石にも限らず金にもよらず」に、(無間の鐘に見立て)工面した手水鉢を、自分のおもうまま好き勝手につくことである。

(補足)

 文章全体どこで区切るのか、とても悩みます。

「その可ミ」、『そのかみ 3【其の上】

① 過ぎ去ったその時。そのむかし。「―関白にならせ給へる二位中将殿と」〈平家物語•3〉』

「いし尓もせよ金尓もせ与」、浄瑠璃「ひらかな盛衰記」四段目のセリフ。価値があるものにせよ、価値がないものにせよ。

『『ひらかな盛衰記』に、遊女「梅ヶ枝」が、「無間(むけん)の鐘」になぞらえた手水鉢を柄杓(ひしゃく)で叩く場面があります。「無間の鐘」とは、撞(つ)くと現世の富と引き換えに来世は無間地獄に落ちるという伝説の遠州七不思議の1つ。江戸期の人々には「無間の鐘」といえば遊女「梅ヶ枝」と手水鉢の情景が連想され、文楽や歌舞伎や落語、歌川広重や鈴木春信の浮世絵など、様々に表現され人気を博したようです。』とありました。

 この梅が枝のはなしは「箱入娘面屋人魚 その28」でも使われていました。

 京伝もこの場面が好きだったのでしょうけど、江戸庶民にすぐに伝わるはなしでもあったのでしょう。箱入娘の場面では石菖(せきしょう)が噴水の水のようだとありましたが、ここのは万年青(おもと)のようにみえます。


 

2024年3月11日月曜日

九替十年色地獄 その45

 

P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

「下 ハ多らきの於尓くち

 したばたらきのおにくち


小言 をいふ

こごとをいう


「いゝ可げん尓して

 いいかげんにして


あ可゛ん奈せへ

あが んなせえ


王つちら可゛くめの

わっちらが くめの


仙 人 てミ多可゛いゝ

せんにんできたが いい


志゛やうふ多゛んめを

じ ょうふだ んめを


ま王しやす

まわしやす


「モシちよつと

 もしちょっと


ミゝを於多゛し

みみをおだ し


奈んし

なんし


「者゛ん尓又 松 やの

 ば んにまたまつやの


きやくつら可゛

きゃくずらが


きんすとさ

きんすとさ


いや多゛

いやだ


のふ

のう

(大意)

下働きの鬼が文句を言う。

「いい加減にしてあがんなせえ。わっちらが久米仙人みたいなら、いつも目をまわしやす

「もし、ちょっと耳をかしておくんなさい

「晩にまた、松屋の客たちが来るんですって、嫌だのう

(補足)

「くち小言」、『くちこごと 3【口小言】

不平や文句を言うこと。「下女はお上さんがあんなでは困ると,―を言ひながら」〈雁•鷗外〉』

「常不断」、『じょうふだん じやう― 3【常不断】

常に絶えないこと。いつも。ふだん。「課長さんの所(とこ)へも―御機嫌伺ひにお出でなさるといふ事(こつ)たから」〈浮雲•四迷〉』

「久米仙人」、飛行術を修得したが川で洗濯する女のふくらはぎをみて墜落した。ここの「く」と「くち小言」の「く」のかたちが違います。

 下働きの手にしている箒のようなものはなんでしょう?箒だったらちゃんと藁なので縦線をいれるはずだし・・・

 四人の裸、デッサンのようにササッと仕上げた感じ、彫師もうまいものです。


2024年3月10日日曜日

九替十年色地獄 その44

P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

月 のさハりと

つきのさわりと


奈るときハ人

なりときはひと


奈ミ尓すへふろへも

なみにすへふろへも


者いられ須

はいられず


さふい

さぶい


志ぶんも

じぶんも


ぎやう

ぎょう


ずいを

ずいを


つ可ふ

つかう


その

その


由を王可して

ゆをわかして


もらふ尓も

もらうにも


志多者多らき尓

したばたらきに


一 分 ツゝもやら袮バ

いちぶんずつもやらねば


奈ら須゛つ可゛うの

ならず つご うの


王るひとき奈ぞハ

わるいときなぞは


ミをきらるゝ

みをきらるる


思 ひ奈りこれぞ

おもいなりこれぞ


ちのいけのくるしミと

ちのいけのくるしみと


いつ川べし

いつつべし

(大意)

 月の障り(月経)のときには、ひとなみに据風呂へも入ることはできず、寒い時分でも行水を使う。その湯を沸かしてもらうのにも、下働きのものに一分ずつもやらなくてはならない。金回りのわるいときなぞは、身を切られるおもいである。これぞ血の池の苦しみというのであろう。

(補足)

「一分」、銀一匁(もんめ)の十分の一。十文程度。かけそばが16文なのでいまならペットボトル小一本くらい。

「いつ川べし」、『つ◦べし

(連語)〔完了の助動詞「つ」の終止形に推量の助動詞「べし」の付いたもの〕

① 動作・作用の完了・実現が確かなものとして当然予想される意を表す。…するにちがいない。きっと…てしまうであろう。たしかに…しそうである。「ゆくりなく風吹きてこげどもこげどもしりへしぞきにしぞきて,ほとほとしくうちはめ―◦べし」〈土左日記〉「楊貴妃の例(ためし)も引き出で―◦べうなりゆくに」〈源氏物語•桐壺〉』

 ためになる客をひきとめるために、指切りをしたり起請文をかいたりとありましたが、もう一つ入れ墨もありました。拡大しても読むことが出来ず残念。背中を見せている遊女も左腕に小さく入れ墨があります。また髪型も違っていて、ちょっと年増なのかもしれません。

 行水桶の縁にのっている小袋は糠袋、奥のふたりの遊女の手にもそれぞれ握られています。

 

2024年3月9日土曜日

九替十年色地獄 その43

P20 国文学研究資料館蔵

(読み)

「者゛けのと

 ば けのと


さん一 きれ

さんひときれ


もり尓

もりに


しても

しても


者゛の

ば の


ある

ある


やふ尓

ように


きり奈んし

きりなんし


「ちとめ

 ちどめ



ぎん

ぎん


者くハ

ぱくは


きて

きて


ゐん

いん


す可へ

すかへ

(大意)

「ばけのとさん(番頭新造への呼びかけか)、一切れ斬るにしても、見栄えのいいように大きく切るんだよ。

「血止めや銀箔(腫れをおさえたり痛み止めに使う)の用意はいいのかい。

(補足)

「者゛けのとさん」、調べたのですがよくわかりませんでした。

「あるやふ尓」、この「尓」は英字筆記体小文字の「y」の小さいのがつぶれたようになっているのだとおもいます。or 変体仮名「耳」?

 読んだ限りでは、小指を骨もろとも落とすのではなく、小指の爪の先半分くらいの骨のないところを切り落とすようですが、それにしても痛いを超えてます。

 三人の頭が三角形の頂点になり、もう一つの頂点が鉄の銚子、緊迫感があるなぁ。指切りする遊女は左手で右の二の腕をしっかりおさえ、口をムの字にしてます。どうしてもその表情に目が釘付けになってしまう。

 ガツンという音も聞こえてきそう。

 

2024年3月8日金曜日

九替十年色地獄 その42

P20 国文学研究資料館蔵

(読み)

「由びをきる所  の

 ゆびをきるところの


ゑ尓ひとりで

えにひとりで


きつてゐるハ

きっているは


あんまり

あんまり


うそで

うそで


於す袮へ

おすねへ


「て うしの志りで

 ちょうしのしりで


ぶつも久 しひ

ぶるもひさしい


本う多゛与

ほうだ よ


「ついて尓

 ついでに


このちで

このちで


でき合 の

できあいの


きしやうを

きしょうを


二三 まひ

にさんまい


可いて

かいて


於きい

おき


しやう

しょう

(大意)

「指を切るところの絵に、ひとりで切っているのは、あんなのは嘘ですよ。

「銚子の尻でぶつのも、昔ながらのやりかたさ。

「ついでにこの血で、ちょっと起請文でも二三枚書いておきましょう。

(補足)

「ゑ(え)」の元字は「恵」、「ゐ(い)」は「為」。ついでにカタカナの「ヰ(い)」の元字は「井」。

「あんまり」、当時の「あ」は現在の「お」から「ゝ」を除いたかたち。

 ここの指切りの他に、起請文(神仏に愛を誓う)を書くのもよくあったとありました。

 

2024年3月7日木曜日

九替十年色地獄 その41

P20 国文学研究資料館蔵

(読み)

多め尓奈るきやく者らを多つて与その女 郎 尓

ためになるきゃくはらをたってよそのじょろうに


なしミさきの女 郎 可゛本りものをし多と

なじみさきのじょろうが ほりものをしたと


きけバこつちでもやりてや者゛んとう

きけばこっちでもやりてやば んとう


女 郎 立 合 尓て由びをきらせる

じょろうたちあいにてゆびをきらせる


多可゛い尓志ん个ん志やう婦゛の

たが いにしんけんしょうぶ の


きやくあらそひこれ志由ら

きゃくあらそいこれしゅら


多゛うのくげん奈り

ど うのくげんなり

(大意)

 ためになる(遊女の金蔓の)客が腹を立てて、よその女郎に馴染んでしまうと、むこうの女郎が彫物をしたと聞けば、こっちでも遣手や番頭女郎の立合で、指を切らせる。互いに真剣勝負の客あらそいである。これが修羅道の苦患である。

(補足)

 なんとも恐ろしい話と絵、というか絵のほうがよほど震えてしまいます。

「さぁやっておくんなんし」と歯をくいしばり目をつぶり顔をそむける遊女、右脚指先がこころなしか力が入って踏ん張っているような・・・番頭女郎は鉄のお銚子を振り上げ、顔は引き締まって緊張の極致、血が引いています。

 番頭新造は桔梗柄、厄除開運の縁起を担ぐ意味か、遊女は南天に見えますがさて?

 

2024年3月6日水曜日

九替十年色地獄 その40

P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

「此 志多を三 まひ

 このしたをさんまい


おくん奈んし

おくんなんし


ても此 うちを

てもこのうちを


ちや屋へつ希金 可゛

ちゃやへつけかねが


一 分与可へしのつ可ひものゝ

いちぶよかえしのつかいものの


多者゛こ者゛こ可゛二し由と一ッ本んよ

たば こば こが にしゅといっぽんよ


のり入 とミづ引 で廿   四 文 よ

のりいりとみずびきでにじゅうよんもんよ


さし引くと

さしひくと


二両  二分奈尓可゛しと奈りんす

にりょうにぶなにが しとなりんす


「今 どきの

 いまどきの


きやくし由ハ

きゃくしゅは


志多を二まひ

したをにまい


つ可ひ奈んす

つかいなんす


可らいゝのさ

からいいのさ


とこ

とこ


者奈も

ばなも


舌 を三

したをさん


まひ

まい


ぬ可れハ

にかれば


アゝ

ああ


い多事 \/

いたごといたごと


てへ\/くるしひ

たいてえくるしい


こつちやねへ

こっちゃねぇ

(大意)

「この舌を三枚おくんなんしても、このうち(客を紹介してくれた引手)茶屋へお礼金が一分よ。(床花の返礼で客に贈る)煙草箱に二朱と一本(銭四百文)よ。糊入(紙)と水引きで廿四文よ。差引くと、二両二分なにがしとなりんす」

「今どきのお客さんたちは、舌を二枚つかい(二枚舌のこと)なんすから、いいのさ」

「床花に舌を三枚も抜かれれば、あぁ痛いいたい。まったく苦しいこっちゃねぇ」

(補足)

「ちや屋へつ希金」、「つ希金」が「付金」とわからないと読めません。

「てへ\/」、『常に。相当に。「―心遣ひをしたわいなあ」〈歌舞伎・助六所縁江戸桜〉〔「大体」「大底」などとも書かれた〕』

 三両 − (茶屋へ一分(四分の一両)と煙草箱二朱(八分の一両)と銭四百文(十分の一両)と糊入と水引き(廿四文))= 二両二分なにがし、となって計算はあっていそう。

 遊女の背中から腰元まで一筆、うまい。

 

2024年3月5日火曜日

九替十年色地獄 その39

P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

本んとうのちこくてハ

ほんとうのじごくでは


うそをつい多ものハ

うそをついたものは


ゑんま王うミづ可ら

えんまおうみずから


志多をぬき給 ふ

したをぬきたもう


此 いろぢごく

このいろじごく


尓てハこつち

にてはこっち


可らうそを

からうそを


ついてむ可ふの

ついてむこうの


志多のやう奈

したのような


ものをぬき多可゛る

ものをぬきたが る


志可しこれもぬ可

しかしこれもぬか


るゝ本うよりぬく

るるほうよりぬく


本う可゛くるしミ

ほうが くるしみ


奈りこれを

なりこれを


抜舌(者つぜつ)ぢごくといふ

   ばつぜつ じごくという 

(大意)

 本当の地獄では、うそをついた者は、閻魔大王みずから舌をお抜きになられる。この色地獄では、こっちから嘘をついて、向こうの舌のようなものを抜きたがる。しかしこれも、抜かれるほうより、抜くほうが苦しみである。これを抜舌(ばつぜつ)地獄という。

(補足)

 ますます廓内のしきたりをしらないとわからないことばかりになります。

三つ布団の上にはすでに一枚置かれていて、遊女が客の二枚目の舌を抜いているところ。

 初めて遊んだ遊女をもう一度呼んで遊ぶことを「裏を返す」という。そして同じ遊女を揚げて遊ぶ三度目のことを「三会目」といい、これからを「馴染(なじ)み」といって床入りの運びとなる。このときの祝儀の金が床花で、ここでは三枚の舌を抜いたので三両となってつぎの話につながります。


2024年3月4日月曜日

九替十年色地獄 その38

P18 国文学研究資料館蔵

(読み)

此 いろぢごく

このいろじごく


尓てハ志や

にてはしゃ


者゛でま多゛

ば でまだ


可多びら

かたびら


をきる

をきる


志゛ぶん八 月

じ ぶんはちがつ


朔 日 尓白 むくの

ついたちにしろむくの


可さ年ぎを

かさねぎを


させるざん志与の

させるざんしょの


つ与ひ志゛ぶんハ

つよいじ ぶんは


そのあつさ

そのあつさ


こ多へられず

こたえられず


そのくめんの

そのくめんの


くるしさ

くるしさ


多とへん尓

たとへんに


もの奈し

ものなし


べ川して

べっして


可年のまち

かねのまち


可゛つ多

が った


女 郎 奈ぞハ

じょろうなぞは


そのうへ尓こびん

そのうえにこびん


可らひ可゛でる

からひが でる


い王由る

いわゆる


志やう袮つ

しょうねつ


ぢごくの

じごくの


くるしミ

くるしみ


これ奈り

これなり


あせつらゝの

あせつららの


ごとく尓奈可゛れる

ごとくになが れる

(大意)

 この色地獄では、娑婆ではまだ帷子(かたびら)を着る時分に、八月朔日(ついたち)に白無垢を重ね着させる。残暑の強い時期にその暑さを我慢するのは大変で、暑さよけの工夫もかぎりがあり、ほかにたとえようもない苦しさである。

 とりわけ、金遣いのあらい女郎などは、その上に、小鬢(こびん)から火が出る。いわゆる焦熱地獄の苦しみはこれである。

 汗、つららのように流れる。

(補足)

「可多びら」、『〔あわせの「片ひら」の意〕① 裏を付けない衣服。ひとえもの。』

「八月朔日」、八朔(はっさく)ともいう。現在の8月末から9月のころ。八朔の日は吉原では白無垢を着て祝った。

「可年のまち可゛つ多女郎」が悩んだのですけど、う〜ん、いまひとつピンときません。

 用水桶に「色地獄」とありますが、実際は町の名前がかかれます。

 花魁も禿もみな同じ着物柄です。禿が頭に飾っているのは切り花か小枝の生花でしょうか。とおもってネットをのぞくと、禿のあたまのお飾りは、多種多様、様々なお飾りが盛ってありました。

 

2024年3月3日日曜日

九替十年色地獄 その37

P16P17 国文学研究資料館蔵

P17

(読み)

「奈尓さ

 なにさ


これても

これでも


可ら多ぢ うを

からだじゅうを


可本多゛と

かおだ と


思 へハへいきさ

おもえばへいきさ


於まんまの

おまんまの


可王り尓

かわりに


風 く春り

かぜぐすり


を多べれバ

をたべれば


可せも

かぜも


飛きんせん

ひきんせん


「ミ奈んす通 り

 みなんすとおり


王つちと志多

わっちとした


於び者゛可り多゛可ら

おびば かりだ から


里やう个ん可゛

りょうけんが


奈らざァ

ならざぁ


くびでも

くびでも


もつて

もって


いき奈んし

いきなんし


者゛可らしひ

ば からしい

(大意)

「なにさ、これでも体中を顔だとおもえば平気さ。おまんまのかわりに風邪薬を食べれば、風邪もひかないよ

「見たとおり、わっちと下帯だけだから、気がすまないなら、首でも持っていきなんし。やってられないよ

(補足)

「可ら多ぢうを可本多゛と思へハ」、気持ちのよい啖呵です。わたしもどこかで使ってみよう。

「風く春り」「くびでも」、ここの「く」はカタカナ「ム」のようなかたち。

 花魁ののうしろにある衣桁は漆に螺鈿をほどこした高価なものに見えます。なるほど借金がかさむわけです。肌に直接、斜にかけているものはお守り袋でしょうか。キップの良さそうな花魁です。借金がとりはたじたじ。

 

2024年3月2日土曜日

九替十年色地獄 その36

P16P17 国文学研究資料館蔵

P16

(読み)

「へいきも

 へいきも


本どのある

ほどのある


もの多゛

ものだ


本んのへいき

ほんのへいき


の引 多をし多゛

のひきだおしだ


於ごるへいき

おごるへいき


ひさし

ひさし


可らずとハ

からずとは


於まへの

おまえの


こ川多

こった

(大意)

「平気にも程度ってもんがあるものだ。これじゃ平気(平家)の名折れだ。おごる平気(平家)久しからずってのは、お前のことだ

(補足)

「引」という漢字はなぜか、偏と旁の間が離されて書かれることがおおいです。

 廓言葉を理解したうえで、京伝の地口を楽しむのはなかなか大変です。

 

2024年3月1日金曜日

九替十年色地獄 その35

P16P17 国文学研究資料館蔵

P17

(読み)

きのじや

きのじや


「多゛ん\/可し多

 だ んだんかした


ぜ尓の可づのこ

ぜにのかずのこ


奈つけの

なづけの

P17

志やう由の可らひ事 を

しょうゆのからいことを


いつてもそつちの

いってもそっちの


まゝ尓ハ

ままには


ざぜんまめ

ざぜんまめ


ごまめ

ごまめ


にまめ

にまめ


その

その


いゝ王けも

いいわけも


飛多しもの

ひたしもの


もふあさつけの

もうあさづけの


事 ハ於け二 日と

ことはおけふつかと


ま多れぬふ多

またれぬふた


ちや王ん

ちゃわん


尓しめを

にしめを


ミぬうち

みぬうち


者らつた

はらった


\/

はらった

(大意)

喜の字屋

「あれこれ都合した銭の数は、いくら文句をいっても、そっちのままには、ならないのでございます。そっちの言い訳もたいしたもの、もう明日のことはおいておいて、二日と待ちはいたしません。締められぬうちに、さぁ払ったはらった」

(補足)

「きのじや」、『きのじや 【喜の字屋】

① 吉原の遊郭内で,「台の物」と呼ばれる料理の仕出し屋の通称。享保(1716〜1736)年中,喜右衛門という者が評判をとったことに由来するという。「―の名も高く」〈洒落本・遊子方言〉』

 喜の字屋は仕出し屋なので、食べ物づくしの洒落で借金を催促。

 両端の男たちの着物柄、縦縞・格子、体の線にあわせて描いて立体感がでています。うまいものです。