2024年1月30日火曜日

九替十年色地獄 その4

P2P3 国文学研究資料館蔵

P2

(読み)

こゝ尓安ン本ン山 三 東 寺狂傅(きやうでん)

ここにあんぽんさんさんとうじ   きょうでん


於しやうといふのうらく

おしょうというのうらく


本うし者奈の下 のこん里 うの

ほうしはなのしたのこんりゅうの


多め百  日 可あい多゛いろ多゛んき

ためひゃくにちがあいだ いろだ んぎ


をとき个れハう王きでやいくん

をときければうわきでやいくん


じ由してちやうもんする

じゅしてちょうもんする


「きやうてん和尚  志可つへらしく

 きょうでんおしょうしかつへらしく


せき者゛らひしてい王く

せきば らいしていわく

(大意)

 ここに安本山三東寺狂傅(あんぽんさんさんとうじきょうでん)和尚というのう天気な法師が鼻の下の建立のため、百日の色講釈がはじまると、浮気手合、群集して聴聞した。京伝和尚はすっとぼけ背筋を伸ばし、咳払いして言うには、

(補足)

「のうらく」、「のうらく 【能楽】のらりくらりと遊んで暮らすこと。また,その人。のらくら。「―者(もの)」「知らで問ひ来る五六人,同じはたけの―連中」〈滑稽本・続々膝栗毛〉」

「志可つへらしく」、「しかつべらし・い《文シク しかつべら・し》〔「然りつべくあらし」の転か。近世以降の語〕→しかつめらしいに同じ。「折目正敷(ただしく)居すまつて,―・く思ひのたけを言い出ださうとすれば」〈浮雲•四迷〉」

「者奈の下のこん里う」、京伝和尚の鼻は「京伝鼻」(or艶二郎鼻)とよばれる獅子鼻で、これは京伝の黄表紙の傑作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明五年(1785)刊)による。京伝が作中へ登場するときのトレードマーク。とものの本にはありました。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿