自序 国文学研究資料館蔵
(読み)
突出(つき多゛)し
つきだ し
より年明(ねんあけ)ま天゛憂年月(うきとしつき)の隙(ひま)行(由)久駒(こ満)
より ねんあけ まで うきとしつき の ひま ゆ く こま
下駄(个゛多)無理(むり)奈
げ た むり な
驤(者るび)もとか年バ奈ら須゛以や奈風(可ぜ)尓もなび可尓や奈らぬ
はるび もとかねばならず いやな かぜ にもなびかにゃならぬ
柳(や奈ぎ)の髪(可ミ)尓さ春笄(可う可゛い)盤八 本ン九 本ンの浄土(しやう
やなぎ の かみ にさす こうが い ははちほんきゅうほんの じょう
ど)とも見
ど ともみ
由れど旦(あし多)尓ハ堂ちまち損料(そん里やう)やの蔵(くら)尓い多るときく奈ら
ゆれど あした にはたちまち そんりょう やの くら にいたるときくなら
く
く
誠(まこと)尓捺落(奈らく)の責(せめ)奈るべしなんとマァそうじや袮へ可へ
まこと に ならく の せめ なるべしなんとまぁそうじゃねへかへ
寛 政 三川亥の春 山 東 京 傅 述 ㊞
かんせいみついのはるさんとうきょうでんじゅつ
(大意)
突出しよりはじめて、年明けの奉公がおわるまで、つらい年月のあいだには駒下駄の乾いた音がひびくばかり。気の向かぬ客にも帯をとかねばならず、いやな風にもなびかにゃならぬ。柳の髪にさす笄(こうがい)は、後光のように八本も九本もさし、まるで浄土のようにみえるが、明日にはたちまち損料屋の蔵におさまっているときく。まことに行きつく果ての苦しみではないか。なんとまぁそうじゃねぇかとおもわねぇかい。
寛政三亥の春 山東京傅 述
(補足)
「驤(者るび)」、「はるび」で調べてもヒットしませんでした。「駒」「駄」と「馬」偏を続けてますので、客を馬に例えているのでしょうけど。
「損料や」、「料金をとって衣服・夜具・器具などを貸す商売。また,その商売の人」
「蔵(くら)尓い多るときく奈らく」、「ならく〔伝聞推定の助動詞「なり」のク語法〕
(動詞「言ふ」「聞く」などの下に付いて,「言ふならく」「聞くならく」の形で)「人の言うには」「聞いていることには」などの意を表す。「言ふ―,奈落も同じ泡沫(うたかた)の,あはれは誰も変はらざりけり」〈謡曲・清経〉「聞く―,岩栖礀飲,大に人世を忘るるは道人の幽趣なり」〈太平記•24〉」
枠外中央上部の鶴のJALマークは鶴屋喜右衛門の屋号印。
なお、京伝はこの黄表紙の刊行の前年寛政二年(1790)二月、吉原の遊女屋・扇屋宇右衛門のすすめにより、扇屋抱えの新造女郎菊園(お菊)をめとっている。京伝は数え年で三〇歳、お菊はおそらく二七歳の春のことであった。とものの本にはありました。
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