2024年1月29日月曜日

九替十年色地獄 その3

自序 国文学研究資料館蔵

(読み)

突出(つき多゛)し

   つきだ  し


より年明(ねんあけ)ま天゛憂年月(うきとしつき)の隙(ひま)行(由)久駒(こ満)

より   ねんあけ まで     うきとしつき の  ひま   ゆ く  こま


下駄(个゛多)無理(むり)奈

   げ た    むり な


驤(者るび)もとか年バ奈ら須゛以や奈風(可ぜ)尓もなび可尓や奈らぬ

  はるび もとかねばならず いやな  かぜ にもなびかにゃならぬ


柳(や奈ぎ)の髪(可ミ)尓さ春笄(可う可゛い)盤八 本ン九  本ンの浄土(しやう

  やなぎ の  かみ にさす  こうが い ははちほんきゅうほんの   じょう


ど)とも見

ど ともみ


由れど旦(あし多)尓ハ堂ちまち損料(そん里やう)やの蔵(くら)尓い多るときく奈ら

ゆれど  あした にはたちまち   そんりょう やの  くら にいたるときくなら



誠(まこと)尓捺落(奈らく)の責(せめ)奈るべしなんとマァそうじや袮へ可へ

  まこと に   ならく の  せめ なるべしなんとまぁそうじゃねへかへ


寛 政 三川亥の春 山 東 京  傅 述 ㊞

かんせいみついのはるさんとうきょうでんじゅつ

(大意)

 突出しよりはじめて、年明けの奉公がおわるまで、つらい年月のあいだには駒下駄の乾いた音がひびくばかり。気の向かぬ客にも帯をとかねばならず、いやな風にもなびかにゃならぬ。柳の髪にさす笄(こうがい)は、後光のように八本も九本もさし、まるで浄土のようにみえるが、明日にはたちまち損料屋の蔵におさまっているときく。まことに行きつく果ての苦しみではないか。なんとまぁそうじゃねぇかとおもわねぇかい。

寛政三亥の春 山東京傅 述

(補足)

「驤(者るび)」、「はるび」で調べてもヒットしませんでした。「駒」「駄」と「馬」偏を続けてますので、客を馬に例えているのでしょうけど。

「損料や」、「料金をとって衣服・夜具・器具などを貸す商売。また,その商売の人」

「蔵(くら)尓い多るときく奈らく」、「ならく〔伝聞推定の助動詞「なり」のク語法〕

(動詞「言ふ」「聞く」などの下に付いて,「言ふならく」「聞くならく」の形で)「人の言うには」「聞いていることには」などの意を表す。「言ふ―,奈落も同じ泡沫(うたかた)の,あはれは誰も変はらざりけり」〈謡曲・清経〉「聞く―,岩栖礀飲,大に人世を忘るるは道人の幽趣なり」〈太平記•24〉」

 枠外中央上部の鶴のJALマークは鶴屋喜右衛門の屋号印。

なお、京伝はこの黄表紙の刊行の前年寛政二年(1790)二月、吉原の遊女屋・扇屋宇右衛門のすすめにより、扇屋抱えの新造女郎菊園(お菊)をめとっている。京伝は数え年で三〇歳、お菊はおそらく二七歳の春のことであった。とものの本にはありました。

 

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