P2P3東京都立図書館蔵
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(読み)
〽个 ふハてんこちも
きょうはてんこちも
奈いよいてんきじや
ないよいてんきじゃ
と可くてんや王やの
とかくてんやわやの
あくで奈くてハ
あくでなくては
びん本うぜ多いの
びんぼうぜたいの
あ可ハおち奴志゛つ
あかはおちぬじ つ
ごとしてハ
ごとしでは
ま志やく尓
まじゃくに
あ王奴てや
あわぬてや
(大意)
「きょうはとんでもなく良い天気じゃ。
どんな灰汁(あく)でもよいからたくさんないと
貧乏所帯の垢はおちないものだ。
まじめに(力まかせにゴシゴシこすって)洗濯をしていては
割に合わぬものだ。
(補足)
「てんこちも奈い」、辞書にそのままのってました。『てんこちな・い 【天骨無い】
(形)〔「てんこつない」の転。近世語〕
思いもかけない。とんでもない。善悪両方にいう。「おや―・い,あんとして食はれべいぞ」〈咄本・鯛の味噌津〉』。ここのところこの表現がよくでてきます。
ここの婆さんのせりふは字のカスレもさることながら、読みづらいところがたくさんあります。全体の意味をつかんで、そこから読めないところを推理してということを繰り返します。
「てんや王やの」、まともによめるのは「の」だけ。
「びん本うぜ多いの」、変体仮名「本」がずいぶんとくずれています。「ぜ」とわかればなるほどとおもいますけど・・・
「ま志やく尓」、「ま」とわかるのは、次の「志やく尓あ王奴」が読めてからでした。
読本のおきまりで、その人物が誰であるかを記すというのがあります。正直爺さん婆さんには「正」と「善」、慳貪婆には「惡」。
垣根は藁を束ねたもので囲っています。ところどころをすかすように白い部分があるのがどことなく立体感を与えていますし、奥にいくにつれて藁の縦線の間隔が細かくなっているのも遠近感をだしています。
着物というか浴衣のような簡単に羽織るものを着る機会がほとんどなくなり、洗い張りという言葉も死語になりつつあります。着物が日常であった頃は単衣重ね綿入れと季節に合わせて縫ってはほどきを繰り返していました。
わたしが子どもの頃、5月ごろだったでしょうか、単衣を洗い張りして大きな板の上で糊をきかして乾かしているこうけいがアチラコチラで見かけたものです。母の手伝いでしたのも懐かしい記憶です。
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