P4P5東京都立図書館蔵
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(読み)
「こ連者せど尓奈つ多
これはせどになった
もゝてござります
ももでござります
こ連でもおせしめ
これでもおせしめ
奈されてうへをお志
なされてうえをおし
の起゛奈されませてんと
のぎ なされませてんと
おい多王しや\/
おいたわしやおいたわしや
「うまいもゝや可王いの
うまいももやかわいの
もゝやとハ故人
ももやとはこじん
者くゑん可゛おさ多゛
はくえんが おさだ
まり可へ
まりかえ
「こ連ハてんとうま
これはてんとうま
そう奈もゝ
そうなもも
じや志可し
じゃしかし
大 のい多ごと
だいのいたごと
きんねんの
きんねんの
大 あ多りと
おおあたりと
き多ハ
きたは
(大意)
「これは家の裏になった桃でございます。
これでも召し上がって、飢えをおしのぎなされませ。
ほんとにおいたわしい、おいたわしい。
「うまい桃や、かわいい桃やとは
亡くなった栢莚お定まりの台詞(せりふ)かの
これはじつにうまそうな桃じゃ。
しかし、ここで桃を出したのは、まことにうまい、
近年の大きなおもいつきじゃ
(補足)
全体にかすれて読みにくいのは変わりませんが、「て」「と」「こ」の区別が大変です。何度も読み返して意味から判断するのが急がば回れのようです。
「うまいもゝや可王いのもゝやとは」、ものの本には次のような説明がありました。
『栢莚(四代目市川団十郎)安永五(1776)年秋、市村座の「菅原伝授手習鑑」で興行し、隠居して木場の親玉と呼ばれる。その狂言中に孫の市川桃太郎が八歳で亡くなる。そのことを惜しみ舞台で落涙したという。この逸話をここで持ち出した。』
この本は1792年刊ですから栢莚の逸話はやや古いとはいえ世間では知れわたっていたのでしょう。山東京伝自身、ここで桃を出したのはよい思いつきだったと自画自賛しているわけです。
背景の「深林人不来」は「深林人不知 明月来相照」のパロディか?
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