P9 東京都立図書館蔵
(読み)
「く王ん可゛くゐんの
か んが くいんの
春ゞめハまふぎ うを
すずめはもうぎゅうを
さへづると申 ます可゛
さえずるともうしますが
和多くしハおまへ
わたくしはおまえ
可゛多尓可ん可゛くさ連る
が たにかんが くされる
すゞめでござれバ
すずめでござれば
モウ\/き うの
もうもうぎゅうの
ねもでませ奴てや
ねもでませぬてや
「すゞめの奈んぎを
すずめのなんぎを
おすくひく多゛
おすくいくだ
され多可らハ
されたからは
ち う\/ の
ちゅうちゅうの
御おんで
ごおんで
ござり
ござり
ます
ます
「あんまりであるひて
あんまりであるいて
ねこやい多ち尓とられ
ねこやいたちにとられ
まいぞ
まいぞ
可゛てん可\/
が てんかがてんか
(大意)
「『勧学院の雀は蒙求を囀る』と申しますが、
わたしはご夫婦に学問を勧められ育てられた身の上でございますから
モウモウギュウの音もでないくらいに感謝しております。
「わたくし雀の一大事をお救いくだされたこと
チュウチュウの御恩でございます。
「あんまり出歩いて
猫やイタチに捕まる
でないぞ
わかったか、わかったか
(補足)
「く王ん可゛くゐんの春ゞめハまふぎ うをさへづる」、「勧学院の雀は蒙求を囀る」。
『だいがくべっそう ―さう 【大学別曹】平安時代の私立の教育施設。貴族が,その一族出身の大学寮学生のために設置した寄宿施設であったが,のちに大学寮付属機関として公認された』。勧学院はそのひとつで、藤原氏の子弟のために創設された。学生は「蒙求(中国唐代の類書。幼児用の教科書)」を音読するが、それを聞き覚え、やがて囀るようになる。「門前の小僧習わぬ経を読む」と同意。
「モウモウギュウの音」、牛の鳴き声と蒙求をかけている。「チュウチュウの御恩」、雀の鳴き声と忠義の忠をかけている。という洒落だけど、今ひとつです。
今回の文章はかすれやかけがひどく、判別できなくて前後のながれから内容を予想して読まなければならないところがあります。
「勧学院」は「く和ん可゛くゐん」、「勧学さ連る」では「可ん可゛く」で同じ勧学でも表し方がことなっています。当時の発音が微妙に違ったためなのか、それほどこだわってなかったのか、さて?
「モウ\/きうの」、この部分だけを何度も読んでも判読は難しい。次の「ちう\/の御おん」まで読むと予想がつきます。
体幹といいますか、体の芯(心)をしっかりととらえて描いているので、少ない何気ない線でも全体として3人の雰囲気がしっかりとでているところ、うまいなぁとおもいます。
背景にある鳥かごはどことなくやっつけ仕事の感じです。
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