P.41 最初〜3行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
翌 日 十 八 日 、太次郎 殿 新 立 江参 り、
よくじつじゅうはちにち、たじろうどのにったちへまいり、
小前 一 同 帰村 届 ケ
こまえいちどうきそんとどけ
其 文 言 二日
そのもんごんにいわく
(大意)
翌日18日、太次郎殿が新立へ来ました。
小前全員が帰村したことの届け(を提出しました。)
その届けの内容は以下のとおり(です。)
(補足)
「帰村」、何度も出てきてます。「帰」の「リ」の一画目がほとんど「、」です。
「翌日」、「十八日」と「文言ニ曰」では同じ「日」なのですがくずし字は異なっています。
変事出来してまだ1週間もたっていません。
名主たち村役人にとっては、1ヶ月にも相当するくらいの日時だったかもしれません。
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