P.35 最初〜7行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
おつなどのに承 り挨 拶 致 し
おつなどのにうけたまわりあいさついたし
可申 と栄 助 答 、大 勢 之者 申 様 、
もうしべくとえいすけこたえ、おおぜいのものもうすさま、
其 様 之面 倒 之事 ならば
そのようのめんどうのことならば
打 毀 春遍しと障 子壱 本
うちこわすべしとしょうじいっぽん
打 破 り、大 勢 之者 仲 間二而是 二
うちやぶり、おおぜいのものなかまにてこれに
先 静 に可致 と差 押 江挨 拶
さきしずかにいたすべくとさしおさえあいさつ
承 り而之事 、
うけたまわりてのこと、
(大意)
おつな殿と相談して
返答すると栄助は答えた。大勢の者たちは
そのような面倒なことならば
打ち壊してしまえと障子を一本
打ち破ってしまった。大勢の者たちは仲間へ向かって
これよりは静かにしろと仲間をなだめおさえ(名主との)応対
をしたとのことである。
(補足)
「障子壱本」からあとは、場面の雰囲気からの大意で、脚色たっぷりかもしれません。
わたしのフィクションにだまされないようにしてください。
「挨拶」、普段使う挨拶の意味ではなく、応対・仲裁・仲介などの意だとおもいます。
「答」=「竹」+「合」。「答」や「谷」のくずし字が難しい。
「大勢」、「勢」の「丸」のくずし字がかろうじて読めます。
栄助殿はなぜご自身の一存で決めずに奥様のお綱殿に相談して決めなければならなかったのでしょうか。その場の逃げ口上だったのでしょうか。それとも頭が上がらない立場だったのでしょうか。ちと気になります。
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