2019年2月26日火曜日

変事出来二付心得覚記 その103




 P.42 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
村 方 之者 共 何 連に
むらかたのものどもいずれに

罷  居 候   とも難見分   、徒黨 共
まかりおりそうろうともみわけがたく、ととうども

同 所 二而穀 屋渡世 之者 四 軒 、翌
どうしょにてこくやとせいのものよんけん、よく

十  四 日朝 五 ツ時 頃 迄 二居 宅 ・土蔵
じゅうよっかあさいつつどきごろまでにきょたく・どぞう


(大意)
(我々の)村の者たちはどこに
いるのか見分けることができず、徒党の者たちは
飯能村の穀物店4軒、翌
14日朝5ツ(8時)頃までに住居・土蔵


(補足)
「何連に」、「連」(れ)変体仮名。平仮名の「に」とカタカナの「ニ」の使い分けは気分次第。
「候登も」、「登」(と)変体仮名で頻繁につかわれます。
「難見分」(みわけがたく)、「分」のくずし字は「彡」+「、」。

数行前では「徒黨のもの共」でしたが、こんどは「徒黨共」、これも前後の文章の調子と気分次第?
「渡世」(とせい)、この単語は現代では「渡世人」などの表現で映画の切った張ったの世界の言葉になってしまってます。当時はごく自然に「仕事・稼業・なりわい・手に仕事をもってそれで働き生きていくこと」として使われてました。どこから偏った使い方になってしまったのでしょう。

「四軒」、「四」だけをみると意外とわかりませんが、次が「軒」ときているので、推測できます。
「五」、筆の運びは、「7」の最後のところで、筆を右回りに返してくるっと回すように右下へ。
「土蔵」、「蔵」は名前でもたくさんでてきました。「土」が「云」に似てます。最後にどうして「、」がつくのでしょうね。


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