P.40 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
相 成 候 哉、此 段 取 調 正 覚 寺
あいなりそうろうや、このだんとりしらべしょうかくじ
旦 中 ゟ 古と者じまり候 由 、
だんちゅうよりことはじまりそうろうよし、
乍去 紋 次郎 ・豊 五郎 いまだ
さりながらもんじろう・とよごろういまだ
不帰 、紋 次郎 噺 出し中 谷戸
かえらず、もんじろうはなしだしなかやど
徳 太郎 江噺 継二 相 成
とくたろうへはなしつぎにあいなり
豊 五郎 ゟ
とよごろうより
右 之趣 、十 七日 当 名主 太二郎 殿 へ、
みぎのおもむき、じゅうしちにちとうなぬしたじろうどのへ、
新 立 小前 之集 候 次第 ヲ申 渡 ス
にったちこまえのあつまりそうろうしだいをもうしわたす
(大意)
そういうことになったのか、このことについての取り調べでは正覚寺の
檀家たちより事は始まったときく。
しかしながら、紋次郎と豊五郎はいまだに
帰ってはいない。紋次郎が(最初に)はなしを始め、中谷戸の
徳太郎へはなし継がれたのだろ。
豊五郎より
以上のような事情について(確かめるために)、17日名主の太次郎殿へ
新立へ小前たちを集めるよう手はずを整えるよう申し渡した。
(補足)
頁の中程で「相成」と中途半端で、あとに空白があり、さらに「豊五郎ゟ」のあとから空白と次の行がまるまる空いています。このときにはまだわからないことだったので、あとで書き加えることができるようにしたのでしょうか。
最後の行もよくわかりません。
新立の小前たちを集めるように命じられたのか、新立へ周辺の小前たちを集めるように命じられたのかのどちらかでしょう。
新立は町田家のところです。
「旦中」、この前に正覚寺があるので読めますが、「旦」だけだと?。
「古と者じまり候由」、変体仮名・平仮名が続き、源左衛門さんはこんな風に書きましたっけ?
「乍去」(さりながら)、「乍恐」(おそれながら)と同じ書き方です。
「いま多゛」、変体仮名。
打ち壊しの恐れはなくなってきたので、早速この変事の取り調べが始まり出しました。
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