P.39 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
出向 候 間 、新 立 江参 呉様
でむきそうろうあいだ、にったちへまいりくれよう
申 候 二付 新 立 江参 ル、小物 ゟ
もうしそうろうにつきにったちへまいる、こものより
上ミ不残 小前 一 同 新 立 江集 ル、
かみのこらずこまえいちどうにったちへあつまる、
岩 鼻 御役 所 御届 ケ次第 、
いわはなおやくしょおとどけしだい、
木村 越 蔵 様 飯 能 村 江御廻 村
きむらえつぞうさまはんのうむらへごかいそん
(大意)
(お役人様がこちらへ)でかけてくるということなので、新立へ来るよう
申し付けられ、新立へ参りました。小物より、村の上ノ者小前一同は残らず新立へ集まりました。
岩鼻お役所へ事の次第をお届け次第
木村越蔵様が飯能村へやって来られました。
(補足)
この頁はすべて12行が大きさも筆圧も均一の筆跡で、行末で書ききれなかった文字を詰め書きしているところもありません。きれいです。
いままで「新立」を(しんだて)としていましたが、地図で確かめたところ(にったち)のようです。現在は「新館」と記されてます。町田家の場所。
「申候ニ付」、「申」がほとんど「十」のよう。
「参ル」、「集ル」、この「ル」はカタカナ?、変体仮名の「留」ではなさそうです。
全ページでは吾野からお役人が来るという話で、この頁では飯能村へご廻村とあるので
同じお役人なのでしょうか。よくわかりません。
「岩鼻お役所」は何度も出てきましたが、現在の高崎にあった、幕府の代官所。
「飯能村」、「飯」の「食」へんがどうしても慣れることができません。形で覚えるしかないのですが。
0 件のコメント:
コメントを投稿