P.42 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
騒 立 候 二付 、村 役 人 共 精 々 申 諭
さわぎたてそうろうにつき、むらやくにんどもせいぜいもうしさとし
差 留 候 得共 不取用 、抜 々 村 方
さしとめそうらえどもとりもちいず、ぬきぬきむらかた
立 出 候 二付 、引 続 役 人 共 一 同 飯 能 村 へ
たちいでそうろうにつき、ひきつづきやくにんどもいちどうはんのうむらへ
追 欠 罷越 見受 候 處 、徒黨 之
おいかけまかりこしみうけそうろうところ、ととうの
もの共 何 方 ゟ 集 候 哉夥 敷
ものどもいずかたよりあつまりそうろうやおびただしく
多人 数 二而、
たにんずうにて、
(大意)
騒ぎ立てていましたので、村役人たちで精一杯説得し
押し止めようとしましたがそれもかなわず、われわれを突き破って
村を出ていってしまいました。すぐに村役人たち全員で彼らのあとを飯能村まで
追いかけていったところ、一体どこからこれだけのものたちが
集まったのかとおもわれるほど、おびただしい
人たちで
(補足)
この頁はまちがいなく源左衛門さんの手跡でしょう。
「騒」、馬偏が大きな「る」にみえます。また「又」の両脇にある「、」は旧字の「騷」?
「精々」、なるほどよく見ると「米」「青」に見えますが・・・。
「諭」、言偏が小さく旁が大きいので、ちょっと悩みます。
「罷越」(まかりこし)、2文字セットで覚えておく。
「徒黨」、「党」の旧字。
「集」のくずし字が、今風です。
「敷」、偏と旁の左右の位置関係が、冠と脚の上下に位置してます。
「役人共」「もの共」と「共」が3箇所に出てきます。「〜たち」の意味ですが
こちらの「候得共」は3点セットで「〜ですが」。
0 件のコメント:
コメントを投稿