2019年2月9日土曜日

変事出来二付心得覚記 その86




 P.33 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
私  門 ロ ニ而王か連申  候   、翌 朝
わたしかどぐちにてわかれもうしそうろう、よくあさ

十  七 日 之朝 、松 太郎 浅 海 戸江参 り、
じゅうしちにちのあさ、まちたろうあさかいどへまいり、

昨 日 之次第 承    り、全  く之儀二御座候   、
さくじつのしだいうけたまわり、まったくのぎにござそうろう、

浅 海 戸お綱 殿 申  様 、芋 恨ゟ 小沢 迄
あさかいどおつなどのもうすさま、いもねよりおざわまで

之人 不残  凡  百  人 余  、面 体 ヲ隠 し
のひとのこらずおよそひゃくにんあまり、めんていをかくし


(大意)
わたしは(家の)門口で別れました。翌朝
17日の朝、松太郎は浅海戸へ行き
昨日の様子を聞き、実にそのとおりでしょうとのことでした。
浅海戸のお綱殿の言うには、芋根より小沢まで
の人残らずおよそ100人が、顔を隠し、


(補足)
「17日の朝」とあります。
一揆が勃発したのは13日の夕刻ですから、ここまで3日と半日しかたっていません。
なんと濃い4日間なのでしょうか。

書き手は源左衛門さんに戻ったようです。

「王か連」(わかれ)、変体仮名。
「翌朝」、「翌」はいつもながら「羽」と「立」の2文字に見えます。「朝」、「朝昼夜」セットで覚えるとよさそうです。

「昨日」、「作」のときの「乍」のくずし字とは異なってます。
「芋根」「小沢」、地名です。

「面体」、「体」のくずし字の「亻」がおかしいです。旧字の「骨」としても変。それにこの2行あとにでてくる「鉢」と、そのまま重ねることができるくらいに同じになってます。書き損じたかもしれません。



0 件のコメント:

コメントを投稿