P.36 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
十 七 日 当 名主 太二郎 殿
じゅうしちにちとうなぬしたじろうどの
下拙 宅 江参 り居 候 處 江、下 名栗
げせつたくへまいりおりそうろうところへ、しもなぐり
当 名主 秀 次郎 殿 参 り申 様 、浅 海 戸
とうなぬしひでじろうどのまいりもうすさま、あさかいど
叔母二頼 満連参 り候 、今朝松 太郎 殿
おばにたのまれまいりそうろう、けさまつたろうどの
を以 御尋 之儀、大 勢 之者 ども
をもっておたずねのぎ、おおぜいのものども
浅 海 戸ゟ 書 付 ヲ持 出し、論 地山
あさかいどよりかきつけをもちだし、ろんじさん
延 命 寺殿 に利気味候 帝
えんめいじどのにりきみそうろうて
(大意)
17日、この村の名主太次郎殿が
拙宅へ来て居たところへ下名栗
村の名主秀次郎殿が来て言うには、浅海戸
叔母(お綱)に頼まれてまいりました。今朝松太郎殿
からのお尋ねの件ですが、大勢の者どもが
浅海戸より書付を持って論地山の
延命寺住職へ行き、気負って
(補足)
「当」が2度出てきます。くずし方がはっきりとわかります。
「浅海戸叔母」はお綱殿でしょう。
「頼満連」(たのまれ)、変体仮名。
「今朝」、「今」のくずし字が難しい。
「延命寺」、「命」の「卩」が下にきてます。
「利気味」(りきみ)、あて字。現在ではもちろん「力み」です。
「論地山」、現在でもハイキングコースになっているところです。
源左衛門さんは名主たちに様々な要求をしている者たちのことを
「大勢の者ども」とか「徒黨者共」と呼んでいます。「一揆勢」などの呼び方はしていません。
彼らは近所の者共でほとんどが顔見知りのものたちです。
決定的な名主と小前百姓たちとの決裂を避けたいとの思惑と今後のことをおもんばかってのことだからでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿