2019年2月24日日曜日

変事出来二付心得覚記 その101




 P.41 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
乍恐    以書付     奉申上       候
おそれながらかきつけをもってもうしあげたてまつりそうろう

武州  秩 父郡 上 名栗 村 新 古両  組 村 役 人
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんこりょうぐみむらやくにん

惣 代 年 寄 軍 蔵 ・百  姓  代 亀 太郎
そうだいとしよりぐんぞう・ひゃくしょうだいかめたろう

奉申上       候   、当 月 十  三 日 御訴   奉申上       候
もうしあげたてまつりそうろう、とうげつじゅうさんにちおうったえもうしあげたてまつりそうろう

通 り、村 方 小前 之者 共 多人 数 騒  立 、
とおり、むらかたこまえのものどもたにんずうさわぎたて、

高麗郡 飯 能 村 穀 屋共 方 江米 穀
こまぐんはんのうむらこくやどもかたへべいこく

借 請 度 趣   を以  、去ル十  三 日 暮 六ツ時 ゟ
かりうけたくおもむきをもって、さるじゅうさんにちくれむつどきより


(大意)
恐れ乍ら書付をもって申し上げます。
武州秩父郡上名栗村新古両組村役人
惣代年寄軍蔵・百姓代亀太郎が
申し上げます。当月の13日にお訴え申し上げました
通り、村方の小前の者たちが多人数で騒ぎ立て
高麗郡飯能村の穀物商方へ米穀物を
借り受けるつもりで、先日の13日暮六ツ(夕方の6時)より


(補足)
出だしの「乍恐以書付奉申上候」は、お役所やお上への提出書類の書き出しの定型文。
3箇所とも下から返って読む。
「名栗」の「栗」が読めません。
「高麗郡」、「麗」がよくみるとわかるような気がするのですが・・・。


「新古両組」、何度も出てきました。新組と古組。
上名栗村は亨保9年(1724)に年貢勘定でもめたため2つの組に別れて村運営を行うようになりました。古組は町田家の名主世襲制、新組は年ごとの輪番名主制です。
現在読んでいるこの史料は新組の名主平沼家から1998年に発見されたもので、今までは古組町田家からのものでしたので、この史料の重要性が当時より指摘されてます。

「米穀借請度趣を以」、最初から打ち壊す意思はなく、あくまでも借り受けることを強調しているのでしょう。自分たち村役人の責任も問われてしまいますから、昔も今も変わりません。


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