序 国文学研究資料館蔵
(読み)
序
じょ
諺 尓貧 の病 あり。持 多可゛病 あり。金 可゛か多起登云ふ
こと王ざ ひん やまひ もつ やまひ か年 い
ことわざにひんのやまいあり もったが やまいあり かねが かたきという
側 可ら多川多三 百 両 とはこい川ハありか多以と
そハ
そばからたったさんびゃくりょうとはこいつはありがたいと
感 心 してあ万里有礼とも算 用 してハ
可んしん さんやう
かんしんしてあまりあれどもさんようしては
ふ足 たら希そこの所 ハ入 我我入 於連可゛王禮可
そく 尓 う可
ふそくだらけそこのところはにゅうががにゅうおれが われか
(大意)
序
ことわざに、「貧乏は病気のひとつである」というのがある。金を持つことが病気になるのである。金は敵である。あれば身を滅ぼすというそばから、「金がたった三百両とはこいつぁありがたい」と感心することしきりであるのだが、出入りを勘定してみると不足だらけである。そこのところは足るも不足(たらず)も我が身一つ。「俺がわれか、
(補足)
「莫切自根金生木」をなんと読むかわかりませんが、漢字の字面をながめているとなんとなく意味はわかるような気がしてきます。中国語の新聞を見てなんとなくわかるような気がするのとにています。もっとも、歌舞伎の演目や黄表紙や江戸時代の様々な書物の題名はなんであんあへんてこりんなのかといつも見るたびにおもいます。
読みは「きるなのねからかねのなるき」と読んで、すぐ気がつきますが回文になっています。「莫逆の友(ばくぎゃくのとも)」の「莫逆」は漢文のように下から読んで「逆らうことなし」の意ですが、これと同じで「莫切」で「きることなし」つまり「きるな」。「自根」で「ねから」、あとの「金生木」はそのままです。ちょっと凝りすぎで、自己満足感一杯の鼻につく題名です。
唐来参和(1744~1810)著、喜多川千代女(歌麿の門人)画、版元は蔦屋重三郎。天明五年(1785年)刊行。
枠上部のあるのは蔦重の印。
「多川多三百両とは・・・」、「ひらがな盛衰記」四段目梅が枝の詞。山東京伝の黄表紙でも何度か同じセリフが出てきました。
0 件のコメント:
コメントを投稿