2024年6月7日金曜日

莫切自根金生木 その2

序 国文学研究資料館蔵

(読み)

王れ可゛於連可どちらへ張 多ら与かん平゛何 可

           者つ       奈尓

われが おれかどちらへはったらよかんべ なにか


難 波のあし早 く挊  尓追 付 びん本゛う物 尓足る

奈尓者   者や 可せぐ 於ひつく     もの

なにわのあしはやくかせぐにおいつくびんぼ うものにたる


こと越おしへんと一 寸 一 部の此 そうしハ友 人

              ぶ

ことをおしえんといっすんいちぶのこのそうしはゆうじん


唐 来 参 和可゛か王らぬ春 の出放 題  奈る事 越

             者る で本う多゛い

とうらいさんなが かわらぬはるのでほうだ いなることを


口 もと尓あや奈すのミ

くちもとにあやなすのみ


和光 同 人 角印小

わこうどうじん

(大意)

われが俺か。どちらへはったらよかんべえ」。(そんなことはどうでもよくて)少しでも早く、毎日よく働いていれば貧乏しないこと、それで十分なことを教えようと、わずかではあるがこの草紙は、友人唐来参和がいつもながらの新春の出るにまかせた戯言を、口先でうまいことを言っているだけである。

和光同人

(補足)

「与かん平゛」、「与勘平」で調べるといろいろありますが、「どちらへ張多ら」とありますので、ここでは『① 安永(一七七二‐八一)から寛政(一七八九━一八〇一)の頃、江戸市中を流し歩いた二人連れの膏薬売り。また、その膏薬。泉州信田(しのだ)の森の与勘平と称する奴(やっこ)姿の二人が挟箱を持ち、「稲荷御夢想、かたやかいなのいたみに付けたらよかんべい」「疝気寸白(すばこ)にはったらよかんべい」などと言って売り歩いたところからいう』のことでしょうか。

「一寸一部」、一寸一分金のこと。一分金は一両の四分の一。よくわからないのですが、刊行するこの草紙の一部という意味でしょうか。

 この手の草紙の序(文)は、本の命と言ってもよいほどの大事なつかみですから、著者はすべての力を込めて限られた文字数で押し込めます。そのため使われる言葉や単語や言い回しには含みが多く、理解に苦しむということになります。当時の読者はニヤニヤ笑いながらも、著者の言わんとしていることが理解できていたとしたら、彼らのレベルはかなりのものだったとなりましょう。

 

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