序 国文学研究資料館蔵
(読み)
王れ可゛於連可どちらへ張 多ら与かん平゛何 可
者つ 奈尓
われが おれかどちらへはったらよかんべ なにか
難 波のあし早 く挊 尓追 付 びん本゛う物 尓足る
奈尓者 者や 可せぐ 於ひつく もの
なにわのあしはやくかせぐにおいつくびんぼ うものにたる
こと越おしへんと一 寸 一 部の此 そうしハ友 人
ぶ
ことをおしえんといっすんいちぶのこのそうしはゆうじん
唐 来 参 和可゛か王らぬ春 の出放 題 奈る事 越
者る で本う多゛い
とうらいさんなが かわらぬはるのでほうだ いなることを
口 もと尓あや奈すのミ
くちもとにあやなすのみ
和光 同 人 角印小
わこうどうじん
(大意)
われが俺か。どちらへはったらよかんべえ」。(そんなことはどうでもよくて)少しでも早く、毎日よく働いていれば貧乏しないこと、それで十分なことを教えようと、わずかではあるがこの草紙は、友人唐来参和がいつもながらの新春の出るにまかせた戯言を、口先でうまいことを言っているだけである。
和光同人
(補足)
「与かん平゛」、「与勘平」で調べるといろいろありますが、「どちらへ張多ら」とありますので、ここでは『① 安永(一七七二‐八一)から寛政(一七八九━一八〇一)の頃、江戸市中を流し歩いた二人連れの膏薬売り。また、その膏薬。泉州信田(しのだ)の森の与勘平と称する奴(やっこ)姿の二人が挟箱を持ち、「稲荷御夢想、かたやかいなのいたみに付けたらよかんべい」「疝気寸白(すばこ)にはったらよかんべい」などと言って売り歩いたところからいう』のことでしょうか。
「一寸一部」、一寸一分金のこと。一分金は一両の四分の一。よくわからないのですが、刊行するこの草紙の一部という意味でしょうか。
この手の草紙の序(文)は、本の命と言ってもよいほどの大事なつかみですから、著者はすべての力を込めて限られた文字数で押し込めます。そのため使われる言葉や単語や言い回しには含みが多く、理解に苦しむということになります。当時の読者はニヤニヤ笑いながらも、著者の言わんとしていることが理解できていたとしたら、彼らのレベルはかなりのものだったとなりましょう。
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